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瀧悠輔監督へのインタビュー「映像演出の世界で食が伝えうるもの」【前編】

瀧悠輔監督へのインタビュー「映像演出の世界で食が伝えうるもの」【前編】

──── ドラマ『99.9-刑事専門弁護士-』の現場で出会い、『大豆田とわ子と三人の元夫』では第5話と9話の演出をお願いした瀧悠輔監督。プライベートでは偶然同郷で世代も近く、好きな海外ドラマの話をする飲み友達でもあります。今回はそんな瀧さんに、お仕事のこと、そして「おいしい記憶」についてインタビューをしてきました。

佐野
まずは瀧さんがこの仕事を始めたきっかけとか、どんなふうにディレクターになったのかを教えてください。


僕は静岡で生まれ育ったんですが、静岡は映画館が全然ないんですよ。たしか当時は1個しかなくて、(そこで)やっている映画は一番メジャーな、例えば夏休みはドラえもんとか。だから中高校生の頃は映画を観ようとするとビデオ屋でVHSを借りるしかなかったんですけど、そもそも僕はテレビっ子でテレビドラマが好きだったんですよ。

佐野
当時はどんなドラマを観ていたんですか?


初めて最初から最後まで通して観たドラマは、『東京ラブストーリー』です。それで地上波ドラマに夢中になって、その後、大学生ぐらいまで地上波のドラマを全部観ていました。

佐野
坂元裕二さんじゃないですか! そして全部のドラマですか!?


そうですね。当時は深夜ドラマというものはほぼなかったんですが、ゴールデンタイムの連ドラは多かったですよね。ある時数えてみたら、1週間で22時間ぐらいドラマを観ていました。

佐野
22時間!? 1日3時間以上じゃないですか。ちなみにその時代に好きだったドラマを3本選ぶとすると何ですか?


ええと、まずは高嶋政宏さんが出ていた詐欺師のドラマ、『素敵にダマして!』と、野沢尚さんのドラマ『水曜日の情事』ですね。

佐野
『素敵にダマして!』は未見でした。(調べて)サブタイトルは1話が「お金が欲しい」、4話が「心が欲しい」、最終話は「やっぱりお金が欲しい」。気が利いてる!ちなみに1位は・・・


三谷幸喜さんの『HR』っていう深夜ドラマに大きな影響を受けました。『HR』が1位です。定時制高校が舞台のドラマで、全部ワンカットで一発録りのような、舞台みたいな撮影だったんですよ。それまでも色々面白いドラマはあったんですけど、最終的にこの仕事をしたいと思ったのは『HR』を観て、です。

佐野
何がそう感じさせたんですかね?見たことないドラマだと感じたってことでしょうか?


そうですね。ドラマでこんなことができるんだ!と驚きました。

佐野
『HR』を観て心を決めた瀧青年はそこからどうしたんですか?


当時、就職氷河期だったんですけど、就職情報誌みたいなものを読んでいたら、映像制作の仕事、みたいな募集が普通に載ってて、東京に行けば映像の仕事はあるんだ、と思ってとりあえず上京しました。それでバラエティを主に担当していた制作会社に入って、ADをやってました。

佐野
どんな番組をやってたんですか?


最初は『伊東家の食卓』をやってました。ドラマではなかったんですが、同世代のADの友人ができたりして、結構楽しかったんですよね。その後、そこで知り合った先輩に紹介してもらってVシネの現場に入って。

佐野
一歩夢に近づいた感じですね。


Vシネで金融ヤクザとかが出てくる作品だったので、撮影で使う小道具の契約書みたいなものとかいっぱい作りました。そこでいわゆる「フリーの助監督」の人に出会って、こういう働き方もあるんだなと知って、所属していた会社を辞めてフリーになりました。一番最初にやったドラマは、(TBSの)石井康晴さんが演出した日航機墜落のスペシャルドラマなんですけど…

佐野
『ボイスレコーダー』ですね!すごく好きなドラマです!


