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チオベン 山本千織さんへのインタビュー前編<br> 「運命の波を乗りこなす」

映像と記憶の扉

チオベン 山本千織さんへのインタビュー前編
「運命の波を乗りこなす」

──── ドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』のクランクアップのお祝い弁当で初めてチオベンを食べてその美しさと美味しさに感動し、その後ご縁があってプライベートでもお会いするようになりました。千織さんの美味しいご飯を食べながら、好きなドラマやアイドルのお話をするのはかけがえのない時間で、とってもチャーミングな千織さんのこれまでのこと、これからのことを聞いてみたい!と思いインタビューをお願いしました。

千織さんプロフィール>
料理人。北海道生まれ。美大を卒業後、さまざまな飲食店で料理を手がけ、2011年に東京・代々木上原で弁当販売店「chioben(チオベン)」を開業。現在は、撮影現場への弁当の仕出し、ケータリング、雑誌や広告へのレシピ掲載、イベント出店など幅広い場面で活躍している。著書に『チオベン 見たことのない味チオベンのお弁当』(マガジンハウス)『チオベンの作りおき弁当』(PHP研究所)などがある。

佐野
千織さんがチオベンを始めたきっかけについて、もともと地元の北海道で妹さんとお店を始めたというお話を聞いたことがあるんですが、改めてそのスタートから教えていただいてもいいでしょうか?

千織
実は私は結構早く結婚したんです。大学を卒業すると同時に結婚して、その相手が飲食業をやっていて。結婚して2年後くらいかな、その頃にお店を始めることになったんです。私は特に仕事をしていたわけでもないし、お店を手伝わなきゃと思って。家では料理をしていたんですけど飲食業の仕事は未経験だったので、お店のシステムとかも全然わからなくて、「この人(夫)が作って私が出せばいいんだ」ぐらいに考えてやっていたんですけど、2年くらいして破綻しました。

佐野
ご夫婦の関係が、ですか?

千織
はい、結婚した時私は22歳で、相手は1つ下だったので、若すぎましたね(笑)。それに、お店でも家でもずっと一緒なのでお互い不満が溜まる部分もあったかな、と思います。それである日彼が「海水浴でも行ってきたら?」って言ったんです。「え?いいの?行ってくる行ってくる!」って、私そのまま出かけたんです。で、帰ってきたら家の物が半分なくなっていました。

佐野
ええ!?

千織
そのとき私は「家出したんだな」ってすぐに理解して。結構冷静でした。家の中を調べたら離婚届が置いてあって。で、レコードの棚を見た時にすごく冷静に「レコードが半分ない」「あ、あれは持っていかれたな」と一個ずつ確認したのをはっきり覚えています。悲しいという感情の前にまず「持っていかれた物リスト」を頭の中で作っていたようで…

佐野
ああでも、私も最初に離婚した時似たような感じがあった気がします。「あれを返してもらっていない」とか、今思えばどうでもいいことにすごくこだわった記憶があります。

千織
私の場合は「あれはいるんだ」「これはいらなかったんだ」となんだか達観したような気持ちだったのと、矢野顕子のレコードが残ってたから「まあいいか」と思った記憶もあります(笑)。

佐野
スタートからめちゃくちゃ面白い話ですね(笑)。「海水浴でも行ってきたら?」という声のかけ方がまたフィクションでは思いつかないようなセリフで…。そこからお店もある中でどうされたんですか?

千織
当時は第一次地酒ブームで、夫とやっていたお店も地酒とお料理を出す居酒屋だったんですけど、彼は「いつか酒を造りたい」とずっと言っていたので、「ああ酒造りに行ったんだな」と思って。実際、酒蔵を探したら2軒目で見つけました。

佐野
なんとすごい嗅覚!

千織
電話口で「もう探さないでくれ」って言われたんですけど、「いやいや、もう見つけちゃったから」って。

佐野
ドラマよりドラマみたい…。

千織
お店のことは(彼の)親と相談して好きにしてくれって言われたので、飲食店で働いていた友人たちに手伝ってもらって、営業を続けることにしました。

佐野
そこで自分でやっていこうって思えるのがすごいことですよ。

千織
中華鍋、あるじゃないですか。あれにね、タイのお土産でよくもらうようなえびせんを入れて振ってみたら、くるくる回せたんですよ。それを見て「あ、これいけるかも」と思ったんです。「私、やっていけるんじゃないか」って。

佐野
今目の前に20代の千織さんが中華鍋を回しているところがふっと浮かびました。ここまでなんていうか…映像的なお話ばかり。そして、人が何か動き出すときて、想像もしないようなきっかけだったりしますよね。

