土曜の朝、いつものマルシェに行った。
日の出時刻は8時半過ぎで、目が覚める時にはまだ外は真っ暗だ。それで、週末はベッドから抜け出すまでウダウダする時間がちょっと長くなる。明るくなってきたら起きよう、と思ってiPhoneを手に取りインスタグラムを開いたら、笑顔の遺影が表示された。「そうか……亡くなったんだ」。
東京の下町で商いをする90代のおばあさんの日々を、お孫さんが投稿しているアカウントで、ある時期頻繁におすすめに出てきた。何度か見るうちに、私はフォローした。動画で聞いたおばあさんの話し方が、祖母を思い出させたからだ。すごく似ているわけではないのだけれど、どこか祖母の江戸っ子口調を思わせる節があった。一度も会ったことのないおばあさんでも、元気な姿を見かけると、「よかったよかった」と毎度思った。
お孫さんの腕の中で旅立ったと、その気丈な投稿文に書かれていた。
そのままiPhoneを閉じて、しばらくベッドの中でぼーっと過ごした。
珍しく青空が見えた。気温は4度と出ているけれど、体感気温はマイナス2度らしい。コーヒーを淹れて、オレンジを切って、キウイを添えて、前日に取材先でお土産にもらった、ハムを巻き込んだクロワッサンを温め直して、朝ごはんにした。食べ終えると、そのまま身支度をして、マルシェへ出かけた。
エリアによって人出の多い時間帯はまちまちだ。若い人が多く住む地区は、週末は特に出足が遅いし、年齢層がどちらかというと高い場所なら、わりと早くから賑わっている。私が行くマルシェは、11時ごろに着くと出遅れたと感じることが多い。人気のスタンドでは売り切れのものがいくつもある。だいたい、欲しいものを手に入れるには、9時半までには行かないと逃すことになるのだ。
そうわかっていながら、その朝も着いたのは11時過ぎだった。といっても、何か目当てのものがあるわけではなかったから、のんびりと列に加わった。最初は、りんご農家のスタンド。冬でも半袖姿の店主と挨拶を交わし、さくさくして甘みと酸味のバランスが好みなりんごと、洋梨2種類を買った。りんごの季節は、「1日1個のりんごは医者を遠ざける」のことわざに倣い、毎日食べるのが習慣だ。朝ごはんにだけでなく、小腹が空いたらりんごを齧る。好んで買っている品種の洋梨は11月の終わりから1月にかけてが果汁たっぷりで、とてもおいしい。喉を潤したくなったら手に取るのが常だ。
続いて、養鶏家のスタンドで卵を買い、次に、花屋へ向かった。
色とりどりのチューリップが並んでいた。今の時季にこの店で扱うのはオランダ産で、もう少し春が近づくとイル・ド・フランス(パリ首都圏)産に取って代わられる。食べ物に限らず、生鮮品はなるべく搬送距離の短いものを選びたくて、花も然り。それに、やはり近郊で採れたものの方が断然持ちもいい。でもなぁ…チューリップは好きなのだ。見ると買いたくなる。迷った末に、買うことにした。冷たい空気の中で、華やかな香りもかぎたくなって、フリージアをお供に選んだ。
夏の始まりから店頭に立つようになった、若い女性が担当してくれた。彼女が花束をまとめる様子を見たくて、スタンド裏手の脇に移動すると、接客がひと段落したのか顔見知りのマダムが「Ça va (元気)?」と声をかけてきた。「元気です。寒いけど、晴れ間が見えて気持ちいいし、こういう寒い日は好き」と答えると「気持ちいいわよね」と彼女は相槌を打った。「ブーケにするところを見るのが好きだから、さっきからここで見させてもらってます」と言ったら「まだちょっとね、ブレちゃうところがあるのだけれど…習得中なのよ」とマダムは厳しい目をサッと走らせてから見守るように言った。それから、「こんな寒い日はあそこのスープ・ド・ポワッソン(魚のスープ)が食べたくなる」「おいしいわよねぇ。あれを食べちゃうと他で買えなくなっちゃうのよ。でも、魚じゃないわよ、あれは、ワタリガニよ」「あ、そうだった。ワタリガニだ」「スープを買ったら、その向かいでチーズも買わないとね」「ほんとそう、いつもそのコース」なんてやりとりをして、マダムはまた接客へと戻った。
ノルマンディー地方の港町から運んできた生きたカニや貝類を並べるスタンドは人気で、寒さが本格的になった季節とあれば、自家製のワタリガニのスープは早い時間に売り切れてしまう。この時間じゃもうないだろうと予測しながらも、寄ってみようと思った。
