夏のパリが好きだ。
多くの人がバカンスに出かけ、路上駐車をするにも難なく場所が見つかり、通りを行き交う人の数が目に見えて減って、街が静かになる。私の暮らすエリアは住宅街だから、その傾向が顕著で、曜日の感覚が薄れるくらいに、毎日が日曜のようなのどかさだ。
7月14日の革命記念日を境に、週末が来るごとに休みに入る飲食店が増え、8月になれば、私の外食活動も一気に落ち着く。それと入れ替わるように活発になるのが、煮込み活動。
夏だというのに、煮込む。35度を超すような暑さのときには、さすがに憚られるけれど、最高気温が30度ほどならば、朝の気温はだいたい20度前後だから、問題ない。
何を煮込むかというと、まずは果物、そしてトマト。
果物は、農家から直接仕入れている青果店、あるいは、マルシェの生産者のスタンドで、“ジャム用”というふだを見つけたら、ここぞとばかりに買って帰る。熟れ過ぎた苺は少し潰れて果汁が出ていたり、アプリコットは当たった部分が黒ずんでいたりで、そのままにしておくとすぐに虫が寄ってくるので、帰ったそばから、傷んだところを取り除いて火にかけないといけない。でも、おかげであっという間にジャムができる。そうして、日を追うごとに瓶詰めが増えていくわけだけれど、夏はパンを重く感じて、ヨーグルトやフロマージュ・ブランで朝ごはんにすることが多い私の気分を、この作りたてのジャムが、盛り上げてくれる。
果物は、一度に手に入る量がそれほど多くはないし、使いやすいサイズの鍋で事足りるのに対し、大鍋を用意して、季節の仕事感が高いのは、トマトだ。パリ近郊でとれる露地栽培のトマトは7月末か8月に入って熟してくる。そうすると、マルシェに出る生産者のスタンドでは、一部裂けてしまっていたり、小さくて硬い部分ができているもの、それに熟し過ぎたものを“ソース用”として、普通のトマトのほぼ半額で販売する。このトマトを私はとても楽しみにしている。これを見つけたら、少なくても2.5kg、多い日には4kgくらい買う。家に持ち帰ったときには、たいていの場合、汁が少なからず出ていて、やっぱりそのままにはしておけない状態だから、サッと水で土を洗い流して、ヘタと傷んだ箇所を取り除き、どんどん鍋に入れて煮込み始める。
私のトマトソースは、砂糖を加えないジャムのようなもので、トマト以外、加えるのは塩とオリーブオイルだけ。ある時から、そうなった。きっかけは、熟れ過ぎてちょっと潰れて汁が出たトマトを脇に置き、玉ねぎを刻むのが煩わしくて、そのまま鍋に放り込んだら、びっくりするほどおいしくできてしまったことだった。熟し切ったトマトには、玉ねぎもニンニクも加えず、トマトだけで作る方がおいしいと感じた。それからというもの、トマトソースは、露地栽培のトマトが出回る季節に、トマトだけで作るようになった。
そのトマトでもう一つ作るのが、ラタトゥイユ。やっぱり、季節に、煮込む。それも大量に。夏の間は週に4日くらい食べている気がするし、何瓶か保存用も仕込む。
今年は、きゅうりとズッキーニはわりと早く出てきたけれど、ピーマンは遅かった。なのに、ピーマンが出てくるのを待たずしてオリンピック開催期間に突入し、いつも野菜を買っている生産者さんは2軒とも夏休みに入った。だから、例年だったら盛大にぐつぐつ煮込んでいる8月前半、トマトソースもラタトゥイユも作ることも食べることもなく、過ぎていった。夏休みなのに、スイカも素麺もかき氷も食べていない!みたいな気分だった。
その楽しみを得たのは、8月20日だ。
うれしくて、ラタトゥイユ用に、ナスもズッキーニも3種ずつ買った。
マルシェから帰ってきて、トートバッグから買ってきた野菜を台所の作業台に出しながら、今日はどうやって作ろうか、と考えた。
厚手の鍋に野菜を順々に加えて焼いていき、そこに最後にトマトを加えて煮込むか、それとも、トマトは最初からソースを作るように煮込み、一方で、野菜をそれぞれグリルして、トマトのかさが少し減ってきた段階で、グリル野菜とトマトソースを合わせ、ぐつぐつ煮込むか。前者はサラッと仕上がる。後者はコクが出る。
どうしようかなぁとのんびり考えながら、初物のとうもろこしを茹でて、バターを塊でのせ、溶けたところから齧りついていったら、あまりのおいしさに、2本一気に食べてしまった。
わたしの素
おなかが満たされたら、じっくり作ろう、という気になった。
まず、トマトの汚れを洗い流し、下処理をして厚手の鍋に入れ、火にかける。潰れるくらいに熟していたり、裂け目から汁が出ている状態だから、湯むきはできないし、そのまま鍋に放り込む。煮込んでいく中で、皮が滑らかに剥がれるようになるので、それをきれいに菜箸で取り除く。皮を残したままでも、そこまで口の中では気にならない。ただ、見た目に、“あ〜手を抜いたなぁ”と感じてしまうから、たしかに手間はかかるけれども、鼻の頭に汗をかきつつも、根気よく取り除くようにしている。というのは理想で、実は正直に書くと、たまに、その根気を発揮できなくて皮をそのままにすることがある。それで、後で、必ず少しがっかりする。出来上がって味見をするときには、「そんなに皮気にならないよね、よかった!」と毎度思うのだ。それが、いざ食べようと皿に盛るときになって、皮が目につく。結果、やっぱり次回はちゃんと作ろう!と思い直す。それを繰り返している。
今回は、だいぶ煮詰まってきてから、窓の外で育てている伸び過ぎたローズマリーを少し切って加え、生産者さんがおまけでくれた根がついたままのバジルの花を散らして、この夏の印とした。
ポーチドエッグをのせたり、水切りしたフロマージュ・ブランにハーブときゅうりをみじん切りにして加えたものを添えたり、ひよこ豆を合わせたりして、1週間近く毎日食べた。夏の太陽の味をやっと体の中に蓄えられた、と思った。