ORD/言葉2 後編
前編からのつづき
東風谷
そうですね。今話していた、地域による違いや、身体が記憶している味の感覚、それから時代による違いに加えて、「誰と、どんなふうに飲んだか」っていうことも、おいしさを決める大きな要素なんだと思います。例えば、これはドイツというより、北ヨーロッパ全体に近い感覚かもしれないんですが、20世紀に入る頃までは、子どもから大人まで、かなり日常的にビールを飲んでいたんです。妊婦さんにとっても、ビールは栄養のある飲み物だと考えられていたくらいで。でも、学校給食が整備されるようになると、「子どもにはビールではなく牛乳を飲ませましょう」という考え方が広がっていくんですよね。
つまり、何を“健康的”とか“おいしい”と感じるのかって、その時代の価値観や、人との関係性、どういう場で飲んでいたかによっても変わっていく。おいしさって、単純に味だけでは決まらないんだと思います。
山野
子供もビール飲んでたんですね。
東風谷
当時はビールって「栄養があるから飲みなさい」と言われるような存在でもあったと思うんです。当然、今みたいに飲み物の選択肢がたくさんあったわけではない、という事情が大きいんですけどね。それに、ビールって単体で飲まれるというより、いろんな娯楽と一緒に消費されていたんです。今でいうボウリングみたいな遊びだったり、カードゲームだったり、時にはギャンブルだったり。そういうことを仲間と一緒にやりながら飲む。その経験自体が、「ビールはおいしい」という感覚を作っていた部分もあると思うんです。「あの時、みんなで飲んだビールがおいしかった」という記憶って、やっぱりあるじゃないですか。そういう体験も、おいしさを形づくる大きな要素なんじゃないかなと思います。
人類の歴史を振り返ってみても、人が一人で食べたり飲んだりするようになったのって、実はかなり最近のことなんじゃないかと思っていて。もちろん例外はいろいろあると思うんですけど、基本的には、誰かと一緒に食べたり飲んだりする中で、おいしさって育まれてきたんじゃないかなって。だから、おいしさって、単純に味だけじゃなくて、その場の空気とか、一緒にいた相手との関係性みたいなものも含めて感じているんだと思います。
山野
社会史って、たとえビールでもそれを通して、その時代の社会の流れが見えてくる学問でもあるのだなあって。人々がどういうふうに楽しんできたのかとか、何を「おいしい」と感じていたのかとか。そういう感覚の変化を追っていくことで、その時代の人たちが、どんなふうに生きていたのかまで見えてくる気がしておもしろいですよね。
東風谷
僕も資料を読むまでは想像できなかったんですけど、19世紀の新聞って、本当に驚くくらいビールの話ばかりしているんですよ。当時はまだ機械化されていなかったので、毎年まったく同じ品質のビールを作ることができなかったんですね。気候によって味もかなり変わるし、夏に作るビールと冬に作るビールでは、法律で原料や作り方まで細かく分けられていました。
ミュンヘンでは、毎年5月1日に「夏ビール」の販売が始まるんですけど、その時期になると街全体がざわつき始める。新聞では、「今年のビールは軽やかだ」とか、「去年より色が濃い」とか、毎年当たり前のように論評が載るんです。読者も投稿欄で、「今年はどこのビールがおいしい」みたいなことを盛んに書き込んでいた。
つまり、社会全体がビールのことをすごく重要なものとして捉えていたんですよね。もちろん、そこには女性が排除されている側面もあるんですが、それでも「ビールはおいしい食べ物だ」という感覚が、社会の中で自然に共有されていた。
今の日本で「ビールは食べ物です」って言ったら、「ただ酒が好きなだけじゃない?」って思われるかもしれない。でも当時のドイツでは、それがごく自然に受け入れられる社会があったんです。
だから、山野さんが言っていたように、言葉が現実を作っていく、という感覚は、やっぱりすごくあるんじゃないかなと思います。不思議ですよね。
山野
新聞で「今年のビールは去年より軽やかだ」とか、「この地域のビールはこういう味だ」って語られていた、という話を聞いていて思ったんですけど、それって、みんなの中にある程度共通の感覚がないと成立しないですよね。「去年と比べてこうだ」と言われても、去年の味を知っていなければ比較できないし、「おいしい」という感覚そのものも共有されていないと伝わらない。それに、「誰が言っているのか」っていうのも、すごく大きい気がするんです。例えば、全然ビールを飲まない私が「このビールすごくおいしかったよ」と言っても、そこまで説得力はないかもしれない。でも、ビールについて研究していたり、普段から好きで飲んでいる人が「これはおいしい」と言ったら、「じゃあ飲んでみようかな」ってなる。