千織
でもさすがに未経験だったので、めちゃくちゃ大変でした。結局その後、時代もあって地上げがあったりして、お店を売ることになったんですけど、24歳でお店を始めて、2年後に一人でやることになって、その後2~3年はやりましたね。で、30歳手前で自由になったんですけど、大学卒業してから就職もせずに結婚して、そのまま飲食の道に進んできたので、結局私のキャリアは「料理」になってたんです。

佐野
たしかに20代はずっと飲食とお料理のお仕事ですもんね、図らずも。

千織
自分が選んだわけじゃなくて、流されてきたんですよ。それで一区切りついて自由になった!と思っても特にしたいこともなくて、とりあえず1ヶ月くらいタイに行って帰ってきて、お土産を持って、親しくさせていただいていた(札幌にある)シアターキノの社長に会いに行ったら、「暇ならうちのお店手伝わない?」って言われて結局また飲食の道に舞い戻りました(笑)。

佐野
ここでも人の縁なんですね。私自身も、そもそもテレビ局を受けようと思ったのが、大学生の頃に付き合っていた人がアナウンサーの試験を受けていて、エントリーシートを書くのを隣で見ていたんですよ。その内容が結構面白くて、「テレビ局の試験って面白そう」って思って、そのノリのまま受けたら受かってしまって今に至ります(笑)。 「絶対にこれをやりたい」みたいなものがあったわけではなくて。千織さんのお話を「人生ってそういうもんだよな」って思って聞いていました。

千織
本当にそう思う。だから多分、志とか意識を高く持つとかはあまりなくて、それこそドラマとか観ていても、自分が共感できるのってもっと淡々としてて、いろんな関わり合いの中で偶然進んじゃったものとか、そういうものに惹かれます。がむしゃらにひたすら突き進んできました、っていうのじゃなくて。

佐野
例えば千織さんの現在地をゴールにしてドラマを作ろうとすると、「北海道で生まれ、料理をする母の背中を見る小さい千織さん、小さなことからよくお手伝いをしていて料理が大好きで〜」みたいなところから始めたくなっちゃいます。

千織
そういうのを勝手に思い浮かべちゃうみたいなところありますよね。それと繋がる話なんですが、私は「この映画の中の好きな料理を選んでください」というような質問をされるのが苦手なんです。料理のシーンはすごく好きなんですけど、このことを説明するのに、まずこの本のことを紹介したくて。武田百合子さんの『ことばの食卓』って本なんですが…

佐野
初めて聞きました。

千織
(本を開いて)例えばここでは食卓の食べ物について書かれてるんですけど、なんだか美味しくなさそうなんですよ。本人は多分、美味しくなさそうとか美味しそうとか考えて書いてない気がするんですけど。

佐野
『梅干しの周りの薄牡丹色に染まったご飯粒とたくあんの周りで黄色く染まったご飯粒』なるほど。

千織
その弁当を包む新聞紙が、天皇陛下が載っている新聞紙だと親にすごく怒られたとか、食べ物の美味しさっていうよりは、もうちょっとその周りの情景ごと料理をとらえてる感じがすごく好きで。

佐野
向田邦子さんが書かれるものとちょっと同じ空気を感じますね。

千織
向田さんも大好きです。そうですね、時代もきっとすごく近いし。

佐野
たしかに、これが美味しかったとか全然書いてないけれど、その情景が浮かんでくる書き方をされてるんですね。
ここまでお伺いしてきた千織さんの食に関わられてきた人生の物語が、すごく映像的というか、食べ物単体というよりその情景ごとふわっと頭に浮かぶようなお話ばかりなので、今なんだか腑に落ちました。
千織さんの人生の話に戻ると、シアターキノの居酒屋のお手伝いをしてからチオベンに辿り着くまではどんなことがあったんですか?

千織
1997年のフランスワールドカップ予選の時に、友達とテレビで日韓戦を観ていて、日本が逆転負けしたので床でふて寝してたんです。そしたら妹から電話がかかってきて、こんな時間になんだろうと思って出たら、その当時、妹が脱サラした旦那さんと飲食店をやってたんですけど、「旦那さんが家出した」って言ったんですよ。

佐野
まさかの…

千織
「家出したから、千織ちゃんちょっと来て手伝って」って言われて、いや姉妹2人して夫に家出されるって…って思いましたよね(笑)。

佐野
いや、面白いって言っちゃいけないけど、めちゃくちゃ面白いですね。

『イベント出店時、遊びに来てくれたお母様と妹さんと』

千織
で、とりあえず手伝ったんですけど、妹が自宅の寝室に手紙が置いてあるって言って。

佐野
え!?まさか…
千織
遺書じゃないって言って。妹宛とか息子宛とかと一緒に、私への手紙もあったんですけど、私「絶対に読まない!」って言って読まなくて。自分がいなくなったら(妹の)千春さんがお店をやる羽目になるから、手伝ってあげてみたいなことが書いてあったみたいで。で、まあ1週間ぐらいしたら戻ってきたんですよ。

