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尾上克郎さんへのインタビュー <br>第2話「撮影現場の食事情 古今東西」

映像と記憶の扉

尾上克郎さんへのインタビュー
第2話「撮影現場の食事情 古今東西」

尾上克郎さんへのインタビュー、第2話です。
第1話はこちら


“巨匠の偽物”同士として出会って

佐野
何がきっかけで樋口監督や庵野監督とお知り合いになられたんですか?

尾上
樋口君との出会いは、面白い話で。僕の師匠は主に東映の作品をたくさんやってた特撮監督の矢島信男さんなんですが、樋口君はちょうどその頃、平成ゴジラシリーズなどで活躍されていた東宝の川北紘一監督のもとで働いてたんです。で、アメリカの有名なVFX・特撮界のレジェンドの講演会があったんですよ。たしか場所は船の科学館だったと思います。僕らみたいな下っ端の若造じゃ呼んでもらえるわけもなく、死ぬほど行きたくても行けないわけですよ。そしたら師匠が自分に来た招待状をくれて、名代として行けることになって「矢島信男様」、って書かれた名札の席に座ってたら、隣の川北紘一監督の名札のところに座ってたのが樋口君。それが最初の出会い。

佐野 
お二人ともある意味師匠に会わせてもらった、ってことですね!偽物同士で隣同士。

尾上
そうそう。前から「樋口っていう面白いやつがいる」って気になってて、彼も僕のことをそれとなく知ってた。で、隣同士になって、飲み仲間になった。樋口君のつながりで庵野さんとも知り合いになって、それからずーっと「これってどうやってやったらいいかな?」とか相談し合ったり、一緒に温泉に行ったり、飯食ったりしてね。2000年くらいからは定期的に仕事をするようになりましたし。


樋口監督と新函館北斗駅にて(2023年)

佐野
そういう同世代の仲間がいるのは本当に素晴らしいですし、羨ましいです。職種は違うけど同じ業界でそれぞれ頑張っているっていう同志がいるって、ふとした瞬間にすごく励まされますよね。

尾上
若造の頃から一緒の仲間は気心が知れてて、目指しているものが似てるとなお話しやすい、っていうのもありますね。

佐野
有名な監督でも、長年一緒にやっていたプロデューサーや撮影監督がいなくなってしまったりすると、作るものがガラッと変わったりしますよね。やっぱり人間一人の力には限界があるというか、周りに信頼できる仲間がいてこそ、才能も発揮されるんだなと改めて感じます。

尾上
特に一度うまくいった後だと誰も駄目出しをしてくれなくなったりしますからね。そこは本当に大事なところだと思います。僕が一番怖かったのは(師匠の)矢島さんが亡くなったときです。怒ってくれて、小言を言ってくれる人がいなくなるという怖さを初めて知ったんですよね。

佐野
お恥ずかしながらまさに自分も今直面している課題です。矢島さんが亡くなられたのは何年ぐらい前のことですか?

尾上
5、6年前ですね。その時に、怒ってもらえたことがどれだけ幸せだったか思い知りました。何かを作っているときに誰も何も言ってくれないと不安になりますよね。

佐野
臆せず否定的なことも言ってくれる人が身近にいないと、批判的な言葉を求めてSNSで検索して気にしなくてもいいことを気にし始めてしまって…。

尾上
気にしてないことまで変に気になり始めたりしますよね。

佐野
特に作っている最中は、生身の人から直接言ってもらえる方が良いですね。

尾上
本当にそうです。口が悪くても、言ってくれる人がそばにいるのは大事です。自分一人になった瞬間って本当に怖い。

佐野
お話を伺いながら気になったんですが、尾上さんは基本的には現場にずっといらっしゃるんですか?

尾上
なるべく現場に出るようにしています。ほとんどの作品でプリプロもポスプロも関わるので一つの作品に関わる時間はかなり長いですね。
今は、監督とプロデューサーの間みたいな仕事が多くて、技術面での検証とかサポートが主ですけど、企画書段階から参加して、シナハンに行くとか、どういうスタッフを呼んだ方がいいか、VFXシーンの演出や予算は?何日ぐらいかかるのか、とかセカンドユニットの監督とか、という感じですね。


中国甘粛省ロケにて(2012年)

佐野
なるほど、たしかに演出でもありプロデュースでもありますね。尾上さんのお仕事に名前をつけるのがすごく難しそうです。

尾上
そうなんですよ。役職というのはその都度変えりゃぁいいって、思ってるんですけど、なかなか適当な役職名がなくてですね。『シン・ゴジラ』のときに庵野さんが「准監督でいいんじゃないですか」って言い出してくれて、最近は固定化しつつあります(笑)

佐野
エンドロールで拝見した「准監督」ってどういう役割なんだろうって気になってたんですが、そういうことだったんですね。昔つけられた部署や役割の名前がそのまま残っていても、今は全体を見なきゃいけないことが増えてきているので、適切なクレジットが何か、毎回考えていくしかないですね。

食が生活をつくる

佐野
ちなみに拘束時間が長いお仕事だと思いますが、心身を壊さないために気を付けていることはありますか?

