haruka nakamura|音楽家
もし「いま会いたい人は?」と聞かれたら誰を浮かべますか。
ほとんどのことをスマホで完結できる時代ですが、時間をかけて出かけたり、会ったりするからこそ生まれる会話や思い出があるのではないでしょうか。効率が求められがちな今だからこそ、あえて非効率にしてみる。そこには、今の私たちに必要な豊かさがあるのかもしれません。
オリジナル作品を中心に全国各地で活動するharuka nakamuraさん。劇場アニメや映画、ドラマの音楽を手がけるほか、写真家や画家、料理人と、展覧会や食事会で音楽を奏でてきました。以前の取材で語られたのは、音楽と食事が重なり合う時間や、画家・牧野伊三夫さんとの夕餉。今回は、その牧野さんを「いま会いたい人」に挙げてくれました。
これまでの取材記事|「あの人のオイシサ」haruka nakamura(音楽家)
コチラ
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haruka nakamura(ハルカ・ナカムラ)|音楽家
近年は劇場アニメ『ルックバック』(24)、映画『この夏の星を見る』(25)、TBSドラマ『Tシャツが乾くまで』(26)などの音楽を担当。代官山 蔦屋書店などで展覧会を開催し、楽譜本『ピアノ曲集』を発表。オリジナル作品や劇伴など、さまざまな音楽を手がける。
https://www.harukanakamura.com/
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オイシサノトビラ
harukaさんが「いま会いたい人」はどなたでしょうか? 会いたいと思った理由もあわせて教えていただきたいです。
haruka nakamuraさん
画家の牧野伊三夫さんです。
牧野さんとは20歳ほど離れていますが、僕が東京に住んでいた頃は、親しい飲み仲間のようなお付き合いをさせていただき、よく飲みに連れていってもらいました。湯島のバー、上野の居酒屋、吉祥寺の酒場、中野のバー、国分寺の喫茶バーなど、牧野さんに教えてもらわなければたどり着けなかった店がたくさんあります。当時はまだ、本にもインターネットにもあまり載っていない名店ばかりでした。長く続いた店が多かったのですが、今ではいくつかが、すでに店を閉じてしまいました。
僕が東京を離れてからは、一緒に飲み歩く機会は少なくなりました。けれど、牧野さんが滞在制作や旅を企画してくれ、以前とは違うかたちで、夕餉をともにする貴重な時間を重ねています。最後に会ったのは、今年の春。博多でのことです。
牧野さんには、小津安二郎監督の映画や『男はつらいよ』の世界に、そのまま登場しても何の違和感もないような風情があります。むしろ、どこかの作品に出演していたような気さえします。夏は家でも浴衣で過ごし、紙巻きたばこを吸い、七輪の火をおこしている。その姿を見ていると、本当に令和に生きている人なのだろうかと、不思議に思うことがあります。
牧野さんと過ごす時間には、独特の情緒があります。忙しい世の中で見失いがちな、ゆったりとした大きな時間の流れを取り戻せるような気がするのです。声も、話し方も、笑い方も魅力的で、どこか癖になります。しばらく会わないと、禁断症状のように会いたくなる人です。『やあやあ、はるかくん、元気かい?』と、今にも声が聞こえてきそうです。
みんなでにぎやかに宴会をして、人と会うことが好きなのも牧野さん。一方で、まだ暗い明け方に一人で起き、アトリエでラジオを聴きながら、青い静寂の朝を過ごす孤独な姿も牧野さんです。日向の笑顔と、影の横顔。そのどちらも持ち合わせている姿に、深く共感します。
オイシサノトビラ
牧野さんとの出会いと、一緒に飲み歩いていた頃のことを教えていただけますか。
haruka nakamuraさん
出会ったのは、武蔵小金井にあった酒場の名店・大黒屋です。たまたま隣のテーブルに座っていて、僕が故郷・青森の津軽弁で『まんずまんず』と挨拶したのを、なぜか気に入ってくれました。僕の人生で、津軽弁が最も役に立った出来事です。
牧野さんも僕も、酒場と同じくらい銭湯が好きでした。風呂で待ち合わせをして、そのまま酒場へ行くのが定番でした。牧野さんと一緒に飲んでいると、酒場での注文の仕方や常連とのやりとり、寿司屋や蕎麦屋での飲み方まで、たくさんのことを実体験として教えてもらいました。
そして、牧野さんはどの店でも、働いている方に声をかけます。スタッフの名札を見て、『すみません』ではなく、『おーい、○○さん』と、きちんと名前で呼ぶのです。居酒屋でも、旅先の駅の窓口や観光案内所でも、一人の人間同士として向き合い、しっかりと話し込みます。初めは戸惑っていた相手も、途中から笑顔になり、最後には手を振ってくれる。その光景を後ろから見ているのが、僕は好きでした。
先日は地方新聞に、水風呂へ浸かる牧野さんの写真が載っていました。記事を読むと、水風呂にドライアイスを入れる銭湯の企画で、『まるで自分がアイスクリームになったようだ』とコメントされていました。肩書きは画家ではなく、ただ『利用者』。そういうところまで含めて、僕が憧れる人です。
© Futoshi Osako
写真:出会いの酒場・大黒屋と、牧野さんと巡った東京の酒場
オイシサノトビラ
牧野さんと過ごした時間のなかで、特に心に残っている夕餉について教えてください。
haruka nakamuraさん
特に心に残っているのは、牧野さんの家に招かれて囲んだ夕餉です。家には毎回、牧野さんが考えた献立を記した、直筆のメニューが貼られています。それを見るだけで胸が高鳴りました。
牧野さんが七輪で炭火をおこし、その火で焼き鳥を焼いたり、鶏鍋をつくったり。おいしい料理が何品も並び、昔の正月の家族の集まりのように、みんなで円になって食卓を囲みます。僕の知らない方にも、いつの間にか声がかかっていました。最初は驚きましたが、初対面でも牧野さんの仲間はみな、僕によくしてくれました。
夕餉のあとは、牧野さんも僕もソングブックを開き、ギターで弾き語りをします。夜が更けると、明かりはろうそくの火だけになる。いつも、夢か幻のような食卓でした。
写真:牧野邸の夕餉と、壁に貼られた直筆の献立
オイシサノトビラ
牧野さんと過ごしてきたなかで、酒場や食卓以外に印象に残っている時間はありますか。
haruka nakamuraさん
東京を離れてからは、五島列島を旅したり、岡山県の牛窓という海辺の街で滞在制作をしたりして、合宿のような時間も過ごしました。そこでも牧野さんの指揮のもと、夕餉をみんなでつくって宴会をします。夜の波止場でギターを弾いて歌い、真夜中には、牧野さんが絵筆をとって、僕のピアノと即興でセッションしました。
牛窓では、中学校で音楽と美術の授業をして、生徒たちと歌をつくり、卒業式にも参加しました。僕が牧野さんを『師匠』と呼んでいたら、生徒たちまで『師匠! 師匠!』と呼ぶようになったことを、微笑ましく覚えています。
東京では酒盛りばかりでしたが、滞在制作をするようになってからは、二人で絵とピアノの即興セッションライブも行うようになりました。風呂と酒場だけではなく、表現への向き合い方も教えてもらう機会が増えました。こうして振り返ると、本当に夢か幻だったのではないかと思うような、ほかにはない思い出がたくさんあります。