佐野
ここでもまたドラマみたいな展開が…

千織
でも妹は「もう一緒には働けない」となっていたので、いろいろありましたが私はその間10年ぐらい手伝いみたいな形でずっと働いてたんです。30代の間めいっぱい。でも40過ぎた時ふと「もう12年目になるな、あれ?これ一周した?」って思ったんですよ。

佐野
その「一周」という捉え方がなんだか千織さんらしいですね。

千織
そうしたらちょうど東京にいる友達から「知り合いが飲食店を出したいって言ってるんだけど、千織ちゃんやらない?」って連絡が来たんです。それで料理を見てもらって「じゃあやりましょう」ってなって、40過ぎて突然東京にやってきたんです。

佐野
すごい展開になってきました。そこで飛び出してこられる千織さんの度胸がすごい。

千織
でもここでまた思いがけないことが起こるんです。その飲食店を出したいと言っていたオーナーさんが「年内中に物件が見つかればやるけど、占い的に来年1年は何もやっちゃいけないって言われてる」って言いだしたんですよ。もうそのとき10月とかで。

佐野
えっ?

千織
「だからもう1年待って」って。でも、「いやいやいやいや、無理だよ」と思って(笑)。もう出てきちゃってるし、札幌に戻るつもりはなくて、なんとなく東京でならやれるんじゃないだろうかって気持ちになってて。私、都会が好きなんですよね。一人が変じゃないんですよ、都会って。札幌みたいなそれなりに大きな街でさえも、一人でいるっていうことがなんだか目立っちゃうっていうか、それがすごい面倒くさくて。

佐野
40歳過ぎて、生まれ育った場所からも離れて、やるはずだった仕事もなくなって、そこから一人でまた頑張ろうっていうか、やれるんじゃないだろうか、って思える千織さんがドラマの主人公みたいです。

千織
そのあとは代々木上原のブータン料理屋さんを紹介してもらってそこで働いてたんですけど、お昼の営業をやっていなかったから、お昼なにか出していいですか?って聞いたらOKをもらえて。普通に定食みたいなものを出してたら、お昼だけ来るお客さんも結構増えてきて、ようやく東京での生活が軌道にのりました。

佐野
今はお昼の営業を間借りでやるお店も増えましたけど、当時はそんなになかったですよね?すごい先駆けです。

千織
でも、突然ブータンから人が来ることになったからやめなきゃならなくなったんです。どうしようって思っていたら、お店の向かいに朝までやってるバーがあって、そのバーのマスターが「うちはお昼使わないからお昼出していいよ、でもうちはバーで食器がないから使い捨ての弁当箱に入れて出したら?」って言ってくれたんです。炊飯器でご飯を炊いて、副菜は家で作って保存容器に入れて持っていって、春巻きとか唐揚げとかはそのバーで揚げて、できたてを弁当箱に詰めるっていう。

『お惣菜と炊飯器を運ぶ』

『当時の入り口』

佐野
まさかの、そこでチオベンがスタートを切ることになるわけですね。

千織
ただ、近所の人しか来てなかったので弁当箱っていうよりもお皿替わりなんですよ。蓋はしないから蓋だけ大量に余りました(笑)。自分の感覚としてはワンプレート料理を弁当箱に盛り付けてるようなイメージで。詰め方は今と全く変わってないんです。

佐野
たしかに千織さんのお弁当って美しいワンプレート料理って感じがしますね。

千織
カップとか仕切りを使ってないのでそう見えるかもしれません。当時はそういうことをしているお店がほとんどなかったので、よく指摘されました。でも自分としては「そりゃそうだよ、そもそもお弁当を出すつもりで作ってないから!」と思ってたんですけど(笑)。

佐野
たしかに仕切りのないお弁当もその当時は見たことがなかった気がします。

千織
それで、ブータン料理屋でお昼の定食を作ってた時に来ていたお客さんがたまたま入ってきて、「なんだここに移動してお昼やってたんだ、しかも弁当にできるなら現場持ってきてよ」って言われたんです。

佐野
それが正真正銘のチオベンの始まりですね!しかもここでもたまたま会った人の声かけでスタートするのか…。

後編へ続く

 

山本千織
料理人。北海道生まれ。美大を卒業後、さまざまな飲食店で料理を手がけ、2011年に東京・代々木上原で弁当販売店「chioben(チオベン)」を開業。現在は、撮影現場への弁当の仕出し、ケータリング、雑誌や広告へのレシピ掲載、イベント出店など幅広い場面で活躍している。著書に『チオベン 見たことのない味チオベンのお弁当』(マガジンハウス)『チオベンの作りおき弁当』(PHP研究所)などがある。
インタビュー・写真撮影:CANSOKSHA

 

 

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