以前は、初めてのパン屋さんに行くとまず、クロワッサンとバゲットを買っていた。最近は、少し違う。ここ数年通っている店は主にバゲットを作っていないし、うち3軒はクロワッサンもない。理由は、パン製造に使う麦が変化したことに端を発する。在来種や古代種の麦の粉を好んで使用するブーランジェは、天然酵母を加えて生地を捏ね、それらの麦本来が持つ力を存分に発揮できるよう、時間をかけて発酵させる。大きな塊で作る方が、おいしさを引き出せるから、店に並ぶのは大きなパンで、大抵、はかり売りされている。クロワッサン生地を天然酵母だけで毎度作るのは大変なことらしい。できないことはないけれど、イースト菌を加える場合がほとんどで、加えて、それらの麦は、石臼で製粉されることが多く、挽かれた粉は半粒粉か全粒粉になる。クロワッサンは本来白い粉で作るものという考えもあり、それゆえに作らない、という選択になるようだ。
ただ、クロワッサンはなくても、ブリオッシュはある。日本ではなかなか見かけないけれど、フランスには、山型食パンのような形の大きなブリオッシュが存在し、私がいま好んで買いに行くパン屋さんにはそのタイプが売っている。
実は、私は、ずっと好みのブリオッシュを探している。ずっとというのはどれくらいかというと、ほぼ26年。26年前、フランスで暮らし始めた最初の年、私はホームステイをしていた。その家では、毎朝7時にマダムが近所のパン屋さんに人数分のクロワッサンとブリオッシュ・ナンテールと呼ばれる大きなブリオッシュを買いに行き、それらが食卓にのぼった(念の為お伝えすると、これはフランスではかなりの例外だ。フランス人はコストの面からも、カロリーの観点からも、毎朝、クロワッサンを食べたりはしない)。焼きたてのブリオッシュは、熱こそ冷めてはいたけれど、しっとりしてほわほわで、手で取り分けようとすると、生地がほぐれるようにほろほろと裂けていった。それはもう本当にしあわせな味だった。飽きることなんて全くなかった。
その後、9カ月暮らした地方の街からパリに引っ越し、一人暮らしを始めた。もちろん毎朝焼きたてのブリオッシュを自分で買いに行くようなことはなくて、それまで1日の始まりを彩っていたほろほろと裂ける生地のブリオッシュは、私の生活から消えた。一人分サイズのブリオッシュをたまに買ったけれど、やはり違うのだ。大きいからこそ実現される質感があるのだと理解し、どう考えても数人で分ける大きさのブリオッシュを見つけたら買って食べてみて、を繰り返したものの「いまのところ、自分の記憶にある味にいちばん近いと思うのは、これ」というものには時々出合えても、匹敵する味に出合えたことはなかった。
同じ味ではないけれど、ここ数年気に入っているパン屋さんのブリオッシュはとても好きで、それを目当てに足を運ぶといえるくらいだ。ホームステイをしていた頃から、私の味覚もずいぶんと変化しているはずだし、それに伴い、好みの味も変わってきているに違いないから、きっといまの私が選ぶブリオッシュはこれなのだろう、と思った。時代だって変化した。パリでバゲットを作らないパン屋さんが出現するなんて20年以上前には考えもしなかったし、パン屋さんを知るバロメーターとしてまず最初に食べるものはバゲットとクロワッサンだったのが、いまは天然酵母パンで、ほかに何か生地の風味がおいしそうに見えるものがあればそれを手に取るという具合に、目の付け所も、その観点も、かつてのフィールドとは別のところに移ったくらいの違いがあると思う。
だからだろう、いま自分がおいしいと感じ、家から50分もかかるのに買いに行くパン屋さんのブリオッシュを食べて、「でも、あのホームステイの時のブリオッシュとはやっぱり違うんだよなぁ」などと思うこともなかった。ものすごく気に入っていて、飲食業に携わる、おいしいの観点に共通するところがある友人たちにも手土産で渡して、まさに分かち合いたいおいしさで、私の中のブリオッシュ史は新たな章に入ったのだ、と思っていた。
それが、今年に入って、「あぁ、これだ」と思うブリオッシュに出合った。ひと口めで、そう思った。5月だった。あまりにも確信して、うわぁやっと見つけたー!と気持ちが高まることもなかった。ものすごく納得してしまったのだ。「あぁ、これだ」と思った、核心をついたものは、卵の香りだった。そのブリオッシュ生地は、バターよりも卵の香りが優っていた。でも決してこれ見よがしではなく、とても優しく、ほわっと柔らかで、その加減が「あぁ、これだ」に結びついた感じだった。そのときに悟った。そうか、私が探していたのは、味ではなくて、加減だったのだ。
わたしの素
そのパティスリー・ブーランジュリーを教えてくれたのは、近くにあるビストロのシェフだった。その店のクロック・ムッシュに使われているパン・ド・ミ(食パン)がおいしくて、取材した際に、どこの店から仕入れているのかと訊いた。そうしたら「この道をまっすぐ行った角にある近所のパン屋」と言われた。
行ってみたら、ショーケースに、数種のブリオッシュ生地を使った菓子パンがあった。その一つは、なかなか売っていることのないボストックだった。ボストックとは、ブリオッシュ生地にシロップを染み込ませ、アーモンドクリームを加えたお菓子で、言ってみれば、クロワッサン・オ・ザマンド(croissant aux amandes)のブリオッシュ版。私はこれに目がない。その並びには、同じように丸く3cmほどの厚みで表面を平らに成形したブリオッシュがあり、真ん中に、蕎麦の実とヘーゼルナッツのプラリネクリームが詰められていた。こんなブリオッシュのお菓子は食べたことがなかったから、買うことにした。
最初は、ひと口大に切り取ってクリームのついている部分から食べた。これは、どうやったっておいしいよねと言いたくなる、申し分のないおいしさだった。それで、次に、ブリオッシュ生地だけを摘んでみた。結果、嘆息した。かつて毎朝食べていたブリオッシュが即座に脳裏に浮かんだ。プラリネクリームを詰め、華やかな顔をしているけれど、土台はこんなにも慎ましさを備えた柔らかな味わいだなんて、やられたなぁ……
新たな章に入ったと思ったのに、一周して元に戻ったような気分だ。好みが変わったに違いないと思っていたのは、そうではなくて、ただ、出合っていなかっただけだったのか、なんて思ったりした。でもやっぱり、元に戻ったわけではなくて、さらに新たな章へと進んだのだなという気がしている。
この店のシェフはブリオッシュ生地が好きなんじゃないかと思う。どんどん出てくるのだ、新作が。9月の終わりに行ったら、無花果を用いたブリオッシュ生地のお菓子が2種類出ていた。新作を見ると試してみたくなって、毎度買う。土台はいつだって卵が優しく香り、うれしくなる。自分の中に刻まれた、フランスでの生活のおいしさの原点ともいえる味わいは、柔らかい。
いまは密かに、いつか、大きなブリオッシュが登場しないかなぁと期待している。