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映像の裏側の記憶

映像の裏側の記憶

今から12年ほど前にテレビドラマのプロデューサーになった時から、「裏方」であり「黒子」であることにずっとこだわってきた。
プロデューサーの仕事は役者を、脚本を、各セクションのスタッフたちの仕事を輝かせること。自分は決して前に出てはならない。出るのは謝罪する時だけ。それがプロデューサーのあるべき姿だ、そう思っていた。

そんな自分が大きく意識を変えたのは、脚本家の渡辺あやさんと出会ってから。

『エルピス』というドラマを一緒に作った時、渡辺さんは「作品を少しでも多くの人に観てもらうためなら、取材は基本的になんでも受ける」と言い、住んでいる島根からわざわざ東京に来てくれ、本当にたくさんの取材を受けてくれた。

自分はどうだろう。
「プロデューサーのあるべき姿」と言っているけど、本当は「自分がどう見られたいか」ということにこだわっているだけなのではないか?そんな疑問が生まれた。
脚本家がここまで作品のために前に出てくれているのに、プロデューサーである自分がそんな自意識にこだわっている場合か。
そこからは、ドラマの宣伝になる取材は全て受けさせてもらったし、ドラマ終了後も、話を聞きたいと言ってくださる依頼にはできるだけ応えるようにしてきた。

そもそも私個人の「伝えたいメッセージ」みたいなものはないし、話すこともないと思っていたけれども、これまでの制作人生で得た様々な経験を少しでもお話しできたら、と思うようになった。映像業界に入ってくる若者がどんどん減っていく中、この業界にはまだまだこんなに面白いことがあるんだよ、ということがほんのわずかでも伝わればという思いもあった。正直なことを言えば、作品のために他者を踏みつけるような行いをしてきてしまったことや、後輩を一人も育てることができなかったことに対する贖罪の気持ちもあった。

今回この「オイシサノトビラ」のオファーをいただいた時、正直なことを言えば最初は「なぜ私が?」と思った。でも「オイシサノトビラ」というタイトルを聞いた時、22歳でテレビ局に入社して、AD、助監督をしていた頃から今現在に至るまで、自分の制作者としての人生を支えてくれた様々な食事のことを思い出した。

寝不足の朝、ロケバスの中で食べたポパイのおにぎりとゆで卵のこと。
ロケから帰ってきて疲れ切った体で深夜まで営業する赤坂の中華料理屋さんに駆け込み、チャーハンの上に麻婆豆腐を載せ、ビールで流し込むという今では考えられない、でも泣きそうなほど美味しかった残業深夜飯のこと。
ドラマ『ウロボロス』で寒い冬の夜の撮影で食べたケータリングの「鶏飯」が美味しかったこと。『おかしの家』ではフードスタイリストの飯島奈美さんが撮影で残ったパエリアでおにぎりを作ってくれて、そこで「ドラマに登場する食事」の概念が変わったこと。

そして「現場飯」だけでなく、映像作品に登場する様々な食事のことも忘れてはいけない。
人間の持つ様々な感覚の中で、「記憶」と最も密接に結びついているのは(プルーストも書いているように)嗅覚だと言われているが、映像には「おいしさ」を判断するのに必要不可欠である匂いがついていない。もちろん味も。

それでも、いやきっとだからこそ、私は映像に登場する様々な料理を見ながらその匂いを、味を想像し、そこに映る食事を経験する。食べたことのないはずのその料理の匂いや味は、私の記憶の中に確かに存在する。あの映画、あのドラマのあのシーンの、あの料理。
おいしい鶏ガラ出汁の醤油ラーメンを食べるたびに、大好きな伊丹十三監督の映画『たんぽぽ』のラーメンはこんな味だったんだろうか、と考えてしまうし、居酒屋さんで唐揚げにレモンをしぼると、2017年にプロデュースを担当したドラマ『カルテット』で、あの4人が食べたレモンがたっぷりかかった唐揚げの味を想像してしまう。

そんなふうに、私たちの記憶と密接に結びついている、映像にまつわる・映像の裏側にある匂いや味の記憶を、時には私自身の記憶を掘り起こしながら綴ったり、時には映像作品に関わる方々にインタビューしたりしたいと思う。

あなたの、おいしい記憶を教えてください。

 

わたしの素

今まで本当にたくさんのご飯を現場で食べてきたけれど、制作者としての人生を変えることになったといっても過言でないのは飯島奈美さんの作るご飯。「え?それだけしか使ってないんですか!?」と毎回驚いてしまうシンプルな素材と調味料で作るご飯は滋味深くて優しくて、何よりほんっとうに美味しい。今まで観てきた映像に映っているご飯ってこんなに美味しかったんだ…と自分の中の価値観を大きく変えてくれた。

飯島さんにはいつかちゃんとお話を聞いてみたい。

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