尾上
どんなに仕事が夜遅くなっても、朝7時前には起きるようにしています。それは絶対ですね。きちんと食事を取って仕事が済んだら、お酒のんで、早めに寝る。深夜作業ももちろんありますし、特に連ドラだとスケジュールがきつくて、昼夜逆転の生活になりがちですが、昔からこの生活なので、大して苦にもならないです。

佐野
並行して複数の作品を担当されてると、それこそもう仕事に終わりがないというか、心身ともに完全な休暇はないですよね?

尾上
会社のこともあるし、ここ十何年かは頭の中まで休みというのはないです。でも少し時間ができると料理を作ります。料理を作るときは完全にリラックスできるので。

佐野
料理ですか?意外です!ご家族と食べる食事を作られているんですか?

尾上
そうですね、家族のために作ります。20年ぐらい前に、事情があって育ち盛りの息子二人を一年半ほど一人で育てなきゃならない時がありまして。やるしかなかったんで、それで料理を覚えたんですよ。

佐野
「やるしかないから覚えた」というのは今日のインタビューでも何度かお伺いしたお話ですが、まさかプライベートでまで!

尾上
仕事で簡単なのは作りましたけど、自分でいろいろ考えて人のためにちゃんと作ることはやってなかったんですよ。最初は全然うまくいかなかったけど、そのうちイメージ通りになんとなく作れるようになると、すごく楽しくなって。今じゃ、年の瀬にはおせちも作るようになりました。

佐野
な、なんとおせちまで作られるんですか!?

尾上
食材は妻が用意してくれることが多いですけど、仕事納めをしたら仕込む。一年の締めにもなるし。やっぱり無心になれる時間って大事ですよ。照れくさいけど家族に美味しいものを食べさせたいなって思いながら作ると、いい時間になりますしね。
普段は妻が家にある食材の中で使ってほしいものをまずリストにしてくれて、それを見てメニューを考えます。合理的で効率がいいし、この組み合わせで何ができるかって悩むのも、映画の仕事に似てるところがあると思います。

佐野
名監督には料理が上手な方が多いと昔から言われてますもんね。

尾上
プロの料理はもちろん美味しいけど、やっぱり自分の好きな味ってあるじゃないですか。仕事で地方に行ったときに美味しいお店を教えてもらって、味付けを盗むのも楽しいですし。

佐野
たしかに、今はなかなか行けないですが、地方ロケや海外ロケでも現地での食事がすごく楽しみですもんね。

尾上
そうそう。僕が若い頃は、ケータリングはまだ映画の現場にはなくて全て弁当だったからそれが当たり前だと思ってたんだけど、ロケ弁文化は日本独特で、海外だと特別に頼まないと出てこないですね。日本で最初に撮影現場でケータリングをやったのが角川春樹さんだと思います。映画『愛情物語』の時にキッチンカーが来て、あったかい食事が出てきた。すごくびっくりしたし嬉しかった。

佐野
撮影現場の食事情って、昔と今じゃかなり変わったんですか?

尾上
全然違いますよ!今の方がずっと良くなってます。昔は本当にひどかった(笑)。一番ひどい弁当なんて、白米と梅干しと漬物だけとかでした。

佐野
梅干しと漬物だけですか!?それはなんと大胆な・・・

尾上
中がスカスカだから弁当を振るとカラカラ音がしたりして(笑)それに昔は歩道で座って弁当食べてたし、今みたいにちゃんと食事場所が確保されてなかった。なんていうか、スタッフの人間性が守られていなかったんだよね。

佐野
コロナ禍も影響してますけど、今はその辺りはちゃんとしてきましたよね。

尾上
食事はやっぱり大事ですね。初めてのプロダクションやプロデューサー、監督と仕事をするとき、食事をどういうふうに考えるチームなのか、ということをまず見ちゃいますね。ちゃんと考えてるチームはロケハンでも時間やルートを細かく計画して、前もって行くお店を決めて予約しておいてくれる。でも、そこらにこだわりのないチームは、コンビニで済ませたり、行き当たりばったりでいい加減。経験的に、そういうチームは大体撮影の途中で何か問題が起きたり、スタッフから不満が出たりで、うまくいかないことが多い気がします。