取り除いた方がいい葉を丁寧に処理しながら、その若い女性スタッフは、ブーケを作っていた。もう少しで終わりそうなところで、件のマダムが再度裏手にやってきたのを見て、ふと、ずっと気にかかっていたことを聞いてみようと思った。
「そういえば、もう一人のムッシュは、どこかに行かれたのですか?前はいつもいた…」
すると、マダムは私に近寄ってきて言った。
「彼、亡くなったのよ。夏前に。ガンでね、あっという間だったわ。彼女は彼の娘なの」
言葉を失っていると、マダムは続けた。
「彼と私は従兄弟で、だから今は従姪(いとこめい)と仕事をしてるのよ」
「そうだったのですね。本当にあのムッシュはいつもやさしかったから、どうしたのかなぁとずっと思っていて…」
「その15日前までマルシェに立ってたのよ、全然元気で」
「うん……だから、1日1日大切に生きないとってことですよね」
「本当に、そうよ〜」
マダムはおおらかに言ってまた接客に戻った。
出来上がったブーケを受け取り、ないだろうと思いながらもワタリガニのスープを探しに行くと、やっぱり売り切れだった。斜め向かいの、オーヴェルニュ地方のチーズや生ハムを売るスタンドには長い列が伸びていた。なんとなく、「今日は、いいかな」と思って、そのまま野菜の生産者のスタンドに向かった。
こちらもいつも長蛇の列だ。私の前には、編み込みのニット帽を被り、スタンドカラーが特徴的なデザインの深い緑色のコートを着た女性が並んでいた。この店では、並んでいる間に客が買いたいものを手に取れるようカゴが用意されていて、自分で選びたい人は、列が少しずつ進むごとに、欲しいものをカゴに入れていく。中には、選び直しに一度手にしたものを持って列の後方に戻ってくる人もいるし、取り忘れたものを探しにくる人もいる。
毎度長蛇の列の中に一人くらいそういう人がいるもので、この日も、3人前に並んでいたマダムがそうだった。そして、その人は、何度か繰り返し戻ってきては、並んでいる人たちの間に割り込むようにして、陳列台に手を伸ばし、選び直した。その何度目かの時...前の女性が私にチラッと顔を向け、目を見開いた。それを見て、「人それぞれやり方がありますね」と声をかけると「本当に」とため息をついた。そして言った。「あなたが後ろに並んだ時から思っていたんです、とても綺麗なブーケね。これ、チューリップとこの紫のは?」「フリージアです。私も、この色の組み合わせ、よかったなぁと思って、持っていてうれしいです」「うん、すごく素敵」。それを受けて、私も言った。「私は、さっきからあなたのコートが気になって。とてもお似合いです。これ、ヴィンテージですか?」「あ〜、ありがとうございます。そうね、ちょっとヴィンテージっぽいですよね。でも、そうじゃなくて、2年前に買ったあるデザイナーのものです。その人の作品はどれも、少し個性があって、確かにどこかレトロで」「色の風合いもすごく素敵ですね」「うれしい!」
そんなやりとりをしているうちに、順番が回ってきた。ポッと、野菜のポトフが食べたい、と思った。冬の土の香りを欲した。
フランスのポトフは牛塊肉と野菜を煮込む料理で、最初に具を食べてから、締めにブイヨンを味わう。それはそれでとてもおいしいのだが、肉の味と匂いを欲さないことが私は時折あって、いつからか野菜だけを煮るようになった。出汁は、野菜から出るエキスだけで十分だし、気分で、チーズをのせたり、ソーセージを加えたり変えられるのも勝手がいい。
頭にそれを思い浮かべながら、ポトフの具として定番のポロネギとじゃがいも、それに蕪を選んだ。にんじんも欲しかったけれどもう売り切れていたから、代わりにキャベツを買った。
わたしの素
その週、1週間、手を変え品を変え、私は野菜のポトフを食べ続けた。全く飽きなかった。何日目かには、味噌仕立てにしよう、クリームを加えても食べたいな、カレーまでいけるかな、と思っていたのに、どれにも至らないまま食べ終えてしまった。今回いちばん気に入ったのは、養鶏家さんのところで買った卵で作ったマヨネーズと、ゆで卵を添えたバージョンだ。
1日1日ちゃんと生きよう、と思ったことが、土の香りのする野菜につながったのかもしれない、なんて思っている。