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パリで食べたロンドンの味(前編)

パリの空気の扉

パリで食べたロンドンの味(前編)

10月の終わりにロンドンへ行った。気づけば、2年前の10月から、もう5回目だ。ほぼ半年ごとに訪れている。何かプロジェクトでもあるように思えるが、仕事でもなんでもなくて、ただ、楽しむことが目的だ。もっと具体的に言うなら、ごはんを食べに行っている。それ以外にしていることといえば、歩く、だけ。要は、おいしいものを巡り、歩く。それが、楽しくて仕方がない。

ロンドンには、以前から、1、2年おきにショートトリップに出かけていた。パリから電車で2時間20分ほどと近場ながら、着いた途端に「外国に来た!」と感じるのは、煉瓦造りの建物が多く、街で目にする色合いが異なるところによるのではないかと思う。中心地に大きな公園があることも快適だし、美術館の企画展も興味深く、つい立ち寄りたくなる本屋さんも点在していて、いつ訪れても、足を運びたい場所はいっぱいだった。

それが、「レストランとベーカリーと食材店を巡っただけで終わってしまった!」という滞在の仕方に変わったのは、コロナ禍が明けて初めて訪れた2022年のことだ。まるで、取材旅行かのようにいくつもの店を巡る数日を過ごし、どこの美術館にも足を向けないまま最終日を迎えた。
その頃、普段パリで食事に行くレストランのシェフやオーナーたちは、こぞってロンドンに行っていた。そして口を揃えて言った。「trop fort !」と。そのまま訳すと、強すぎる!になるが、意訳するなら「すごすぎる!!」という感じだろうか。ロンドンのフードシーンは刺激に満ちていて、パリにはないおいしさがあった。



2022年、数年ぶりでロンドンを訪れるにあたり、現地で暮らす友人たちに連絡をした。フード業界に携わる仕事をしている彼女たちから、話題の店や直近で行ったおいしい店を教えてもらい、私が気になってチェックしていた店についても聞いたりしてやり取りをする中で、「ヘリテージ・フラワー」という言葉が出てきた。在来種や古代種の小麦粉を使うベーカリーが登場しているという。パリにもそういったパン屋さんが出現してきていたから、「同じ流れが生まれているのだね」と相づちを打ちつつ、ロンドンでもコロナ禍を経て食に対する人々の意識が変化したのかもしれない、と想像した。パリで挙げられる顕著な例としては、青果物や乳製品を中心に生産者と直接契約を結んで仕入れる食材店が続々とオープンし、“土地のもの”あるいは“その土地由来のもの”との距離が近くなったと感じているところだった。小麦粉の話から察するに、ロンドンでもそんな“地のもの”を手に取れることがあるのかもしれない。期待に胸を膨らませ、楽しみに向かった。


果たして、5日間の滞在は、ワクワクが途切れることがなかった。
朝9時到着のユーロスターで向かい、まずはホテルの近くで行きたかったベーカリーでカボチャとセージのロールパイを買って食べた。パリでは見かけることのない、カボチャとセージの組み合わせに一気にテンションが上がった。フランスだったら、カボチャには、タイム、オレガノ、ローリエ、パセリ、ローズマリーあたりを合わせる。セージの香りがついたカボチャは、食べたことがない気がした。だいたいフランスのパン屋さんには、塩味のパイ包みが存在しない。売っているのは、甘いものに限られる。パイ生地を使った料理はあるものの、それは皿に盛り付けられて食べるもの、もしくは、ひと口サイズで出されるおつまみで、小腹が空いたときにコーヒーと楽しめるようなパイ生地を使った料理はない。きっと、イギリスの塩味系パイ包みにあたるものは、フランスではキッシュやタルトになるのではないかと思う。
ロンドンの友人に聞いたら、カボチャにセージを合わせるのは、イギリスではとてもポピュラーなのだそうだ。到着後、最初に口にしたものから、その土地ならではの味に出合えたことが、おいしいもの探索への意欲をかき立てた。


