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ÖVERSIKT/あらすじ2 後編

食事を空想するプロジェクト

ÖVERSIKT/あらすじ2 後編

山野アンダーソン陽子

ガラス作家

山野アンダーソン陽子


前編からのつづき

栗からはじまった空想の入口


山野
スウェーデンでは栗が全然売ってないんですが、この前スーパーで大きなネットに入った栗を見つけたんです。すごく高いけど、スウェーデンで栗なんて見たことないから息子が買おうって言って買ったのだけど。

永井
栗は、輸入しているということ?

山野
そうそう、トルコからの栗だったんですが、それでどうやって食べるのかをいろいろ調べたんです。全部息子と一緒にやったのだけど、茹でて熱いうちに皮を剥かないと剥けないので苦戦しました。皮を剥くのが大変だったから、息子が「コンビニで売ってる栗が百円ぐらいで買えるのは、本当に安かったんだね」って言い出して。「だからもうちょっとちゃんと食べよう」って提案してきたんです。
その時、こういうことなのかもしれないなと思って。コンビニの栗は、機械とか今の技術で簡単に剥けちゃうのだろうけど、実際は栗を一個一個手で剥こうってなったらすごく時間がかかるしエネルギーもかかるし、ありがとうって思わなければいけないぐらいなんですよね。
工房で制作するガラス食器もそれと同じぐらいの労力というか技術があって。私の使っている技術は昔の技術だから1日で20個とかしかできないけど、要は機械とかなら1日に何千個って作れる方法もいっぱいあるんです。
さっき永井さんが言ってくれたみたいに、手仕事で向き合ってものづくりをする時に、その違いが伝わらないことで、これを続けていくことがただの自己満足でしかないのかなって思うこともあります。伝えることを整理してどう伝えていくのかも作り手側の責任でもあるのかなと思って。

永井
そうだよね。職人とか、デザイナーとか、アーティストとか、ある程度、職業というカテゴリーをベースにイメージができてしまっているけれど、ものづくりの現場で起こっていることと、社会の人たちが「作り手像」として捉えていることの間には差があるかもしれないですよね。例えば、デザイナーという職業は体裁を整えるというか、格好良くすることが仕事だと思われているかもしれないけれど、複雑に絡まった問題の突破口を見つけることが真の意図だったりする。食事って誰にとっても大切で身近なトピックだからこそ、それを起点に、作る人の思考に迫りやすいかもしれないですよね。

山野
そうですよね。私は一つ一つ自分で制作したモノを飲食店や展示会に来てくれた方に共有してもらえたらいい環境でお仕事をさせてもらっているので、専門的にマニアックな思考に至りやすいと思います。でも実際は自分もそのマスの中で生きていて。自分がやってることにある種の理念もあって、それを信じていくためにもマスつまりは「社会」ってことなんだけど、それを理解しないとダメだって思っています。だからこそ、このオイシサノトビラの機会はすごくいいきっかけだと思ったんです。
「月刊ガラス」みたいな専門誌みたいな内容にはしたくないけれど、専門的なガラス屋ということを通してできることがあるんじゃないかなって。いろんな視点からガラスのことも話していきたいと思っています。ガラス産業にも問題点がいっぱいあるから、そういうことも一緒に考えるきっかけになるかと。

永井
うんうん。自分のものづくりの方向性に沿うと、限られた数のものしか作ることができない作家さんでも、実は多くの人に自分の作品を使って欲しいと思っているのではないかと思います。昔は今よりずっと多くの人が作り手だったわけで。自分で使うものをある程度自分で作っていたからこそ、どんなものを作ると、自分が置かれている環境が変わるのか、考えていたのかもしれないですよね。ガラスも技術としてはとても専門的だけど、ガラスが作られたきっかけや、大切にされていた理由を考えてみると、人々がどのような生活を望んでいたかがわかるはず。

山野
周りの友人とか永井さんも含めて、ひとつのテーマについて話すってあまりないけれど、それぞれ専門があって、その分野を知りたいという気持ちがあります。みんながやってることを知りたいし、みんなが思ってることや直面してる問題みたいなことの話をしたら、自分の中の別の問題の解決策が見つかるかもしれない。私たちが話してて全然解決しないかもしれないけれど、読んでる誰かが解決に導いてくれるかもしれないから、言葉を残していくだけでも意味があるかもしれないと思ってます。

