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先生のこたえ

パリの空気の扉

先生のこたえ

パリオリンピックの開幕を数日後に控えたある日、高校3年時の担任の先生からLINEが届いた。
「パリ五輪のときには行けませんが、やっと行けることになりました。5年ぶりです。最後のパリ訪問になるかもしれません。ぜひお会いしたいです。」
11月に10日間の日程で来るという。楽しみにしています!と返事をしてからピッタリ2か月後、またメッセージが送られてきた。
「いつなら、ランチをご一緒できますか?ご都合をお知らせください。」

今度は、催促だった。

先生と連絡を取るようになったのは、同窓会がきっかけだ。幹事を勤めていた友人が、開催日を先生に相談したところ、「開催候補日にはパリ旅行で東京にいない」と返事が来たらしい。それを聞いて、私がパリに住んでいることを伝え、連絡先を交換することに至った。私は帰国のタイミングが合わず、出席は叶わないことがはやばやとわかっていたのだけれど、図らずも、パリで会えることになってしまった。
そうして、卒業以来で連絡を取り合った1か月後、パリで再会した。その時が12回目のパリ旅行という先生は、ホテルではなくアパートに滞在し、移動にも「この路線とこっちは大丈夫」とバスも活用していて、すっかり上級者だとわかった。
その再会を機に、帰国した時に東京でもごはんを食べに行き、パリに来ればもちろん食事を共にした。それが、コロナ禍を機に、パタっと止んでしまった。

「最後のパリ訪問になるかもしれません。」と受け取ってから、私は、考えた。会っていなかった5年の間に、先生は70代半ばになっている。パリに来ようとするくらいなのだから、元気なのだろう。でも、体力が前とは違うことを感じているのかもしれない。
会う前に、「先生、なに、最後になるかもとか言ってるんですか」と返すことはしなかった。
それよりも、会って、おいしくごはんを一緒に食べて、また来たい!と思ってもらえる時間を過ごすことが先だ。

どこに一緒に行こう? もし、これが本当に最後のパリになったなら、いつの日か誰か身近な人たちに、「あの時、パリに行っておいてよかったねぇ。彼女がここに連れて行ってくれたんだよね」と写真を見せて話をするなんてシチュエーションも起こりうるよなぁと思った。思い返したくなる温かい時間を約束してくれる場所、私の元担任の先生と聞いたら必ずや大切に迎え入れてくれる店……。
一人、友人に相談したら「それは、マルシェに一緒に行って買い物をして、家でごはんにするのがいいよ」と言った。たしかに、そうだと思った。できるだろうか。ギリギリまで迷った。最終的に、今回はやめようと思った。自分に、そこまでの時間と体力と気持ちの余裕がないと判断した。てんてこ舞いになりそうだった。
今回は、その時間ごとアルバムにしたくなるような過ごし方ができる選択をしよう。私が、力まずにいられることが大事な気がした。
熟考の末、Chez Marcel(シェ・マルセル)に予約をとった。

当日、いつもの教会の前で待ち合わせをすると、伝えた時間よりも5分早く着いたのに、初めてパリで会った日にも 一緒だった(先生の)同級生と二人で、すでに立っていた。「ちょっと近くをうろちょろしていたのよ」と元気そうに言った先生は、少し小柄になっていた。
「ここからタクシーで10分くらいです」と言うと「助かる。自分たちでバスなんかで行こうとしたら、どこで降りるかわからなくなっちゃうから」と先生は言った。
そうだよなぁ、年齢とか関係なく、5年ぶりでの海外は緊張するよなぁと思った。

わたしの素

店に着き、店主のピエールに「私の高校時代の担任の先生なんだ」と伝えると、目を大きく見開いてリアクションした後、私の家族を迎え入れるように先生たちを席に促した。
祝日の開店直後に訪れたからまだ店は静かで、先にいた3人の客たちはカウンターでワイングラスを片手に談笑し、テーブルについたのは私たちが最初だった。すぐに乾杯用の白ワインを注いでくれたので、乾杯をして、その日最初の写真を撮った。続いてメニューが差し出され、先生が翻訳アプリを使おうと携帯電話をかざすと、ピエールが“携帯電話を渡して”というジェスチャーをした。写真を撮ってくれるのかと思ったら、そうではなかった。私の隣の椅子に座り、メニューを指差して彼は言った。「アキコ、日本語で言って」。なるほど。どうやら彼が翻訳アプリになるということらしい。そうして、先生と直接コミュニケーションを取る、彼ならではのウェルカムを早速示してくれたことに、うれしくなった。1行目から日本語に訳して言うと、彼はそれを繰り返して、先生たちに伝えた。先生は、少しもどかしそうだったけれど、たどたどしく発せられるピエールの日本語を、ピエールの方に体を向け、彼を見ながら聞いていた。