そこから色々TBS系のドラマの仕事を紹介してもらってやってたんですけど、たまたまWOWOWの堤(幸彦)さんのドラマをやることになって、その縁でオフィスクレッシェンドに入ったんですよね。

佐野
私は就活ですぐテレビ局に入ってしまったのでやってきた仕事が偏ってるんですが、瀧さんはここまでで既にいろんな仕事していてすごいです(笑)


そこからしばらく、堤さんの仕事のほぼ全部で助監督をやるようになりました。『20世紀少年』とか『SPEC』とか。

佐野
『SPEC』は私の大先輩・植田博樹プロデューサーですね!そうだ、そしてその後に私が初めて瀧さんと出会うドラマ『99.9-刑事専門弁護士-』の話になるわけですね。『99.9』は2016年の4月クールだから、もう8年も前ですよ!恐ろしい。


何年何月とかよく覚えていますね(笑)

佐野
25歳くらいから、私の人生はドラマ制作とともにあるので、助監督の頃から今に至るまで関わったドラマがいつ放送だったかは全部覚えてますね…。例えば『ウロボロス』は2015年1月クールなんですけど、2015年、という話題が出ると、「ウロボロスの頃かぁ、何してたかな」というふうにドラマと一緒に人生の記憶がありますね。


なるほど、特殊!

佐野
そんなわけで2016年の4月に瀧さんと出会ったわけですが、私は『99.9』では台本作りと現場の番頭、みたいな役割だったんですが、全く手が足りていなくて助けてくれる人が欲しくて、木村(ひさし)監督に「誰かいないですか?」と相談して瀧さんを紹介してもらって、「とにかく一刻も早く合流してください」と頼んだような覚えが…


そのときのことよく覚えています。たしか最初は緑山(スタジオ)の前室で話しましたよね。

佐野
おかげさまで視聴率は良かったんですが、なんかそういう時って妙なアドレナリンが出るというか、(視聴率が)悪い時も大変ですけど、良いなら良いで「もっと面白く!」みたいなスイッチが全員入っているからどんどん撮影の量も増えていって、スケジュールはかなり厳しかったですよね。


変な言い方になりますけど毎週10日ぐらい撮影が必要な状況でした。

佐野
今じゃ考えられないようなスケジュールで撮影していましたよね。1日24時間じゃ足りないと真剣に感じたのは後にも先にもあの時だけです。


僕は監督としての別の仕事も入っていたので最初は断ったんですが、「その仕事もやっていいからこっちの仕事もやってくれ」と佐野さんに言われて、昼は自分の仕事の撮影をして、夕方から『99.9』の現場に行く、みたいな感じでしたよ(笑)

佐野
とんでもないプロデューサーじゃないですか!最近も「あの時佐野さんがこういうふうに言ったんで」と言われることがあったんですが、自分自身は全く覚えていなくて…。撮影中は完全に別人格になるのもあってほとんど記憶がなく、申し訳ない気持ちでいっぱいです。


いや、まあなんとかなったんでいいんですけど(笑)

佐野
物理的には本当に大変な現場でしたが、あの時死に物狂いでみんなが頑張ったからこそできたドラマだというのは間違いないですし、だからといってそのことを肯定するのではなく、これからはそういう状況にならないためにプロデューサーとして何ができるか、ということを考えていかなければならないなと今改めて思いました。
そしてそのときに瀧さんにすごく助けてもらったので、その後やる予定だったドラマ『カルテット』に入ってもらえませんか?っていうオファーをしたんですよね。


たしか『99.9』に合流してすぐの頃に『カルテット』の話が出て、「この人こんなにすぐにそんな話をして大丈夫かな?」と疑心暗鬼になった記憶があります(笑)

佐野
ひどい!(笑)きっと瀧さんならいい仕事してくれるってすぐにわかったんですよ!でも結果的には社内のシフトなどいろいろあって、瀧さんは他の作品に入ることになり『カルテット』には参加してもらえず、その後ずっとそのことでグチグチ言い続けました。


