ある週末、友人からメッセージが届いた。アート系の本を主に扱う書店で、彼女がこれまでコレクションしてきたアンティークの花瓶を販売するという。花一輪を添えて。なんて素敵な企画だろう。「行くー!」と即答した。
花瓶の会は、突然決まったらしい。
金曜日に仕事が終わったところで、彼女は、ちょっとおしゃべりをしに前述の書店を訪れた。そこで、いつか実現したい花瓶屋の話をしたのだそうだ。
“どこかの店の一角を一日だけ借りて出店し、そこに立ち寄ってくれた人が家に帰ってから「今日は買わなかったけれど、あの花瓶やっぱり欲しいから明日買いに行こう」と思って翌日戻ったら、店は通常営業で、花瓶屋はどこにもいなくて、あれ?あの花瓶屋は? 夢だった? と思うような、不意にどこかに出没する花瓶屋”。
そんな構想ゆえに、花瓶活動の名前をcabin.e.dream (花瓶と夢)にしている。そう説明したら、「バレンタインにやろう!」と急展開した。
初めて開催することが決まった花瓶の会には、「一輪挿しを50個ほど持っていく」と友人は言った。そして、花瓶を購入するお客様には、花を一輪その場で選んでもらい、一緒に包んで渡す。
聞いただけで嬉しくなった。フランスでは、バレンタインに花を贈るのが定番だ。それが、“まず一輪挿しを選んで、それに合う花一輪を添える”と発端が花瓶になるだけで、選ぶ思いと贈る楽しみが二乗になる感じがした。
だからか、私も何か贈りたい気持ちになって、思いついた。「そうだ!モワルー・ショコラを焼いて、差し入れにしよう」。
モワルー・ショコラは、料理学校で製菓過程を終えた後、ホテルの厨房で研修をしたときに、毎日ひたすら仕込みをし、ランチタイムに焼き続けたお菓子だ。フランス人はともかくチョコレートが好きで、6人テーブルの6人ともがデザートにはモワルー・ショコラを注文してくることがざらにあった。20年以上たった今でも、レシピは覚えている。そのレシピではチョコレートのメーカーも種類も決まっていて、私はそのチョコでこれまでずっと家でも作ってきたのだけれど、実は最近になって、試したいことができた。それをこの機会にやってみることにした。
この連載で、「明日の朝ごはん、なに食べようかなぁ。」の回に出てきたパン・オ・ショコラ、そして、「マイナス5℃の朝。」で登場したショコラ・ショ。食べた店は違えど、実を言うと、チョコレートは同じ店のものが使われている。それを知ったときから、自分でもそのチョコレート店のチョコを使って何かを作りたいと思っていたのだ。好機を得て、早速、カカオから自社でチョコレートを製造している店Plaq(プラック)に買いに行った。
商品の並ぶ棚を見ると、“溶かす用”と書かれたパッケージがあった。それはどうやらチョコが細かい粒状になっているようだ。これかなぁ…と思いながら、スタッフに尋ねた。
「Le Doyennée(ル・ドワイヤネ)で食べたパン・オ・ショコラと、Tram(トラム) のショコラ・ショがびっくりするほどおいしかったので、自分でモワルー・ショコラを作るのに、プラックのチョコを使って作りたい、と思って来たのです」
そう伝えたら、スタッフの女性はとても喜んだ。
「それは、すごく嬉しいことを聞けました。ありがとうございます。ル・ドワイヤネとトラムがどのチョコを使っているのかはちょっと確認してみないといけませんが、可能性があるのは3種類あって、そのうちのどれかになります。なので、それらを味見してみませんか?」
「ぜひ!」
食べ比べてみたら、最初に口にしたものが、いちばん好みだった。そのチョコは、板状と“溶かす用”として粒状でも用意されているものだったので、ショコラ・ショを作ることも見越して、480g入りの大きい方のパッケージを買うことにした。
さて、これで、今までよりもおいしいものができるのだろうか。
わたしの素
レシピはいつもと同じまま、ただ、チョコだけを替えた。
混ぜ合わせたものをひと口舐めてみたら、すでに、味が軽やかな気がした。
この状態でひと晩寝かせる。
そして、翌日。だいぶ久しぶりだったからか、焼くまでは良かったのだけれど、焼き上がって型を外す時に、ひとつ、失敗した。中からとろとろのチョコレートが外に流れ出てしまった。
でも、ちょうどいい。届ける前に味見をしたかったから、せっかくだし、温かいうちに食べることにした。
思わず声が漏れた。おいしかった。生地のなめらかさは変わらぬまま、これまでよりもスッキリと軽やかで、雑味が削られたような味だった。幾度となく焼いてきたお菓子が、20年以上の時を経て、初めての印象を残した。ずっとロングヘアだった人が、ベリーショートにしたら、突然ハッと息をのむほど垢抜けたみたいな感じだ。こんなことってあるのだなぁ、と思ったら、好奇心が湧いた。今度は、大きな型で、ひとつ、ドーンと焼いてみたい。もっと洗練された仕上がりになるのではないか、という気がする。
それがうまくできたなら、また、ちょっとした機会に誰かに贈ろう。久しぶりに、最初から贈る目的でお菓子を焼いたら、作っている間じゅう、ずっとうれしかった。