ピエール版翻訳アプリ劇がひと段落したところで改めて、翻訳アプリを使ってメニューを見て、私も訳して、結局前菜5品に、メイン2品を注文した。「エスカルゴは絶対に食べたい」「さっき言ってた、卵とマヨネーズ?それもきっとおいしいのよね?食べたい」「あなた(=私)が言ってた、アーティチョークは食べたことないから食べてみたい」「あと、なんだっけ?なんかソーセージって言ってなかった?あれも気になった。でもそんなに食べられないか」「いや、あとから、やっぱりあれも食べればよかったってなるんだから、頼みなさいよ」。中学時代から60年以上の友情を紡ぐ二人の掛け合いは、揺るぎない安定感があって、聞いているだけで面白かった。「わからないから、あなたが選んで」と私に言うわりには、二人とも興味津々で、どれにすればいいか思い当たらないふうでは全くなく、私が選ぶまでもなかった。食べきれそうな選択に絞って、オーダーしてから、私は言った。
「全然、元気そうじゃん!」
「いや、今回、最後になるかもなぁと思っていたのに、着いた途端にこの人が、次いつ来る?って言い出して…」
「だって、また来たいなって思っちゃったんだもん」
「来たいなって思ってるなら、来られるよ!」
そう返しながら、心底、よかったなぁと思った。

マッシュルームとハムのサラダ、アーティチョークのヴィネグレット添え、ゆで卵+マヨネーズに始まり、ブルゴーニュのエスカルゴ、リヨン風ソーセージの温かいポテト添えと温かい前菜も、おいしいねぇおいしいねぇと繰り返しながら二人は平らげた。淡々と食べ続ける彼女たちを正面から見て、私は、結構驚いていた。食べるスピードが落ちないのだ。もう前菜だけでおなかいっぱいね、と言い出すかもしれないと思っていたけれど、杞憂だった。それで言ってみた。「隣のテーブルにきた、あのキノコのポワレ、召し上がります?」本日のおすすめとして黒板メニューに書かれていたキノコの前菜について訊くと、「おいしそうね」「あれくらいなら食べられそう」「もう食べられることないかもしれないものね」。
それを聞いて「じゃ、頼みます」と追加した。
メインに頼んでいたホタテのローストに豚頬肉とオリーブの煮込みも、「こっちだけにしておく」なんてやわなセリフが出てくることなくどちらもよそい、付け合わせのじゃがいものグラタンも「このポテトもおいしいね」と言って食べていた。
加えて、「デザートはわりと別腹」と、最後はミルフィーユで締めた。
もう、厨房は掃除を終えて、私たちは最後の方の客になっていた。

シェ・マルセルは、厨房を通過して、建物の中庭に通じるドアを越えたところにお手洗いがある。帰り際にお手洗いに行く際、「厨房を出てすぐ右手にあるドア」と伝えたのに、先生は通り越して中庭の奥まで進んで行った。その様子を見て「あ、奥まで行っちゃった、わかるかな?」とつぶやくと、先生の友人の和代さんは「えいちゃん、せっかちなのよねぇ。それで、私がこんなでしょう?」とおっとりと笑った。先生は中庭で機敏に動き、すぐに開けるべきドアを見つけていた。

ピエールに挨拶をして、満面の笑みで店を後にし、その足でナポレオン1世の眠るアンヴァリッドを訪れた。そしてセーヌ川にかかる橋の上で夕暮れを眺め、たっぷりと散歩をして、滞在先のアパートの入り口まで一緒に帰った。すっかり日は暮れていた。ドアの前で「次回は、ぜひうちにいらしてください」と言うと「また来られるようにがんばります」と先生は応えた。

今日の日の出は8時31分。朝が少しずつ早まってきて、久々に青空も広がって、気持ちまで澄んだ気がする。はーるよ来い!

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