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3.3cmの日記帳

パリの空気の扉

3.3cmの日記帳

昨年の11月に、分厚い日記帳を買った。
1日1ページのその日記帳は布張りのハードカバーで、2024年9月から2025年12月までの16ヶ月分が綴じられている。厚みを測ると3.3cm。メモのための白紙のページや、アドレス用のページはなく、最初に見開きで16ヶ月の月ごとのカレンダーがある以外は、1日1ページのシンプルな作りだ。
そんな、日常的に持ち歩くことは想定されていなさそうな日記帳を購入したのは、まず第一に、その日記帳を見つけた日がとても楽しかったからだと思う。

その日は、日本から来ていた友人のパリ滞在最終日で、翌朝彼女は帰国の途につく予定だった。ちょっとお祝いしたい出来事もあったから、とっておきの店を予約して、ランチに出かけた。クラシックなフレンチを存分に味わったら、このまま座り続けているのは困難だ、と漏らすくらいにおなかがいっぱいになって、ゆったり食後のコーヒーまで楽しむどころではなくなってしまった。それで、散歩をしつつ、いくつか見たい店をまわろうとレストランを後にした。少し日が差して、気持ちよさを感じる程度の寒さの散歩日和。セーヌ側沿いを歩いて顔に微風を受けていたら、幾分満腹が緩和されたような気がした。そこからギャラリーの並ぶ通りに入り、しばらく界隈をぷらぷらして、友人が手に入れたい本があるという高級ブティックへ向かった。革製品を筆頭に、服、ジュエリー、ホームアイテムに至るまでを揃える店の一角には書籍コーナーが控えめに設けられ、建築やアート本を扱っている。探し物の本は、運よく最後の一冊を買うことができ、「せっかくだからお茶しようか」ということになった。書籍コーナーのすぐ傍に、サロン・ド・テがあるのだ。「こんなふうにお茶しようってなるなんて、1年に1回あるかないかの気がする」と友人が言ったのを受け、私も言った。「いや、本当に。1年に1回もないよ。誰かとお茶する時間って、なかなか持てないよ」。答えながら、思った。その店でお茶をするのは、何年ぶりだったろうか。もしかすると12、3年、もしくはそれ以上ぶりかもしれない。かつて一緒に来たことのある人たちの顔を思い浮かべながら、その頃はどうしてそんな時間を持てたのかを振り返った。思えば、ものすごく立て込んでいる期間と、それから解放された時の、時間の詰まり方の違いがはっきりしている生活で、まとまってのんびりできるタイミングをところどころで見つけることができていた。今とは、仕事の仕方も、仕事の種類も、それに伴う生活リズムも、時間の使い方も違った。サロン・ド・テの椅子に座り、天井の高い店内を見渡して「ここ昔、プールだった建物なんだよ」なんて話しながら、人生の時間配分も、ひいては、時間の価値も随分と変化したもんだと、はたと実感した。
計画していたわけではない、ポッと訪れた、上質なものに囲まれた空間で特に目的もなくお茶を手に過ごす非日常感によって、気分が高揚したのは私だけではなかったようだ。店を出ると友人が言った。「なんかまるで、こんなふうに過ごしてみたいって女子の多くが憧れるパリの1日みたいだ」。
ほんとだねぇ!と二人でケラケラ笑いながら、今度は、彼女が気になっているという茶葉の専門店へ行く道すがら、新たにオープンしたインテリアショップの前を通りかかった。何だろう?と興味を引かれつつもまだ入ったことがないと伝えると、見てみよう!ということになった。
グローバル展開するアパレルブランドのインテリアショップは、これまでの他店舗とは趣を異にし、贅沢な空間の取り方で、商品は間隔を空けて陳列され、どれもが素敵に見えた。「さっきはさっきで素敵だったけど、これにもやられちゃうね〜」とニヤニヤしながら店内を見て回った。そこに、16ヶ月のダイアリーがあった。
白と黄色と深緑の3色展開で、本棚に置くように、立てた状態で並んでいた。それに惹かれた。けれど厚みに怯んだ。3色並んでいるからきっと素敵に見えるのだろうとも思えたし、他の店舗で並んでいたら目を留めないかもしれない気もした。買ったところで、どういう用途で使おう?と考えた。この存在感のあるダイアリーが、無用の長物になってしまうのは避けたい。
一旦考えよう、とその場では買わずに店を出た。でも、出たそばから、「私、朝にいろいろ思いつくことが多いから、それをとりあえずバーって書き留めておくのなんかにいいかもしれない」と友人に話した。あの厚みは、持ち歩くことはないだろうし、これまではどこでもメモできるようにと小さなメモ帳に、用途別に分散させていたアイディアをあのダイアリーにまとめるのもありかもしれない、などとイメージした。

