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マイナス5℃の朝。

マイナス5℃の朝。

朝の気温がマイナス5℃だった、1月のある火曜日。
日の出時刻は8時40分で、だから、8時を回ったとはいえ外は暗く、気温が上がる気配も一向にない。それでも、その寒さを半ば楽しむような気持ちで、出かける支度をした。

朝ごはんを食べに行こうと決めていたのだ。目当ての店は日曜と月曜が定休日で、週明けの火曜日を心待ちにしていた。食べたいものがあった。

パリは、前の週も、昼過ぎまで0℃を超えない、まさに真冬の寒さが続いていた。午前中に家を出る場合には雪山に行くかのような格好で、地下鉄に乗ると、人が大きい、と感じた。皆それぞれに防寒服を身に纏い、人ひとりのサイズ感が通常とだいぶ違う。
そんな寒空の下、仕事がひと段落した週末の始まりに、つかの間、友人と会うことになった。会って話せたらどこでもよかったのだけれど、口が、ただ温かい飲み物ではなくて、濃度のある何かを欲しているのを感じた。と、落ち合った場所から徒歩で行ける距離に、ショコラ・ショ(=ホットチョコレート)を楽しみに行きたい!と思っていた店があるのを思い出した。友人の同意を得て、さっそく、その店Tram(トラム)に向かった。

 

持ち手のない、シンプルなカップに注がれて、ショコラ・ショは運ばれてきた。冷めないうちに……とすぐに口をつけると、様子を窺いながらほんの控えめに含んだそのひと口で、「うわっ。出合ってしまった」と思った。道を歩いていて、ふと顔を前に向けたら、いきなり正面から、非の打ち所がないくらい自分好みの人が歩いてきたような感じ。ものすごくおいしかった。とろみ加減、チョコの濃度と味の主張具合い、温度。もう少しこうだったらなぁと自分の好みに寄せたい点が、なかった。
毎年冬になれば、家でもショコラ・ショを繰り返し作る。でも、このバランスは作り出せたことがない。チョコレート自体の味によるところももちろん大きいだろう。
メニューには、使用しているチョコレート店の名前が書かれていたから、買いに行って、そのチョコレートで自分でも作ってみようかと思ったけれど、その前に、もう一度トラムに行ってあることを試したくなった。

 ・・・

以前、家の近くにあったカフェで出していたショコラ・ショは、すごく濃厚だった。それで、飲んだ後には、カップの内側に冷めたチョコレートがへばりついた。私はいつもそれを、何かで拭って食べたい、と思っていた。そのカフェの前の通りには週2回マルシェが立つ。冷え込む季節には、マルシェで買い物を済ませると、カフェに寄り、ショコラ・ショを飲んだ。


「これは、日本でいったら、お汁粉ね」

そう言ったのは、うちの母だ。子供の頃、お昼寝をする前に唇にチョコレートを塗って寝たら、起きた瞬間にチョコレートが味わえると思いついてやっていた、という母に飲ませたくて、パリに来た時に連れて行った。飲むというより食べるに近い、チョコレート味の飲み物ではなくて、チョコレートのポタージュといった方が実際のテクスチャーが伝わると感じるくらいの濃度だったから、たしかに、お汁粉に喩えるのは(私は苦手なのだけれど)的を射ている、と思う。

マダム一人で切り盛りしていた、歴史的建造物に指定されている建物の1階にあったそのカフェは、その後、ほかの人の手に渡った。だから、もうそのショコラ・ショを注文することはできない。
でも私の作るショコラ・ショは、実は、そのマダムに教えてもらったレシピだ。2時間、湯煎にかけて、しっかりととろみがついたことを確認したら火から下ろし、カップではなくて、小ぶりのカフェオレボウルによそう。余すことなく楽しむために、私は一時、最後にショコラを拭うための最高の相棒を見つけるべく、いろんなパンを試しまくった。最終的に、あるパティスリーのパン・オ・レ(ミルクパン)が、その座に落ち着いた。

拭いたくて探した相棒ではあるけれど、最後に拭うだけじゃなくて、まずは浸す。ひと口大にちぎっては、じょぼっとショコラで濡らす。ひと口ごとに、じょぼ。この食べ方を叶えるのに重要なのは、パン生地の密度と、ショコラの濃度がちょうどいい塩梅であること。ただ、ショコラ・ショに何かしらの相棒を浸したところで、軽く受け流すくらいの「おいしいね」にはなっても、鼻を膨らますようなおいしさにはならない。

でも、トラムだったら……あのトラムのショコラ・ショだったら……自分では作り出せたことのないおいしさに出合えるのではないか。
そう思いついた金曜の夜から、大いなる期待を胸に抱き、私は火曜の朝を待ったのだった。 

 