僕はそのことがあって、助監督としての仕事を受けるのをやめたんですよ。やめたって言っても誰に宣言するわけでもないので、自分の中で決めて、演出家としての仕事がなくても自分で責任を取るってだけなんですが。

佐野
たしかにフリーの助監督って、例えばサードからセカンドに上がる、みたいな時も自分で「次はセカンドをやる」と決めてやる、みたいな人もいますもんね。もちろん上の人に上げてもらう、みたいなケースもありますけども。
まあそれで『カルテット』への参加を断られた私は、その後も瀧さんとはよく飲みに行く友人になり、飲むたびに「瀧さんにはカルテット断られたんで〜」と言うようになるんですよね。2016年の4月に出会ってから、2020年まではただ飲んでました。


そんなに経ってるんですね!僕は2016年から2021年までの間に監督の仕事を本格的にやると決めて、深夜ドラマを中心にとにかくいただいた仕事を受けまくっていました。もちろん作品内容にも気を配りながらですけど、基本的にはいただいた仕事は全部やる、ぐらいの感じでした。

佐野
たぶん人生にはそういう時間も必要なんですよね。


そうですね、体は壊しましたが…。そしていただいた『大豆田とわ子と三人の元夫』の時も、オファーをいただいた時点でかなり無理めのスケジュールだったんです。

佐野
撮影中のことはすぐ記憶喪失になる私も、それはなんとなく覚えています。


ぶっちゃけ非常に忙しい時期だったんですけど、「今回は断りたくない」という思いで受けました。

佐野
ああ良かった〜。どうですか?やってよかった仕事でしょうか?


もちろんやってよかったです。ターニングポイントの一つになったと思います。佐野さんとも(監督として)仕事したかったし、最初に言いましたが『東京ラブストーリー』を観て育ったということもありますし。しかし『大豆田』はまた大変でしたよね。

佐野
2012年にプロデューサーデビューして以来いろいろな作品をやりましたが、『大豆田』は退社して初めてのドラマで、TBSの頃とは作り方が全然違ったのでかなり大変でした。完全に初めてのチームだったし、新型コロナウイルスもありましたし。今思うと、撮影監督の戸田さんや照明の秋山さんがいて、かなり贅沢なチームでしたよね。


たしかにそうですよね。そして佐野さん、大変そうでしたね(笑)

佐野
なんでいつもこんなに大変なんですかね?

ドラマ制作はみんな大変なんですが、佐野さんは特に大変そうでした。

佐野
たぶんTBSの時はチームもなんとなくシフトがあったり、ルールや慣習みたいなものがいろいろあったりしたのでそれに乗ることができたんですよね。大豆田の時は何も決まっていなくて、ある意味でなんでもできる状況だったので、全て手探りで作っていった感じでした。


僕は、そんな姿を見て「上手くいってほしいな」と思いながら自分も頑張ってました。でもなんか、毎回大変さが更新される感じじゃないですか?

佐野
前回よりも次の作品の方が大変になることが多いですよね。『エルピス』をやっている時はAPと「大豆田の時はよかったね」と話していたんで、たぶん大変さは毎回更新されてますね(笑)。もう少しのんびりやりたいと思っても、そうはいかないんですよ。どんどんハードルが上がっているんですよね、自分の中の。やっぱり見たことがないものとか、より面白いものとか、を追求してしまうというか…。「大変だった」話とか「大変自慢」をしたいわけじゃなくて、そのぐらい大変だったから撮れた映像とか、作れた作品というのが間違いなくあるんですよ。


それはよくわかります。何かやったことないことにチャレンジしたりとか、ドラマ作るのってどうせ大変だから、だったらやっぱり新しいことに挑戦したいですよね。
とはいえ、過酷な制作スケジュールの中でいろんなことが犠牲になっているのは間違いなくて。

後編につづく

監督・瀧悠輔
堤幸彦の助監督等を経たのち、ドラマ、映画の監督として独立。
現在、ドラマ『七夕の国』がディズニープラス「スター」で独占配信中。
インタビュー・写真撮影:CANSOKSHA

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