永井
確かに。私は、ものづくりをしている人の言葉って、独特の説得力があるような気がして、とても興味があるのです。自然物や自然現象を語ろうとすることって、言葉を超えている。言い表し難いことを、言葉に置き換えようとする作業って、想像力に溢れていて。例えば、熟練の大工さんが、材料のことや作業工程の話をするときなんて、聞き入ってしまいます。そういう人ならではの言葉には、自然とか素材と私たちが身体的に、感覚的にどう関われるのかを考える、いろいろなヒントが隠されているような気がするのです。

山野
問題提起するだけでも読んでくれる人が多くなれば多くなるほど、その人たちなりの解決策のようなこととか、道筋なのかわからないけれど、何かを見つけてくれるかもしれない。講師と生徒じゃないから、読んでくれる人が生徒ってことでもなくて、こっちの方が生徒で読み手の方がすごく物知りが多いかもしれないし。何言っちゃってるの、山野!みたいなのがあるかもしれないけど、それも面白いなと思って読んでもらえたらと思っています。
このプロジェクトでは、おいしさと言っても過去の話だけではなくて、未来のことも含めて考えたいと思っています。過去の経験から自身のこれからのおいしさが形成されているかもしれない。だから過去に何がおいしかったとか、そういうことだけではないとも思っています。

永井さんが出会ったひとつのおいしさ


永井
シンプルにおいしさの話をするのはすごく楽しいですよね。先日、地方に行った時に名店を見つけたかも、って思った出来事があって。

山野
永井さんのおいしさは、説明が上手ってこと?それって夏目漱石の羊羹の話が、本当の羊羹よりもおいしそうに感じるみたいなことかしら?

永井
ううん。今から話すのは、おいしさに向かっていく話。この前九州に行って夜食事できるお店を探していたのね。もう夜も更けて、回転寿司でも入ろうかと思った時に、ちょっと寂れた繁華街のようなところに、えんじ色の看板を見つけて。どうもその色が気になって。もしかしたらと思って、暖簾の向こうのガラス越しに中を見たら、カウンターが一直線に並んでいる。思い切って、引き戸を開けたら、すぐに割烹着の若女将が満面の笑みで出迎えてくれて。その瞬間、もう本当に絶対おいしいと思った。おいしさってそこからはじまってる。メニューはカウンターの前に並んでいる札にしか書いていなくて。黒い札に白い筆で書いてあるんだけど、それってメニューがそれほど変わらない、定番で勝負しているということだとピンときた。そこから真剣さが伝わってきて、こうなったら私の頭のなかも真剣そのもの。全然聞いたことないような料理の名前もあったので、他では食べられないものを頼もうって思ったの。出張中で一人だったから、胃袋の大きさを考えて三品くらいかなって。で、その三品の最後に頼んだのは「鴨水」っていう料理。土鍋に入ったスープなんだけど。鴨の肉の脂が溶けて、表面がこってりと輝いていて、美しい湖のような…。その上にニラが縦に長く乗って、さらに黄色い柚子が飾られていて。本当に美しかった。そば入りとそばなしがあったんだけど、もう絶対そば入り。そしてそばをすくったら、黄色い中華麺だったの。その想定外の出来事にも唸ってしまって。

山野
それって、そこまでの道のりからおいしいですよね!

永井
そうなの。それがおいしさというか、そこに行き着くまでの道のりとか、その店を成り立たせてる様々なディテールがもうおいしくなってたの。

山野
じゃあ、おいしさってどういうことなんだろ?簡単に辿り着けないとか見つけないとダメってことなのかな?

永井
そうだね、おいしさって、おいしい体験よりもずっと前から始まっているということかな。

山野
体験より前からはじまっている、って素敵ですね。

永井
うん、そうね。どこか募る思いがある。

何にも知らない街で、行くべき店がなかなか見つからなくて、寂しさが募って、もうおいしくなくてもいいとも思っていた矢先。でも、その時に「おいしいって言ってもらうぞ」、という意気込みに溢れた店の人と、その心意気が染み付いている店のディテールがあって。それが店の扉を開けた瞬間に雪崩れ込んできた。だから「おいしくないはずがない!」と思ったのだよね。

おわり



ÖVERSIKT/あらすじ1 
ÖVERSIKT/あらすじ2 前編
ÖVERSIKT/あらすじ2 後編
ÖVERSIKT/あらすじ3 

Graphic Design:Tomoko Yamashita

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食事を空想するプロジェクト

山野アンダーソン陽子

ガラス作家

山野アンダーソン陽子

「空想の食事会計画」を通じて、おいしさの可能性をたのしく妄想していきます。

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