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その笑顔に惹かれる理由

その笑顔に惹かれる理由

「すごいねすごいね。こんな本、いったいどうやって作ったの!?」
そんなふうに、はまじが言ってくれるので、嬉しくて、渡したばかりの本をふたたび奪い取って、「あのねあのね」と夢中で話をしてしまいました。

コトゴトブックスという書店をはじめて3年が経ち、今春、新たに出版業を立ち上げました。冒頭に綴ったのは、完成したばかりの本を持って浜島直子さんに会いに行った、そのときのエピソード。本ができたらご飯を食べましょうという約束が、やっと叶ったのでした。

モデルの浜島さんとは、彼女が初の随筆集『蝶の粉』を上梓したときにお仕事でご一緒して以来のご縁なのですが、「浜島さん」と書きつつも、彼女を呼ぶとき勝手に口が「はまじ」と動いてしまうのは、それだけの長い時間彼女を見てきたからで、なにより彼女のまとう雰囲気が、愛称で呼びたくなるほど相手を弛緩させるのだなあと、会う数を重ねるごとに実感します。
はまじを最初に雑誌で見たのは中学生の頃だったから、もう30年近くが経つことになるのか。

はまじがモデルとしてデビューした雑誌『mc Sister』は、私がはじめて買ったファッション誌でもありました。
いわゆるティーン誌と呼ばれる雑誌は当時ほかにもあったけれど、「私はこれがいい」と選び取ったのは『mc Sister』がはじめてで、読む雑誌を選ぶということは、自分の生き方を表明することでもあるのだと気づかせてくれたのも、この雑誌でした。

〈私は表紙を飾るような花形モデルではなかったので、いつもメインモデルたちの眩しさが羨ましくてたまらなかった。〉(浜島直子『けだま』より)

はまじはそう回想するけれど、私の記憶は少し違っているのです。
確かに、「メイン」という言葉通りの意味で考えれば、そうではなかったかもしれません。でも、たとえページの端っこにいたとしても彼女はやけに私の目を引く存在で、いや、メインではなかったからこそ、笑うと三日月になる目とくっきり出るふたつのえくぼがあらわす人懐っこさの、その奥にある、なにか強い芯のようなものに惹かれていたのだと思います。
そして、30年近くの時を経て得た『蝶の粉』の著者・浜島直子との再会は、私に、当時抱いた憧れの答え合わせをする機会をもくれたのでした。

妄想が好きで、女友達が苦手で、負けん気が強かった子ども時代のこと。洋服が大好きで、はじめて自分の手で手に入れた大人の世界も、呪いの言葉によって奪われた自由も、広い世界を見せてくれた旅の思い出も、着ていた服やブランドとセットで思い出せる成長過程のこと。親の反対を押し切って、北海道の地方都市から上京した駆け出しモデル時代のこと。母になったことで得た喜びや葛藤、親になって知る両親の思い……。
自らが歩んできた日々を温かく、ときにコミカルに、ときには怒りをもあらわに綴る本作を読んだとき、おおげさでなく「だから私は他の誰でもなく『はまじ』だったのか」と腑に落ちたことを覚えています。こういう思いを胸に秘め、それでも笑うことのできる、カメラの前に立ち続ける彼女の人間性が、私を惹きつけていたのだと、彼女の綴る言葉によって確かめることができたのです。

わたしの素

この日の会の料理長は、『蝶の粉』を手掛けた出版社・ミルブックス代表の藤原康二さん。
おうちにお邪魔してまず目に入ったのは、壁に貼られた「本日の御品書き」でした。でもよく見れば、一品目から五品目まで、ぜんぶが鍋料理ではありませんか。

どういうことかと聞いてみれば、ひとつの土鍋で4種のお鍋を食すことで、5品目に待ち受けている鮭雑炊用の完璧な出汁を自分たちで育てあげるというのだから驚きました。

大根、牛すじ、練り物などがいっぱい入った「一、おでん」を囲んで「乾杯!」とグラスを掲げてからは、早かった。食べて、しゃべって、また食べて。

(はまじに撮ってもらえるなんて…、中学生の頃の私、見てるかー!)

その間ずっと「すごいね、すごいね」と褒めそやされて、すっかり機嫌を良くしてしまった私でしたが、実は、気がかりなこともあったのです。それは、数日前に亡くなってしまったという、はまじ一家の愛犬ピピちゃんのこと。『蝶の粉』では、ピピちゃんの存在が、かつてはまじの身に起きた悲しい出来事の支えになったとも綴られています。

なにが引き金になったのか、あるときはまじがピピちゃんのことを話しはじめました。
「話し出すとまた泣いちゃうんだけど」と前置きしながら、けれど話し終えるまで、彼女は涙を流しませんでした。むしろずっと笑っていて、それは中学生のころ、私が最初に惹かれた彼女の笑顔そのものでした。

宴のあとをひとりで味わうひとときも、またおつなもの。
お土産に持たせてもらった鮭雑炊を温めなおして、日曜日のお昼ご飯にしながら、『蝶の粉』をふたたび開きました。

昨日ははまじの声で聞いていたピピちゃんとの生活を、今度は文字で反芻する。この随筆を最初に読んだときと、いまとでは、味わいが異なるのは当然です。
紙に印字された文字が、いつのまにか書き換えられていることなど起こり得ないのに、不思議だなあと思います。言葉とは読み手のなかでも生きつづけ、読むたび異なる景色を立ち上げるのだなあと思い知ります。

「ピピちゃん、うちの子になってくれてありがとう。大好きよ」

文字のうえに、ふたたび声が重なる。
声の出どころを心のなかでたどっていくと、やっぱり彼女は笑っていた。

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