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明日の朝ごはん、なに食べようかなぁ。

パリの空気の扉

明日の朝ごはん、なに食べようかなぁ。

初めて訪れたのは、夏の始まりだった。

去年の夏至にオープンしたそのファームレストランは1周年を迎えたところで、その2日後に、満を持して、遠足気分で出かけた。
 
いつ行けるかな、とずっとタイミングを窺っていた。

パリから南へ40kmほどのところにあるル・ドワイヤネ(Le Doyenné)は、野菜畑とゲストルームを併せ持つレストランだ。元厩舎の建物を改装したダイニングルームを写真で見て、これは日の沈む中で食事をしたらさぞかし美しいだろうと思った。

それと朝ごはん。オープンから3か月を待って、宿泊可能となったゲストルームには朝食がついていた。畑で摘んだばかりのフルーツが食卓を彩るのだろうか、と想像した。共同経営者でシェフのジェームスは、かつて厨房で指揮を取っていたビストロでパンを焼き、バターも自家製で出していた。それは、記憶に残るおいしさだった。その後、あるコーヒーショップがブーランジュリーを立ち上げる際にも携わってパンを作っていた。今度のレストランでも、きっとパンは自家製だろう。時を経て、おいしさがバージョンアップしているかもしれない。

ゲストルームはあくまでも食事の予約をした客に向けて用意されていた。朝ごはんが食べたいからといって、宿泊だけの予約はできない。 

それで、ディナーの間に日の入りを迎える季節と、1泊で出かけられる好機を探った。

できれば、食事の真っ最中に日が暮れ始めたらいいなぁ。それなら4月以降が良さそうだ。3月の最後の日曜日にサマータイムに移行するフランスは、4月に入ると日の入りの時刻が8時半ごろになる。それを機に、夏に向かうにつれ、夕暮れ時を楽しみたい気持ちがどんどん高まっていく。

 
春になり、そろそろ行きたいと思ってル・ドワイヤネのサイトにアクセスしては予約状況をチェックしていたら、友人から「6月にパリに行く」と連絡があった。彼女は、テーブルを共に囲みながらも、互いにマイペースで、思い思いに食事の空間や料理に浸れる希少な食いしん坊友達で、これはまたとない機会だ!と、私はすぐさまパリ郊外へのショートトリップを提案した。

そうして実現した初訪問の日。お天気にも恵まれ、刻々と移りゆく空の色がグラスの中にも映し出されるドラマチックな空間でのディナーを楽しむことができた。鮮烈な印象を残したのは、最後の最後に出てきた、赤い実のフルーツのシャーベットに、前年の夏の赤い実のフルーツで作った蒸留酒を少しかけたデザートだ。それまでに登場したすべての皿を全部ひっくるめてどこかへ追いやってしまうくらいに、見事なさらいようだった。あまりにさりげなく、主役のデザートに付き添うような形で後ろ手に控えていたものだから、ちゃんと写真さえ撮っていなかった。でも、その夜で最も、地に足のついた味を、日を浴びて育まれたギュッと濃縮した風味を、舌に刻んだ。ほんの数口で十分なほど、ブレのない鮮明な味わいだった。

それが翌朝への期待を膨らませた。おなかいっぱいでベッドに入り、「明日の朝ごはん、楽しみだなぁ」と言って、眠りについた。

 
朝食は、メインダイニングではなくて、脇にあるこぢんまりとした間に用意されていた。窓から差し込んだ光は、弾けるように輝いて部屋の手前まで照らし、ビュッフェにはスタメンがすでに勢揃いだ。クロワッサンにパン・オ・ショコラ、チーズとハムを巻き込んで焼いたクロワッサン、胡桃入りパン、チーズ、ハム、グラノーラにヨーグルト、蜂蜜、ジャム、コーヒー、ミルク、そして自家製のジュース。どれも、ツヤツヤして、齧ればそれぞれが音を立てそうな、まさに今が食べどきです!という様相をしていた。 

それらに加え、テーブルの上に置かれたメニューには、注文を受けてから作られる料理が4つ並んでいた。真っ先に惹かれたのは、グリーンピースと水切りしたフレッシュチーズに半熟卵のタルティーヌだ。

一人一つずつ頼むか迷ったけれど、スモークした鱒とじゃがいもの料理も気になって、それも食べたかった。だったらまずは、とタルティーヌもひと皿にして半分こすることにした。

結局、私たちは、食べたそばから2つ目のタルティーヌを追加することとなった。グリーンピースの放つ香りの勢いに驚いて、驚いているうちに食べ終わってしまったのだ。舌で味わうより先に、鼻先でグリーンピースが弾けたような気がしたくらい、風味が鼻を直撃した。おそらく人生で最も、畑から短距離で味わったグリーンピース。手で掴んで口に持って行ったのも功を奏したのだろう。本当に、来てよかった、と思った。


