前回のつづき
2年で6回もカフェ・セシリアに行ったのは、日本からやってきた友人たちのリクエストがあってのことだ。そもそも、2年間で5回ロンドンを訪れたのも、友人に合流したことに端を発する。
最初にきっかけをくれた友人は仕事での滞在だった。それが2年前の10月。
友人とは、1日ゆったりと一緒に過ごし、残り4日は現地に暮らす友人たちと再会しつつ、かつてないほどに朝から日が暮れるまで歩き回って充実の5日間を送った。誰に頼まれたわけでもない、好奇心だけで突き動く探索は、最高に楽しかった。
次はいつ行けるだろう?と思っていたら、半年後、今度はかつてパリに住んでいた友人から連絡が来た。「最初にロンドンに行ってからパリ入りします!」と言った彼女に、「ロンドンいいなぁ」と伝えると「え、よかったら来てください。ロンドンでは一人だから、あっこさん来てくれるならすごくうれしい!」「じゃあ、行く」。そうしてまた私は合流することにした。その友人に、行きたい店があるかを尋ねたところ、2軒の名前があがり、一つがカフェ・セシリアだった。
東京でカフェを経営する彼女ともまた、たくさん歩いた。歩きながら、ロンドンのどんなところに魅力を感じるかをえんえんと話した。そして、滞在最後の食事を、カフェ・セシリアで締めた。セージの葉でアンチョビを挟んだフライと、ひき肉のラグーにホースラディッシュのクリームをこんもりのせたタルティーヌから始まったランチは、見たことのない素材はひとつもないのに、でもだからこそ新鮮に感じるおいしさで、やっぱり来てよかったと思った。鯖のグリルが開きで現れたことにも、皮目を上にして盛り付けてあることにも、意表を突かれた。鯖の、知らなかった一面を新たに見たような気がした。デザートのいちじくの葉のアイスまで、存分に味わった。
その半年後に今度は一人で朝食に訪れ、さらに半年後。そのときは日本からやってきた友人と、ディナーに出かけた。その友人もどっぷりと料理を生業にしている人だから、心ゆくままに注文し、楽しんだ。豚肉のローストに桃のグリルの組み合わせは大好きになったし、これ以上ないくらいシンプルなグリーンサラダに心をつかまれた。
その様子をインスタグラムのストーリーにアップしたら、その日のうちに、3人からメッセージが送られてきた。ロンドンへの好奇心が、いつの間にか伝播していたのかもしれない。書かれた内容は同じだった。「今度ロンドンに行くときは、教えてほしい。一緒に行きたい」。
そうして、メッセージがいちばん乗りだった友人と、10月の終わりにロンドンで合流することになった。カフェ・セシリアは、彼女の“行きたい店リスト”にも入っていて、初日のランチに予約した。というのも、作戦を立てたのだ。ランチかディナーのどちらかには必ず行くとして、できることなら朝ごはんも食べてほしかった。なにを隠そう、私が、ぜひとも、もう一度行きたかった。朝食メニューはコンパクトながら、イギリスのエッセンスがちりばめられている印象で、かつ、朝の店の空気は、とてもいい気がした。それに、光がきれいだった。紅茶は、イングリッシュ・ブレックファーストを頼むとガラスのポットで出てきて、カップに注いだら漂った湯気がまたよかった。思い出したら、脳裏に浮かぶシーンはぜんぶ心地よくて、そう、こんなときに私は、誰かと一緒に行けたらいいなぁと思う。ミルクティーをひと口飲んだ後に、思わず鼻から大きく息を吸い込みたくなったあの感じは、そこに身を置かなかったらわからない。そんな一服から始まった朝ごはんはリラックスした味で、朝ごはんの時間そのものがホワーンと、空気と光をともなって私の中に残っている。自分を惹きつける存在のありかはいつまでたってもはっきりとはわからず、言えるのは、あの朝ごはんの時間があのメニューを見るところから始まって、もうなんかともかくそこからずっと楽しいんだよ、ってことだった。ただ、あの魅力は、ランチでしっかり食事をしたことがあって、その上で感じられたものかもしれないから、まずは食事に行って、気に入ったら、朝ごはんにも行く選択ができるように…と、最終日の朝食を未定にすることにした。