こうして始まった滞在は、食べたことのないイギリスの味との遭遇と発見の連続だった。そう感じたことを不思議に思った。これまでだって、ロンドンを訪れるたびに“この組み合わせはなんだかイギリスっぽいなぁ”と感じる料理に出合ってきた。そもそも、滞在中の食事に選ぶのは“パリにはないもの”が見つかる店だ。その時どきで、インドをはじめ、中近東や東アジア、南ヨーロッパなど、異なる食文化の話題店を楽しむこともあったけれど、いちばん食指が動くのはいつだって、イギリスの食卓の風景を垣間見られそうな料理だったし、“この素材にこれを合わせるのかー!”と新鮮に感じる味の体験を重ねてきた、はずだ。

どういうことだろうか。考えてみたら、2つ、思い当たることがあった。
まず最初に浮かんだのは、国内産の食材を使い、イギリスで愛されてきた味を現在に繋げるような料理の流れが以前よりも強まっているのかもしれない、ということだ。
2つめは、私自身の食生活が変化して、メニューを見たときに意識する点が変わったことが考えられる。スーパーでの買い物はトイレットペーパーや洗剤のみで、生鮮品はもっぱらマルシェに出店する生産者からか、生産者と直接取引のある小売店で買うようになって15年ほどが経つが、フランスでの生産がほとんどないもの、例えば生姜などは、輸入品を扱う店で買っていた。それが、ここ数年で、わざわざ遠い国から輸送されてくるものを食べる必要はないな、と思うようになった。きっかけはいくつかあるのだけれど、コロナ禍に、よりその気持ちが強くなったのは確かだ。自分の暮らす土地で作られたもの、あるものだけで十分すぎるくらい暮らしていける。ないものは、それが生産される土地に行く機会があればそこで食べればいい、と思うようになった。でも、例外として、コーヒー、紅茶、チョコレート、スパイスはよしとしていて、すごく厳密に、堅苦しく実行しているわけではない。ただ、基本的に、搬送距離の短い生産物を購入して、生活したいと思っている。
そんな変化から、“その地ならでは”の食材や、味の組み合わせに以前にも増して、私のアンテナが反応するようになった可能性は大いにあり得る。

足を運んだどこの店でもメニューを見るたびにうれしかったのは、料理に加えられているチーズがどれもイギリスのものだったことだ。たまに、ブッラータを目にすることはあったけれど、フランスのチーズ名は見ずに終わったと思う。この言葉はなんだ?と調べるとチーズで、イギリスの地方名だったりした。前は、こんなにも毎度、メニューで、イギリスのチーズに出合わなかったように思うのだ。もしかすると、私が気にかけていなかっただけなのかもしれない。いずれにしても、地方の名前を冠した見知らぬチーズの存在を知ると、途端にその土地の食文化をほんの少し感じられた気がして、そしてもっと知りたくなった。

その滞在で食べた料理はどれも印象に残り、その後、どの店にも再訪することとなった。中でも、もっともリピートしているのが、Cafe Cecilia(カフェ・セシリア) だ。初めて行った時にはひとりで、メインに、「ムール貝、シードル、フェンネル&パン」と書かれた料理を頼んだ。ムール貝にワインではなくシードル、ということにとても興味が湧いたからだ。

出てきたそれは、ムール貝の上にトーストがのっているだけかと思いきや、器の底に何枚かトーストが隠れていて、ムール貝のスープに浸っていた。半ばオニオングラタンスープ的なその一皿に私は大いに興奮して、これは次に来る時にはシェアして他の料理も食べてみたい!と思った。

それから2年。カフェ・セシリアでの食事は6回を数えた。

後編につづく

 

久々にラジオに出演。ドキドキして聴けるかどうか…12月中は、毎週火曜日22時から流れるそう。「渋谷のラジオ」です。

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