佐野
たしかに食事の手配には、どのぐらいきちんと段取りを整えられるか、とか、ものづくりに対する考え方とか、色々現れてしまう気がしますね。多種多様な数々の現場を経験してこられた尾上さんの言葉は重みがあります。

尾上
僕のチームで撮影をやるときは必ず「肉の日」ってのをやります。でっかい厚い鉄板を用意して、肉やら何やらを大量に買い出しに行って、皆で焼いてとにかく食べて、飲んで。


肉の日

佐野
めちゃくちゃ楽しそう!それは空気が変わりそうですね。

尾上
天気が悪くて明日撮影は中止、って時でも、「肉食べようぜ!」って。そういうときにあれこれ悩むより、切り替えた方が現場の結束も雰囲気も良くなるし、次の日からの効率も上がるんですよね。

タルタルステーキまで!?
海外ケータリング事情

佐野
やっぱり制作現場をもっと人間的な場所にしていきたいですよね。海外の現場だとどうなんでしょうか?ヨーロッパの現場はケータリングが素晴らしいという話を聞くんですが…


ワルシャワ旧市街(世界遺産)をブロックして撮影。戦車も走れる

尾上
いいですよ。選べるメニューが少なくとも三つくらいあって、その場で料理してくれるときもある。肉料理、魚料理、ベジタリアン用とか、選べるんです。

佐野
それは贅沢ですね!日本の現場だと一斉に休憩に入るのでケータリングにどうしても行列ができてしまうんですが、そういう問題はないんですか?

尾上
日本人スタッフが多いと習慣でそうなっちゃうんですけど、海外のクルーがメインのときは、ちゃんと食事の時間を管理する専任スタッフがいて、全員が一気に休憩に入らないように調整してくれることが多いです。食事の出来上がり具合も、現場の状況もちゃんと見ていて、その時仕事に余裕がある人に声をかけて時間差でうまく回すんだよね。だからシェフがずーっと何かを作ってる(笑)。向こうの現場では「6時間ごとに食事」っていうルールがほとんどで、ロケ場所についたら、まずケータリングでご飯を食べて、その6時間後に食事、途中で軽食休憩もあるし、何時開始でも、大概そのサイクルですね。

佐野
何か記憶に残っているケータリングでの食事ってありますか?

尾上
色々ありますけど、ポーランドでは朝のケータリングの時に、シェフに「昼にタルタルが食べたい」と言ったら生肉の塊を切り出してわざわざ叩いて作ってくれて、それはすごく美味しかった。


ポーランドのケータリング

佐野
もうまるで夢のような世界なんですが、根本的に考え方が違いますね。

尾上
人生があって、仕事があるっていう感じだよね。家族とかプライベートがまずあって、それに合わせて仕事をして、人生が成り立ってる。日本だと逆ですよね、仕事が先にあって、プライベートは後回しになっちゃうから。

佐野
あとは、例えばアメリカでは不当なことがあったらきちんと戦って権利を勝ち取る、という歴史というか精神があるけど、日本ではそれがなかなかないできないですよね。契約書すらなかなか交わされてこなかったですし。

尾上
海外だと、契約書が分厚くて、ギャランティや雇用条件、休暇、労働時間はもちろん食事に関することもしっかり書いてあります。日本でも少しずつ変わってきてはいるけど、まだまだだよね。これについては、関わる一人ひとりが考えを変えていかなきゃ本当にダメだと思います。制作費は限られていても、スタッフの食事やクラフトサービスの予算はきちんと確保されるべきだと思います。ここには絶対手をつけないという大前提で、残った予算からそれに見合った内容やスケールの作品にしていくべきじゃないのかなと。スタッフの最低限の権利を削ってまで身の丈に合わないことをやろうとするのは、ちょっと違う気がします。作品の規模がどうだろうが、その芯の部分は同じだと思うんですよ。

佐野
確かに、例えばワンチーム1ヶ月の食費はこれぐらい、とかもう経験でみんなわかるわけだから、それをきちんと確保して、他のことでここに手をつけちゃいけない、みたいなルールがあればってことですよね。