つまり、「おいしい」という言葉ひとつでも、誰が発しているのか、その人がどれだけ経験を持っているのかで、言葉の重さや魅力って変わってくるんじゃないかなって思うんです。しかも今って、情報がものすごく溢れているじゃないですか。その中で、どんな情報を受け取って、どう言葉にするのかによって、おいしさの感じ方も変わっていく気がしていて。同じビールを飲んでいたとしても、ちゃんと冷えているのか、少しぬるいのか、それだけでも味の印象って変わるじゃないですか。そう考えると、おいしさって、本当にいろんな条件や経験の積み重ねの中で感じているものなんだろうなって思うんです。
東風谷
19世紀のビールについて考える時、作り手が「今年のビールはよくできた」と言うのと、飲み手が「今年はあまりおいしくなかった」と言うのでは、やっぱり意味も重みも違うんですよね。でも、僕が一番大事だと思うのは、そうやっていろんな人が意見を言い合うことで、「今年のビールはどうなんだろう」という議論の空間が生まれていくことなんです。言葉によって一つの“場”が作られていく。新聞がその中心にあって、そこにどっぷり入り込む人もいれば、流行として軽く触れる人もいる。でも、とにかく「おいしい」という話題を通して、人々がそれぞれ自分なりの感覚を持ち始めるんですよね。新聞では「今年はこのビールがおいしい」と書かれていたけれど、自分で飲んでみたら「いや、自分は別の醸造所の方がおいしいと思った」と感じる。そうすると、それを友人に話したり、新聞に投稿したりする。そういうやり取りが積み重なっていくことで、「ビールのおいしさ」が社会の中で大きな意味を持つようになっていくんだと思うんです。
だから、おいしさって単純に味だけではなくて、言葉や身体的な経験 ——乾杯するとか、誰かと一緒に飲むとか、そういうことと絡み合いながら、人間同士のつながりや社会そのものを作っていく部分があるんじゃないかなと思っています。
山野
そういう「おいしさを評価する場」が生まれることで、人は「ビールのおいしさって何なんだろう」って考えるようになるんですよね。ただ消費するだけじゃなくて、一歩引いたところから、自分が感じているおいしさを見つめ直すようになるというか。実際には、飲んでいるもの自体は今までと変わらないのかもしれないけれど、「どうおいしいのか」を言葉にしたり、誰かと共有したりすることで、自分の感覚そのものが深まっていく気がする。みんなの評価の中に自分も参加している、という感覚があることで、自分が経験しているおいしさも、より輪郭を持って感じられるようになる。そんなふうに感じた。
東風谷
そうだと思う。現代の生活って、すごく平準化したり規格化された食べ物に囲まれていると思うんです。便利だし、安定しているし、それ自体にはもちろん良い面もある。日本中のたくさんの人たちと、同じような味のものを日常的に食べることになっている一方で、誰かと一緒に食事をするとか、自分にとって大切な人と、大切な場面で食べるものって、やっぱり少し違う気がするんです。おいしさって、ただ効率よく供給されるものだけじゃなくて、誰と食べるかとか、その場にどんな時間が流れているか、関係性のようなこととも深く結びついているんじゃないかなって思います。
山野
味そのものは同じでも、一緒に食べていて「甘い」と感じる人もいれば、「コクがある」と表現する人もいる。受け取り方や、言葉にするときの感覚って、人によって少しずつ違うんですよね。でも、その違いをおもしろいと思えること自体が、人と人、食と人との関係なのかもしれないなって思いました。おいしさって、味だけじゃなくて、その人がどういう経験をしてきたかとか、どんな言葉を持っているかによっても変わってくる。
そう考えると、「おいしい」という言葉も、単独で存在しているものではなくて、人と人との関係性の中で育っていくものなのかもしれないですね。
今回お話を聞きながらそう思いました。
東風谷さんありがとうございました。
ORD/言葉1
ORD/言葉2 前編
ORD/言葉2 後編
ORD/言葉3 8月13日(木)公開予定
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