© Futoshi Osako

© Futoshi Osako

© Futoshi Osako

©︎takahisa suzuki

© Futoshi Osako

©︎takahisa suzuki
オイシサノトビラ
最後に会った、今年の春の博多では、どのような時間を過ごしたのでしょうか。
haruka nakamuraさん
牧野さんの展覧会にあわせ、ギャラリーの周年を祝う催しに呼んでくれました。牧野さんがプロデュースした宴です。それは、いわゆる一般的な周年の会とは一線を画すものでした。
会場は昭和の趣が残るホテルの宴会場のような場所で、結婚式のように白いクロスをかけた大きなテーブルが並んでいました。ホテルのスタッフが料理を運び、おそろいの衣装を着た二人の司会者が進行します。大勢の関係者が酒盛りをし、ビンゴ大会もあって大盛り上がり。故郷の小倉から牧野さんのご家族もいらしていて、まるで親族の集まりのようでした。
宴もたけなわになった頃、小上がりのステージで、牧野さんと二人でつくった『牛窓のうた』を、ギターと歌で演奏しました。しみじみとした曲なのですが、終わった途端、真っ赤に酔った日田のきこりめし弁当の関係者が、『アンコール! もう一回!』と拍手しながら叫びました。最後には、ペルーから来た歌手の民謡にあわせて、みんなが立ち上がり、輪になって会場を練り歩きました。僕もギターで参加しながら、その光景に、黒澤明監督の映画『夢』を思い出していました。
牧野さんの世界に入ったら、その流れを楽しむのがいちばんです。静けさも、にぎやかさも、どちらも持っているのが牧野さん。小さな概念を吹き飛ばすような世界が待っています。
オイシサノトビラ
わたしたちは、味や栄養、見た目だけではなく、その人にとって大切な食事こそ「オイシサ」だと考えています。harukaさんにとっての「オイシサ」とはどのようなものでしょうか。
haruka nakamuraさん
僕にとっての『オイシサ』は、日々の中で大切だと感じるものへ向ける、素直で率直なまなざしから生まれるものだと思います。僕は、牧野さんのそのまなざしに、いつしか憧れるようになりました。
それは、現代を生きる僕たちが見失いがちなものです。スマートフォンで検索しても出てこないし、AIに聞いても、うまく答えが返ってこないもの。例えば、知らない街へ一人で行き、銭湯に浸かり、ぶらぶらと酒場を探して、自分の嗅覚だけを頼りに、一か八かで暖簾をくぐってみる。そうしているうちに嗅覚が育ち、店構えを見れば、よい店に出会えるようになります。
手づくりで長年刊行している美術同人誌『四月と十月』、スケッチ会、林業の企画から生まれたきこりめし弁当。牧野さんの活動には、いつも牧野さんらしい形があります。一般的な贅沢とは違う視点から生まれる、豊かな何かがあふれています。僕はときどき、その背中を見て学び続ける生徒のような心持ちになります。松尾芭蕉の『奥の細道』に同行した河合曾良のように。
牧野さんは、誰かに僕を紹介するとき、『僕は彼の音楽が好きでね。ただのファンなんだ』と、よく言ってくれます。でも、それを言うなら、僕は牧野さんの生き方そのもののファンなのでしょう。
オイシサノトビラ
互いの表現を大切にし、食卓や旅、音楽をともにしながら重ねてきた、お二人の時間の豊かさが伝わってきました。ありがとうございました。
了
テーマ|いま、会いたい人
池田航|俳優
藤間爽子(藤間紫)|俳優・日本舞踊家
佐津川愛美|俳優
八村倫太郎|アーティスト・俳優
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