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めぐり逢い

パリの空気の扉

めぐり逢い

1か月の半分ほどは、お昼ごはんにサンドイッチを食べている。
その日に食べたサンドイッチのパンの種類にもよるのだけれど、それで、おやつはなるべく小麦粉の割合が少ないものを選ぶようにしている。小麦粉の摂取が多くなると、だんだん体の中が詰まってくるような感じがして、週末を迎える頃には、どうも動きが鈍くなる気がするからだ。とすると、甘いものをひと口、ふた口つまみたくなった場合に、焼き菓子という選択肢が消える。たまに「これは、アーモンドプードルが結構入るから、いいかな」と自分に言い訳をして買うこともあるのだが、意外なことに、ひと口で満足してしまったりする。その時々で、ある目的に向けて、何かテーマに基づき、同じ種類の食べ物を一定期間食べ続けるような生活を20年以上も続けた結果、なのかどうかは定かではないにしろ、今や私の体は、欲に流されない、本当の欲求を即座に示すようになった。

 

数週間前のこと。

今年に入ってから繰り返し足を運んでいるサンドイッチ店があって、その日も閉店間際にランチを食べに訪れた。6年ほど続く、サンドイッチがテーマの連載で記事を書かせてもらったサンドイッチを、改めてじっくり味わいたかったのだ。2テーブルしかない小さなその店へ行くには、自宅から50分ほどかかるから、テイクアウトをするよりもその場で食べたくて、いつも客足が落ち着いた頃を狙って出かける。そして帰りには、遠出したついでに、道中でどこか立ち寄らなければいけない場所をセットにして、何かしら用事を済ませることが多い。それが、その日は、どこにも寄り道する予定がなかった。50分もかけてサンドイッチを食べに行くというのは、ちょっとした遠足のような気分で、帰りの足取りも軽いものだから、そのまま家に帰るのはどうも寂しい。「どっか、寄りたいなぁ……」。ふと、駅までの道をほんの少し脇に入ったところにあるブーランジュリーに目がいった。そのまま自然と、ふだんは素通りするその店に、足が向いた。

そうしたら、出合ってしまったのだ。まさに自分の好みのタイプに。

その店でのお気に入りは、クロワッサン・オ・ザマンド(croissant aux amandes)だ。かつてホテルの厨房で研修をした時に、朝食メニューの一つとして出すクロワッサン・オ・ザマンドの仕込みを任されていた私は、ちょっと思い入れがある。と同時に、なかなかのカロリーになる材料の分量も思い浮かぶから、あまり買わないようにしているけれど、食べて、好みの塩梅のものだとやっぱりうれしい。ところがその日、幸か不幸か、クロワッサン・オ・ザマンドはなかった。しばらく来ていなかったから、もう作っていないのかもしれないし、もしかすると、週末限定での販売なのかもしれない。さて、どうしよう。私の視線は、サンドイッチやキッシュなどの食事系アイテムをすっ飛ばし、いちばん奥にあるケーキの並ぶショーケースに、向かった。

そして、フランを食べてみよう、と思った。

フランは、パン屋さんで作られる代表的なお菓子で、フランス人にとって最も身近なケーキではないだろうか。ともかく、好きな人が多い。チョコレートと並んで、“好きじゃない”という人に会ったことがない。でも、私は、ずっと、そのおいしさがわからなかった。どれを食べても、「うーん……」と躊躇いながら首を傾げたくなる感じだったのだ。カスタードクリームをパイ生地(店によっては、練り込み生地)に流し込んで焼くだけの至極シンプルな作りゆえに、きっと、好みの加減が、微妙なバランスの違いで左右されるんじゃないかと思う。以前は、カスタードの部分がもったりしているタイプが多くて、その要素だけでもおなかが張るのに、加えて、一人分が「ねえ、これっていつのタイミングで食べるの?」と聞きたくなるくらい、例外なく大きかった。大袈裟ではなく、それとコーヒーでランチになるくらいのボリュームだったのだ。もちろん、何度かに分けて食べればいいのだけれど、味よりも、ひょっとすると、この「いつ食べたらいいんだ一体?」という戸惑いの方が、私とフランの間に立ちはだかっていたのかもしれない。

それが、いつしか、素朴な焼き菓子が繊細さを持ち合わせて、パティスリーでも作られるようになり、見かけることが増え、レストランのデザートにも登場し始めた。これまでどちらかというと敬遠していたお菓子の新たな表情を見せられたら、興味が湧き、食べるようになった。だって、人々があんなにうれしそうに食べるのだ。それだけの魅力があるはずで、そのうれしさに私も開眼したいと思っていた。

わたしの素

出合いは突然やってくる、なんて言うことがあるけれど、ここへ来てこんなにも好みのタイプに巡り合うことになろうとは、思ってもみなかった。それくらい好みだった。フランは、プリンのような存在かと思っていたのは、たぶん、違う。むしろこれは、シュークリームだ。そうだった、そういえば私はずっとずっと、好みのシュークリームも探している。

ひと口食べた瞬間から、一気に興奮して、そう、ぱんっと閃いた。「そうか、フランはシュークリームだったのか!」と。どんな点がシュークリームで合点がいったかというと、まず、クリーム。私にとっての理想のシュークリームは、子供の頃、日曜の夜にたまに家族で出かけたとんかつ屋さんの帰りに寄っていたケーキ屋さんのシュークリームだ。そこのシュークリームは、シューの切り口に、カスタードクリームと生クリームを2層に絞っているタイプだった。そのカスタードクリームと生クリームの量のバランスが、もう、すごくよかった。その二つが、口の中で一緒になるのが、たまらなく好きだった。あらかじめカスタードに生クリームがたっぷり加えられて、軽やかで滑らかに仕上げたクリームがシューに挟んで(あるいは、詰めて)あるのももちろんおいしい。だけどそれだと、なんか、楽しみを一つ取られてしまった気がするのだ。

そのシュークリームは、思い出の味になった。到着が6時を過ぎてしまうと、店から割烹着姿のお母さんが出てきて「もう今日はお肉がなくなりました」と言われるとんかつ屋さんにいつしか行かなくなってしまい(おそらく、中学受験のために通い始めた塾が日曜の夜にもあったからだと思う)、その流れで行っていたケーキ屋さんに行くこともなくなったからだ。思い出の味はいつだって最強の一つで、だから、探しても見つからないのかもしれない、と半ば諦めていた。

それが、フランで再会した。フランは焼いて仕上げるお菓子だから、当然、2層で作られているわけではない。なのに。なのにだ。口に含んだ時の舌触りと味わいが、子供時代に一瞬でワープするくらいに、私の記憶の中の最強の味にピタッとはまるものだった。最初、アパレイユの部分だけを食べて、ふた口目は、生地も一緒に食べた。ここが、二つ目のポイントになる。生地とクリームのバランス。クリームのおいしさに酔いしれたところで、それを凌駕するほどの個性を生地が出してくることを、私は望んでいない(あなた誰?って感じだけれど、そう思う)。それが、もう、まさに、理想の在り方だった。ほんの少しクリームを引き立てるように寄り添っている。結構食べ応えはある存在感なのに、違和感をもたらさない、土台の生地。

もう私にはこれがあるから、他はいらない。そんな、心強さを覚えるような出合い。

 

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