本と生き方
人生の主語
「コトゴトブックス」店主
木村綾子
良く晴れた秋の日曜日だった。
浜島直子さん、山崎怜奈さんとはそれぞれ仕事をきっかけに出会い、以来、親しくさせていただいている。そして今年は9月に山崎さんの『まっすぐ生きてきましたが』が、10月に浜島さんの『蝶の粉 改訂文庫版』が、そして11月に拙著『本が繋ぐ』が発売したこともあり、互いに祝しねぎらおうと、我が家に招いて会をひらいたのだった。


示し合わせたように各自本を持参していて笑ってしまったが、乾杯も早々に、ページをめくりながら感想を伝え合う姿はさながら読書会のようで、「まあちょっと、落ち着きましょうか」と言い合い、再度笑った。けれど会話はおのずと本を軸に運ばれる。
『まっすぐ生きてきましたが』は、山崎さんにとって2冊目のエッセイ集だ。話したり書いたりすることで自分を伝える仕事のこと、一週間のヨーロッパ放浪で出会った人や景色のこと、東京の夜景に馳せる思い、〈これがあるから生き延びなくては的なイベント〉が必要だった3月の夜。祖父の遺したカメラ、変化していく体、愛猫との日々、商品としての自分と本来の自分……。
現在28歳、順風満帆にキャリアを重ねているように見えるけれど、当然そんな単純なことはなく、本書を読むと、彼女の、生きるのが上手そうに見えるが実は不器用な一面や、怒りや不安や葛藤をごまかさない強さを持ちながらもしなやかに立ち回る柔軟性や、結婚や出産など女性としてどう生きていくかに対する葛藤が、あちこちから伝わってくる。弱気になったり諦観したり、ぱっと視界がひらけたり、ときどき怒りに震えたり、自分を奮い立たせたり、世界やルーツに目を凝らしたり、愛しいものへ呼びかけたり。いろんな声色を響かせながら、言葉で世界に、そして自分自身に立ち向かっていく姿を見せてもらっているうちに、私も自分の来し方行く末に思いを馳せていた。
例えば収録作「拝啓、母上様、父上様」には、こんな一節がある。
〈誰かと一緒に生きていくというのは、逆説的に、自分の人生の主語を自分にすることだと思う〉
これは山崎さんが昔ラジオで聴いた言葉だというが、この言葉を実人生に引き取って、育ってきた家庭環境を見つめ返したり、この先自分が人と共に生きていくなら何を軸にしていきたいかと未来を見晴るかす思考の過程が、実に素晴らしかった。
さらにエッセイ集全体を見渡してみても、この言葉は啓示のように響いているように思うのだ。
〈共闘する仲間を見つけて手を組んだ〉(同上)と両親の結婚を捉える視線も、〈自分が誰かの記憶にいるのはうれしい〉(「人間関係」より)という祈りにも似た願いも。〈掛けられた言葉のどれを覚えて置いて、どれを書き留めるかを選ぶのは自分〉(「よからぬ噂は風にのって」より)という戒めも、〈一緒にいると長生きしたくなる人が近くにいたほうがいい〉(「私を離れる」より)という友人からの助言も、主語を自分にして人生を見つめている証左に他ならない。
山崎さんは耳の良い人だと常々思ってきたが、耳が良いとは単に聴力だけを指すのではない。その響きに何を感じ取るか、震動した自分の内部にいかに耳を澄ませられるか、そんな能力に長けた人のことを指すのだと、彼女を見ていて思う。
山崎さんが聞き取り、書き残してくれたからこそ私たちにまで届いたこの言葉を俎上に載せて、三者三様に解体してみる。
「自分の人生の主語を自分にすること、かあ。私はちゃんとできてるかな」
と、浜島さんが問いを引き取る。夫と息子、そして愛犬と暮らす浜島さんは現在49歳。19歳で北海道から上京し、23歳になる直前で結婚、38歳で出産と、公私ともにキャリアを重ねている。けれど当然そこには数々の選択があり、何かを選ぶということは、同時にもう一つの幸福の可能性を自ら手放す選択をすることでもあるのだと、彼女は知っている。そしてそのことは、『蝶の粉 改訂文庫版』に新たに加わった書き下ろし作品「けむり」が裏付けしている。
愛犬ピピちゃんを家族で看取ってから、ピコちゃんという新しい命を迎えるまでの間に浜島家に起きた出来事を綴る本作もまさに、誰かと共に生きるとはどういうことかを真っ向から見つめた作品だった。夫や息子の胸の内に潜り込んで、言葉で気持ちをすくい取るような作業にどれだけ心を砕いたか、それを最後までやり遂げた彼女の胆力は計り知れない。そしてよく読めば、書かれてある夫や息子の発言も、それを支える意思も、確かに主語は自分なのだった。
例えば、里親を探している犬の存在を知ったとき、息子さんはこんなふうに言う。
〈おちゃぷが『飼いたい! 飼いたい!』にならないって約束するなら、オイラも付き合ってあげてもいいよ〉(注:おちゃぷ=息子さんが浜島さんを呼ぶ愛称)
一方で、旦那さんは断言する。
〈飼ってもいいよ。でも、俺はこの家を出ていく〉
けれど浜島さんは、新しい命を迎えたい思いを諦めきれない。拘泥してしまう理由はなになのか、やがて彼女は思い至り、行動するのだった。
「私はちゃんとできてるかな」と浜島さんが自問した答えは既に本が示していたと、私たちはこうして気づく。


「木村さんの本は、ポルトガルのポサーダみたい」
ふいに浜島さんが言った。ポサーダとは、王宮や古城、修道院などかつての国の重要な建造物を改修した宿泊施設だ。浜島さんが泊まったというポサーダは、広い丘の上に建っていて、見晴らしが良く開放的で、建物の周囲は人で溢れていたという。「でもね、宿泊する部屋の中に入ったら印象が全然違ったの!!!」と大げさに驚いて見せた。建物の中は分厚い壁に守られていて、キンと静かで、そのギャップに驚いたのだと。「簡素だけど必要なものは揃ってて、隅々まで清潔に整えられてて、もうそれだけで十分だって分かるの。で、この空間を守るためにはこれだけ分厚い壁が必要なんだと気づいたこと、木村さんの本を読みながら思い出した」
それを聞いて山崎さんが、「この家も、どの季節に来ても、一人で来ても大勢といても、変わらず居心地がいいですと言葉を重ねてくれた。本と私を、そして世界を、こんなふうに繋いでくれる人のいる喜びを、しみじみ思った。
わたしの素

「もしかしてこれアレですか?アレですね!ドラマの!!」
会話もお酒も弾んで調子が良くなるとゴキゲンキッチンドランカーに成り果てる私が作り始めたのは、まさにドラマで見たアレだった。『じゃあ、あんたが作ってみろよ』の主人公・鮎美が作っていたメキシカン春巻き。冷凍庫に作り置きのタコミートと春巻の皮を見つけて、突発的に再現してみたくなったのだった。一口食べてすぐ気づいてくれたのが、嬉しかった。

(山崎怜奈さんの美しい手に持たれた幸福なメキシカン春巻き♡)
「まさにこれですね!」「もうちょっと塩気欲しかったかな」「ほんとの味わかんないけど、これがきっと正解!」なんて想像力をたくましくしながら物語の味を味わって、正解が分からないという現実もまた人を幸福にすることを知る。

連載
本と生き方の扉
「コトゴトブックス」店主
木村綾子
世の中の事や人の事を想い、本と人をつないでいく木村綾子さんと、彼女らしさの素をつくる、本から影響を受けた食事。