尾上
そう思います。あと喫緊の課題として現場の託児所ですね。

佐野
おっしゃる通りです。私自身もこれから死活問題なので、何とかしようと思って、今いろいろリサーチをしています。
以前、ある映画会社の役員の方と食事をしたときに妊娠していることを伝えたら、「お母さんになったら仕事できなくなるじゃないですか」って言われてびっくりしました。でもそれが撮影現場の現実なんですよね。

尾上
そういう考えの人は少なからずいますよね。食事のこともそうだし、スタッフの福利厚生面も制作費に組み込んで、何%かは託児所とか子育て支援に当てる、っていうのが理想だと思います。

佐野
今日は本当にいろいろすごいお話を聞けて、まだ脳の情報処理が追いついていないのですが、尾上さんにどうしても一つお伺いしたいことがありまして…。一つの作品に長く関わられる以上、並行して何本も担当してらっしゃると思うのですが、どうやって時間や頭の中身をやりくりしていますか?

尾上
今は5本ぐらい並行してやってます。1日に複数の作品のことを考えるのはやっぱり難しいから、日ごとに分けるようにしてますね。今日はこれ、明日はこれ。出かけなきゃいけない用事は複数の案件でも1日にまとめたりするけど、ちゃんと考えるのは1日に一つしかできないなと感じてます。

佐野
なるほど!今そのことが人生の一番の課題で、子育てで可処分時間が圧倒的に短くなってしまったので、もう朝保育園に送り出してから夕方お迎えの1時間前までと、寝かせてからの2時間、をどう活用するか毎日必死です。二つのドラマのことを1日でどうにかやりたいって思っても、結局どっちも中途半端に終わってしまって。並行して仕事をしている方はどうやってるんだろうって、ずっと疑問だったんです。


尾上
僕も最初は同じように悩んでました。いつ頃からかな…仕事が並行して入り始めたのは2005年くらいからですかね。それまでは年に1本か2本映画をやっていただけだったんですけど、だんだんいろんな人からお話をいただくようになって、やらざるを得なくなってきて。最初はどれもこれも中途半端な感じがして、これじゃだめだ、って感じでしたけど、続けているうちに自分ができないところは誰かが埋めてくれるだろうって思えるようになりました。とにかく信頼できる周りに投げる。

佐野
なるほど、そういう気持ちの切り替えと、あとは投げられる周囲の人、ということですね。

尾上
ずるくなったって言い方もできるかもしれないけど、熟考する時間がとれなくても打ち合わせのときに瞬発力でギリギリの判断をするのがうまくなったんですよ。そもそも駄目なものは、どれだけ悩んで考えても駄目ってわかるようになって、そっちはさっさと諦める。それでちゃんと寝てリセットする。人に投げられるものは投げる。そして、そのリアクションが来てから判断をすりゃいいか、と。

佐野
なるほど。自分で悩んでいる間に、誰かに投げて考えてもらえば、それで面白い答えが返ってくるかもしれないですしね。

尾上
そうそう。投げられる人を増やすっていうのも大事なことですね。

わたしの素

この業界のレジェンドである尾上克郎さんと初めてお会いするにあたり、非常に緊張しながらインタビューを始めたものの、たくさんの現場でいろいろなお仕事をされてきた尾上さんだからこそだと感じられる優しさとあたたかさがあり、気づけば2時間以上、個人的な身の上相談まで。尾上さんが仕事や生活の中でどれだけ食を大切にしているか、それがどういうことに影響し、どういうものを形作っているのか教えてもらったような気がして、改めて自分自身のことを省みた。昔はもっと現場の炊き出しで温かいスープやシチューを作ったり、打ち上げがてらみんなでバーベキューをしたり、そうした時間を大切にしていたように思う。コロナ禍で失われてしまったささいだけど貴重な場を、少しずつ、形は変えても取り戻していきたい。まずは次のドラマで「肉の日」を真似させてもらおう。みんなで焼きたてのお肉を食べながら、どんな作品にしていきたいか話し合う時間を今からとても楽しみにしている。



尾上克郎
1960年鹿児島県生まれ。株式会社特撮研究所専務取締役、日本映画大学特任教授、大阪芸術大学客員教授。第73回芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
主な作品、『陰陽師』(2001年)、『日本沈没』(2006年)、『のぼうの城』(2012年)、『進撃の巨人・前編/後編』(2015年)、『シン・ゴジラ』(2016年)、『大河ドラマ:いだてん ~東京オリムピック噺~』(2019年)『シン・ウルトラマン』(2022年)など。
インタビュー・写真撮影:CANSOKSHA

 

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