今購入したところで、9月から始まっているそのダイアリーの2か月分はすでに無駄になってしまう。そのことが「やっぱり買うなら今だ!」という気にさせた。新しい年を待つのではなく、今始めよう!
友人が帰国してすぐに、私は、その分厚い日記帳を買った。

勢いで買ったのはいいが、実際に家でページを開いたら、何を書いていいか考えあぐねた。時は11月。その日の予定も、やることリストも、思いついたことのメモも、年始から書き記してきたノートがそれぞれある。朝、机に座った時に最初にまずそれらのノートを開くところから、もうルーティンが体に染み付いている。

あぁこういうの好きだなぁとほわっと心が動いたこと、ちょっとつぶやきたいと思ったことをメモし始めたのは、購入してから2週間後だ。そうして徐々に、日常の風景にその日記帳の存在が馴染んでいった。それでも年末までは、空白を持て余すことが多かった。
ガラッと変わったのは、年末年始を日本で過ごし、パリに戻った翌日からだ。
私は、日記帳を持ち歩くようになった。そうしたら、生活のリズムが変わった。

 

わたしの素

従来の、いわゆるパリのカフェで言われることはないけれど、最近の「コーヒーショップ」と呼ばれるタイプの店では、「パソコンはご遠慮ください」と声をかけられることが少なくない。だから、店内にパソコンを開いている人はいない。それでか、時間の流れ方が異なるように感じられる。コーヒーショップに行くと、大抵一人や二人、本を読んでいたり日記を書いていたりする人がいて、私はその風景がとても好きなのだ。それで思いついた。

朝のいろいろと閃くことが多い時間に、朝ごはんがてら日記帳を持って出かけよう。朝はパソコンに向かわないといけない時には、午後、日記帳を持って出ればいい。ともかく、思いついたことや、前日に起こった小さな、でも、書き留めておきたい出来事を、書くようにしよう。

そんなわけで、3.3cmもあって、家に置きっぱなしになるはずだった日記帳を連日バッグに忍ばせ、これまでなかなか作れなかった、コーヒーを飲んでひと息つく時間を楽しみに、パソコンNGの店へウキウキと足を運ぶようになった。コーヒーと一緒に、焼き菓子を摘んだり、サンドイッチを齧ったりしながら、日記帳に向かう。それが1時間に満たないくらいの時間でも、なんだかすごく自分に向き合った気がするから不思議だ。何というか、自分を取りこぼさないような感覚。

それで前よりも頻繁に行くようになった友人のコーヒーショップで、数日前、嬉しくなる光景に出くわした。

斜め前に座っていた20代と思しき男性は、私が席についた時からずっとスマホの画面に向き合っていた。脇に置かれたバッグは、楽器が入っていそうな大きさで、カップに覗くコーヒーはすでにほぼなくなっていた。程なくして、その隣のテーブルに別の男性が座った。彼も腰掛けるやスマホをポケットから出し、少しやり取りをしているようだったが、そのうちカメラをいじり出した。コーヒーが運ばれてくるまでカウンターの中の様子をずっと窺っていたのが、コーヒーが来ると、彼は本をバッグから出して読み始めた。そうしたら、ちょっとした連鎖反応か、斜め前の男性も、本を出してテーブルに置いた。この人も本を読むのか、と思いながら私は日記帳に向かっていると、斜め前の彼の肩が揺れた。一人で、クックッと笑っていた。手元に目をやると、彼の本は詩集のようだった。何かユーモアを感じる視点があったのだろうか。と思っていたら、本を置き、何かをバッグのポケットから取り出した。その手の流れが、紙巻きタバコを用意する人のそれに見えて、タバコかと思ったら、薄いケースから取り出したのは、5色の付箋紙だった。彼は黄緑色を選ぶと、1枚剥がして、本に貼った。

目の前で見た一連のその流れは10分やそこらの出来事だったと思う。だけど、すごく安心した。ワンタッチでどこまで繋がっていくかわからない世界が収まったスマホを脇に置き、自分だけの世界をちゃんと持っている人たちが目の前にいた気がして。

今では、パソコンを開いてもOKな、これまではパソコンで作業をしたい時にこそ行っていたカフェにも、パソコンを持たずに日記帳を携えて出かけている。
そして、日記帳には、買いに行かないといけないものから、近々出かけたい場所、たまたま耳にして惹かれた曲の名前、作り置きをしようと思ったジャムとかタレとかまで、何でも書き込むようになった。いつしか誰よりもいまの私を把握している相棒になりつつある。

2月に、グレーの空の日々が続くと思い出す一度だけ行ったことのあるシャモニーの山の景色。スキーしたいなぁ、あの時のチーズは本当においしかったなぁ、山のバターの口溶け感は半端なかったんだよなぁ。

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