そんな作戦まで立てていたところへ、ロンドンに向かう3日前、ひとつの告知が目に飛び込んできた。定期的に足を運んでいるパリ郊外のファーム・レストランLe Doyenné (ル・ドワイヤネ)が、カフェ・セシリアのレシピ本出版記念ディナーを開催するという。当日は、カフェ・セシリアのシェフが厨房に立ち、レシピ本に掲載されている料理を振る舞うらしい。イベントはロンドン旅行の翌週で、なんとしても行きたいと思った。ロンドンの味と、パリでの味を2週続けて味わえるなんてこんなチャンスがあるだろうか。おまけに、初めてのル・ドワイヤネは、今回ロンドンで合流する友人が一緒だったのだ。
ロンドンからパリに移動して数日後に帰国予定の彼女に、その場で連絡をした。行く?と訊いてみると、案の定「(滞在を)延ばしたくても延ばせない」という返事だった。仕方がない。彼女の分まで私が食べることにしよう。いずれにしても、思いがけない告知によって、ぱんっと弾けるような高揚感が発生し、楽しみな気持ちが膨らんだ。
わたしの素
膨らみきった気持ちは、当日、注文に表れた。前菜2品、メイン2品にサイドディッシュ2つ、デザート3品。吟味に吟味を重ねて選んだ料理は、のっけから、初めての出合いを差し出してきた。
どんな味か想像がつかなくて頼んでみた「燻製ハドック(タラ科の魚)のチャウダー」がテーブルに置かれたと同時に、私は一瞬、身構えた。見た目からすでに未知との遭遇になることを、全く予想していなかったのだ。チャウダーだから、とろみのついた魚介入りクリームスープ、と思っていたら、目の前に現れたそれは、焼きめのついていない少しゆるめのグラタンの中身のように見えた。実際、食べてみると、見た目の延長線上にある味だったのだけれど、確かめるように、口に運べば運ぶほど「あ〜、私、これ好きだわ〜」とじわじわ心に沁み込んだ。単調な味だった。それが、すごくよかった。病み上がりに食べるおじやみたいな、食欲に対して自分のコンディションが上向きになるなかで感じるおいしさに通じていた。
初日にしてすでにクライマックスのような食事は、初体験、新発見、再認識と、自分の経験を総動員して受け止めようとしても受け取るものが多すぎて、気持ちが追いつかなかった。
帰り道は、体も心も熱を帯びている感じだった。友人は、鼻歌を歌っていた。
結局私たちは、最終日の朝ごはんに、カフェ・セシリアを再訪することにした。
連日、食欲と胃をフル稼働させた結果、この朝は、食べたことのなかったギネスブレッドにゆで卵と、クーレアというチーズを合わせたひと皿に、グラノーラと、分別のある注文をすることができた。
料理が出てくるまで、私たちはたわいもない話をした。週末の朝だったからか、どのテーブルものんびりとして、どこか、ホームパーティーの翌朝みたいな雰囲気だった。隣の隣のテーブルは若い男女の2人組で、とても楽しそうに会話をしていた。それを横目で見つつ、「あんなに家からそのまま出てきたって格好でここに朝ごはんに来られたらいいね」「すごい楽しそう。付き合い始めかな」「いや、まだ付き合う前かもしれない。ずっと親友とか」「あーそれもあるかもね」などと、思わず余計なお世話の想像をしたくなるくらい、一つ隔てたテーブルまで伝わってくる彼らのうれしさモードにこっちもウキウキして、この店があるここでの暮らしを思った。
―パリ篇―につづく