ところが、だ。数日経ってから口の中に蘇ってきたのは、クロワッサンだった。力強い香ばしさで、結構脂っぽさもあって、バターたっぷりだけれど、でも脂臭いとは感じない、絶妙のバランスのクロワッサン。小ぶりな大きさが、一役買っていたと思う。「あれ、また食べたいなぁ。それに私はこないだ、パン・オ・ショコラを食べずに終わったのだ。やっぱりまた行かなくちゃだな」。

その気持ちが薄れることのないまま季節は移ろい、再訪の機会は12月になってやってきた。

 
再訪するにあたり、私は作戦を立てていた。

このタイミングなら行けそうかも!というスケジュールが見えてくると、オンライン予約で空きがあるかを確かめることを繰り返していたら、ある日あることに気がついた。

日曜日は、ランチの営業のみで、ディナーはお休み。だけれど、宿泊はできる。そして、翌朝のごはんもついてくる。

そこまでは知っていた。それで、日曜に行くのがベストだとも思っていた。なぜって、ランチを食べて、ディナーを取らずに翌朝を迎えるのならば、おなかも空いて、思いっきり朝ごはんを楽しめるからだ。
でも私は、夕暮れ時のあの風景にもできれば再会したかった。ランチではそれが叶わないと思い込んでいた。

秋になり、冬が近づいて来て、年内にどうにか行けないかなぁと、改めて予約ページを読み返していたある時、はっとした。そこには、日曜に宿泊希望の場合、食事の予約は15時半以降になる、と書かれていた。部屋にチェックインできるのは16時から、という都合上のようで、なるほど、と納得したところで、気付いたのだ。

冬の日の入り時間であれば、日曜の遅めランチの時間にバッチリじゃないか!
そうして、12月に入って、再び足を運んだ。
 

 初めての時よりもずっとリラックスして食事を楽しみ、食べ終わった後は暖炉の前で、ハーブティーを飲みながら寛いで過ごした。足元がぽかぽかと温まる中で、すっかり心がほぐれて、凝り固まった頭まで柔らかくなっているように感じた。

 部屋に戻って、ゆっくりお風呂に浸かり、いつまでも続きそうなおしゃべりを、朝ごはんのためにももう寝よう!と切り上げたのは1時を回ってからだ。

「明日の朝ごはん、なに食べようかなぁ」そう口に出して、笑い合って、「おやすみ」を言った。 

わたしの素

翌朝。
朝食ルームに入って行ったら「もう他のゲストは食べ終えて出発したから、ここにあるのは全部、あなたたちの分ですよ」と言われた。

えーーー!と喜びの声をあげて、今回はまず、パン・オ・ショコラをお皿に取った。
 

クロワッサンを前回食べているし、新たに驚きを得る心の準備はないままにパン・オ・ショコラを口にして、数回噛んだところで、え?と止まった。こんなパン・オ・ショコラ食べたことない、と思った。チョコレートの味が、パン・オ・ショコラでは味わったことのないものだった。もちろんクロワッサン生地もおいしい。でも、そのチョコが入っていることでの相乗効果は、倍以上だった。聞けば、大手メーカーのものではなく、数年前にパリ2区にオープンした、カカオ豆から自社でチョコレートを作る店のものを使っているとのことだった。

今回は、タルティーヌがメニューになかったのだけれど、それが残念だなんて全く思わずに、その分、自家製ハムや、チーズや、果物を好きなだけ食べた。ひと口ごとに「う〜ん、おいしいねぇ」と声を上げた。

食べきれなかったチーズとハム入りクロワッサンを持ち帰る用に包んでもらい、「やっぱり、ほんっとうにおいしい!」と改めて伝えたら、前回もいた、気さくで、よく気が付くスタッフの女性が「クロワッサンも、パン・オ・ショコラも、たしかにとてもおいしい。ただ、毎日食べる味ではないとも思う」と言った。

 あぁ、たしかにそうだ。ちょっとお祝いのような、特別な日の味なのだ。

 まだ、サンタクロースを信じていた頃のクリスマスの朝みたいだなぁと思った。
イブの夜、ご馳走もケーキも食べてすでにイベントはひと段落している。でも、翌朝、起きたらプレゼントがあるはずだ。

「サンタさん、プレゼント持って来てくれるかなぁ」

そう翌朝を楽しみにベッドに入った時の、ワクワクした気持ち。夜中1時に呟いた「明日の朝ごはん、なに食べようかなぁ」は、あのワクワクにそっくりだったと思う。 

 

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