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あの日あの場所のひととき。

あの日あの場所のひととき。

一日に一度、何も考えずにいるひとときを作るようにしている。ぼんやりタイムと、そのひとときを呼んでいる。

ひとときだから、10分のときもあれば、30分のときもある。たまに一時間のときもある。朝食のあとのときもあれば、日が暮れる頃のときもあるように、いろいろだ。

よし、今かな。そう思って、椅子やソファに座って、心の中で「ぼんやりタイムのスタート」と合図して、深呼吸をひとつ。

ぼんやりというのは、頭も心も身体も何もかも、ちからを抜くという感じ。糸の切れたあやつり人形のように。とはいえ、眠ることはない。それは注意。

ぼんやりしていると、いつもふわっと心に浮かぶ光景がある。

それは大概、いつか旅した、あの日あの場所のひとときだ。あたたかでしあわせな安らぎに包まれている自分がそこにいる。

あの日あの場所。それはいつも同じ。

真夏のニューヨークのセントラルパーク。西72丁目の入り口からすぐのストロベリー・フィールズ。その記念碑を囲むようにある美しい芝生のエリアに一本の太い樫の木がある。  

その木陰で僕は一冊の本を持って寝転んでいる。樫の木の枝には、太い尻尾が美しいリスの家族が集っている。夏のそよかぜが心地よく、僕は一日中そこで過ごしている。

ニューヨークではいつもひとりだった。その物語をこれから書いていこうと思う。

あてもなく、英語も話せずに、十代の終わりを過ごしたサンフランシスコ。「きみが知りたいことは、ここではなくニューヨークにたくさんある」と言われたとき、今すぐニューヨークに行きたくなった。

僕が知りたかったこと。それは単純に自分の知らないことすべてだった。

サンフランシスコは大好きな街だった。学んだことや経験したことは計り知れない。出会いもたくさんあった。友だちもできた。恋もした。ここで暮らせたらどれだけしあわせなんだろうと思った。

けれども、僕の好奇心はもっともっと新しい世界を求めていた。

お金は無くても、好奇心をたくさん持っていたことが僕にとってはしあわせだった。

ある朝、住ませてもらっていたテンダーロインのホテルのオーナーやスタッフ、僕と同じようにホテルで暮らしていた住人に「僕はニューヨークに行くんだ」と告げると、一人ひとりが僕をハグしてくれた。なけなしのお金を手渡してくれた人もいた。自分がすごく大切にしていた水晶の石を持たせてくれた人もいた。

そのホテルでは毎朝、ダンボールに無造作に入ったいろいろな種類のドーナツが配達され、それをゲストや住人が、一人ひとつ朝食として食べることができた。

 ドーナツは揚げたてで湯気が上がってふわふわだった。コーヒーは無料で、広くはないロビーにあるくたびれたソファに座ってみんなで食べるのが朝のルーティンだった。バックパッカーやどこかから逃げてきたカップル、30年住んでいる老人や家族など、みんなそれぞれがひとつのドーナツを感謝しながらおいしく食べた。ここはホテルといえど、ひとつのあたたかな家のようだった。

 雲ひとつない青空の中、僕が乗った飛行機はニューヨークに向けてサンフランシスコ空港を飛び立った。

I don’t know why you say, “Goodbye”, I say, “Hello” hello, hello.

ビートルズの「ハローグッバイ」が機内のイヤホンから流れた。

わたしの素

食事の中で朝食がいちばん好きだ。

朝食の中では旅先の朝食がいちばん好きで、夜、ベッドの中で、明日の朝は何を食べようかと考えることくらいしあわせなことはない。

たいてい思いつくのは目玉焼き。わがままを言うと卵はふたつがいい。軽く焼いたベーコンを添えたい。ひとつまみの塩とコショーをパラパラと振る。片面焼きの目玉焼きを英語で言うと、サニーサイドアップ。太陽のように見えるという意味らしい。朝っぽい感じでいい。

僕の好きな焼き方は、フライパンにサラダ油をひいて、そこに塩を少し振っておくこと。半熟仕上げで弱火5分というのも好み。

目玉焼きは小さい頃からあれこれ工夫しながら作ってきたので得意な料理のひとつでもある。気持ちが元気でないとき、得意な目玉焼きを作ると元気になるという単純な僕です。

誰かに作ってあげたい料理でもある。

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