わたしの素

マイナス5℃という気温は、膨らみ切った私の期待を躍らせるくらいに、イベント感を高めた。寒いけれど、空は青くて、気持ちよかった。最寄り駅へ行く道すがら、向かいから歩いて来た男性は歌を歌っていた。イアホンで何かを聴きながら歌っているとは思えないブレのなさで、距離が縮まるごとにはっきり聞き取れるようになったその歌声に「この人、うまいなー」と惹きつけられたのが、そのまま顔に出ていたのかもしれない。すれ違いざま彼を見ると、私の感心に応えるかのようにメガネの奥から彼はウィンクした。その瞬間、背後に回った歌声もやっぱりきれいで、目深に被ったニット帽とぐるぐる巻きにしたマフラーから覗く僅かな表情で交わしたコミュニケーションに嬉しくなった。今日はきっといい日だ〜とゆるい坂道を降り切ると、今度は、目の前を、ショッキングピンクのニット帽を被った女性が横切った。パチパチキャンディーが口の中で弾け出した時のような瞬きを促す鮮烈な色。被っただけでフットワークが軽くなりそうだ。
凍てつく寒さは、この朝、喜びに変換されていた。 

トラムへは自宅から地下鉄で1本だ。最寄り駅で降り、エスカレーターで地上に出るとマルシェが出ていた。そこからひたすら坂を登り、登り切ったところに建つ教会の手前に店はある。書店併設のカフェだったが、最近、本を並べたコーナーから本が消え、代わりにテーブルが置かれて店全体がカフェになった。

この店のドアノブは硬い。60度くらい回したところで引っかかるから、開くかと思いきや開かなくて、体重を乗せてさらに下にググッと回すとやっと開く。

「開いたぁ」。
ふぅと息を吐いて中に入ると、女性がメニューを手に取り「ボンジュール」と声をかけてきた。金曜日にもいた女性だ、と思っていると、オーナーのマリオンが「アキコー!Ça va(元気)?」と奥から振り返った。そして、その女性を私に紹介した。彼女は、トラムの新オーナーだと言う。
「アキコは、近くに住んでいるわけではなくて、ちょっと遠いんだけど、前の店の時からここに移っても来てくれているの」とマリオンは私のことを話した
ひとしきりの挨拶が終わり、奥の間にある大テーブルの窓際の席が空いていることを確認してから、マリオンに聞いた。「ここを離れることにしたって、今度はどこに行くの?」。すると、新たなプロジェクトを話してくれた。それはもう、発端を聞くだけでワクワクするものだった。
「そのニュース聞けたの、めちゃくちゃうれしい!」
興奮気味に伝えてから、そうだ!と思い出し、ショコラ・ショがものすごく美味しかったから朝ごはんに食べたくて来たことを告げた。
「ヴィエノワズリー、何がある?」
「クロワッサンと、パン・オ・ショコラ、パン・オ・レザン(ぶどうパン)。でも、ショコラ・ショに浸けるんだったら、クロワッサンね」
「うん。クロワッサンにする」
「ショコラは、ヴィエノワ(=ウィーン風。生クリームがついてくる)にする? それとクロワッサンも、おいしいわよ」
「ヴィエノワにする」。

フランスで暮らし始めてから衝撃的に驚いたことの一つに、フランス人の「浸して食べる」文化がある。クロワッサンをコーヒーの入ったカップにいきなり突っ込んだのを見た時には、一瞬何が起こったのか分からなくて、目が離せなかった。そのシーンは主に朝ごはんで見られるけれど、たまに午後のサロン・ド・テでも目にする。ビスケットを紅茶に、じょぼっと浸ける。紅茶に限らず、カフェオレのこともある。ともかく、浸す。初めは、脂が浮くの嫌じゃないの? と若干引き気味に捉えていた。それが、だんだん見慣れてくると「ほんと、浸すよねぇ」と抵抗がなくなって、ある時、そうかこれはお茶漬けみたいなもんか、と思うようになった。

それで、自分でもやってみた。本当は、ずっと、やってみたかったのだ。やってみると、そこには別のおいしさがあった。クセになるおいしさ。

生クリームを盛ったショコラ・ショが、バリバリと音を立てそうなしっかりと焼き目のついたクロワッサンと、現れた。まずは生クリームにちょっとショコラをつけてスプーンで掬い、数口。溢れ出さない程度の量になったところで、いざ、クロワッサン出陣。カメラとパソコンを持って荷物が重かったせいか、はたまた興奮していたのか、ショコラを十分に吸い込ませてから持ち上げたクロワッサンを持つ手が震えていた。切り口から滴るショコラ液が飛び散らないように気をつけながら口に運ぶ。

あ〜〜〜〜〜。な〜んていい日だろう。

クロワッサンの焼き加減がなんたらかんたら、ショコラの濃度と相まったその生地の感触がなんたらかんたら、と言葉にすることが無粋でしかない、と自分を戒めたくなるくらいに、とろけるおいしさだった。 

 

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