────ある日のSNS、篠崎さんの想いが溢れた投稿が目に入ってきた。edenworksが9周年を迎える内容の投稿である。昔いじめにあったこと、お花屋さんとの出会いと想い、人生の選択、人への感謝、さまざまな想いが溢れていた。今回のインタビューでは「ここまで自分のことについて話をするのは初めてだと思う」と話を切り出した彼女の想いを届けることができたらと思う。
篠崎さんは、はじめからフラワーアーティストになりたかったわけではないんですよね。
「もともとわたしはファッションの業界に進みたかった。だけど学んでいくうちに、勉強すれば勉強するほど、すごいデザイナーがいっぱいいることを実感して、その人たちを越えられないって思ってしまって。そう感じていた時に、ふらっと入ったお花屋さんが実家みたいだった。その花屋のお花たちは、土から生えていたり生花とドライフラワーが混在していたり、とても懐かしい気持ちになった」
「そのままそのお花屋さんで働かせてもらうことになったのだけれど、イギリスに留学をしたいとも思っていて。お花屋さんの給料だけでは全然お金が貯まらないから、コンビニで早朝働いたり、空いてる時間はアルバイトをしていました。下積みが6年半経った頃、お花屋さんの大家さんが他界してしまい、押し出されるように独立をしました。その時、そのままイギリスに行ってしまおう!と思っていた矢先に、それまでのお花屋さんの常連さん達が、わたしの仕事がなくなることを心配して仕事をくださって。当時撮影のお仕事もたくさんしていたので、次々に紹介してくださり、半年先まで仕事が埋まりました。お店はもうなかったので、仕入れたお花は自宅に持って帰り、下準備して納品するということを毎日毎日続けた。依頼してくれたり、期待してくれたりしている人がいると思うとそれに応えたくて、留学に貯めていたお金を軽のワゴン車を買うお金に変えて、車でお花を届けられるようにしました」
お仕事はもらえてうれしかった反面、とても苦労されたとも聞きました。
「市場は農家の人たちが大切に育てたお花が集まる場所。市場で仕入れすることって簡単なものではなくて、ちゃんとそこには厳しい人間関係があるんです。お花のことをもっと知りたいし、産地や市場への流れを学びたくて、深夜は市場で働きながら勉強した。仕入れの時は、毎回遅刻せずに朝3時に行き、顔を見て『おはようございます』って挨拶をする。そして、ちゃんとお花を買う。続けていくと『お前、がんばってるな』って少しずつ認めてくれる人も増えてきて、人間関係ができてきた気がして嬉しかった」
「下積みしていたお花屋さんがなくなっても、わたしにお仕事を依頼してくれる人だからこそちゃんと期待に応えたくて、100%の出来では全然だめと思ってた。感謝の気持ちも含めて120%で返すことができるようになろうって。お願いして本当によかったと感じてもらえるように、頼まれていること以上のことを返すんだという想いで、努力しました」
がむしゃらという言い方がいいのかは分からないのですが、とにかく期待に応えるためにという思いだったのですね。その時もやっぱり人前で話をすることは苦手でしたか?
「苦手だけど、仕事だからやらなきゃって。『自分がこういう人です』と人前で伝えるのは、いまでも苦手。でも大好きなお花に関してのことなら、不思議と話が弾んで、深くコミュニケーションが取れるようになっていました」
「仕事はわたしにとっては、いつも挑戦でした。だけど努力しているうちに普通にできるようになっていった。それこそ、"好きこそ物の上手なれ"ですよね。そうしているうちに、もっと苦手と思うことを克服したいと思うようになっていきました」
他に苦手なことってありますか?
「下積みしていたお花屋さんでは、鮮度が落ちたお花を捨てることは、日常の仕事の一つ。でも私は、その仕事を慣れることはできませんでした。苦手でした。『もし独立したら、お花を捨てない仕組みを作りたい』と心に決めていたんです。独立した直後は、依頼されるお花しか仕入れないスタイルで、完全オーダー制にしていたんですが、しばらくしたらお客様一人ひとりにお花を作るお手伝いをしたいと思うようになって。それで“edenworks bedroom”という個人経営のお花屋さんを開きました。お花のロスを最大限に無くすように、土日だけの週末花屋です」
今更かもしれないのですが、“edenworks”という名前はどのようにつけたのですか?
「エデンは、楽園。そこでは2人の人間と動物達が植物達と暮らしていて、地球ができてから初めての幸せな場所。わたしは“edenworks”を立ち上げるまでは一人でした。下積みの時も師匠には出合わず、ぜんぶ独学でした。そんなわたしに、大きな仕事が舞い込んできて、困っていたところに一人仲間が参加してくれることになった。その人は、いまでもわたしの右腕。会社が大きくなっても、私がコミュニケーションをとれるくらい最小単位の人数で、豊かで幸せな空間を具現化していきたい。それで“edenworks”とつけました」
“edenworks bedroom”も変わった名前ですよね。
「寝室は、家族や恋人、親友のように、自分が心を拓いた関係性の人でないと入れない場所。当時、わたしはお花屋さんとお客さんとの間に距離があるなって感じていた。それは、お花のプロと素人というような線引きだったり、カウンター越しにスタッフとお客さんという分け方だったり。“bedroom”では、お花を好き同士、お客様とスタッフが同じ目線、同じ立場でお花を楽しみたいと思っていたんです」
でも、周りからはすごく反対された・・・。
「そう、最初はみんなにものすごく反対された。“bedroom”だとお花屋さんとは分からない、変だよって言われたけれど、押し通したんだよね笑。いや、ベッドルームでいいと思う!って。かなり頑固笑。当時はビルの2階だった(現在は3階)のだけど、お花屋さんが2階にあるのも、珍しいよね」
“edenworks bedroom”を経て、コロナの時期には“ew.note”と名付けたお店も開かれました。
「“bedroom”を開いた後も、お花を身近に感じてほしいという想いはずっと変わらなかった。コロナの時期は、もっと日常にお花を届けたくて、ふらっと立ち寄ることができるように駅直結の場所にお店を開いて、そこをノート(ew.note:noteは、書き留める、日記、音色、香りの意。)と名付けた。日記のようにデイリーに、お花のある日常を彩って欲しいという想いを込めました」
フラワーアーティスト篠崎恵美としての活動も忙しかったと思うのですが、しばらくお店には立っていなかったとうかがいました。ただ、今年の2月から“bedroom”で篠崎さんご自身によるお花のワークショップをはじめましたよね。
「ここしばらくは篠崎恵美としての活動も多くなって、なかなかお店に立つことができていなかった。でも“bedroom”がわたしにとってとても想いがつまった大切な場所であることは変わらない。人数は限られてしまうけれど、ワークショップというカタチでなるべくお客さんと会話をして、お花の楽しさを伝えるようにしたいと思って。またちゃんと、"bedroom"と向き合いたいと思ったんです」
9周年は大雨の中、お店にたくさんの人が来てくれたとうかがいました。
「9周年では、“bedroom”に来てくれた人と人が、お花で繋がっているような風景を見ることができた。そこで改めて感じたのが、お花ってすごいなって。そして、“bedroom”も本当にすごい場所だなぁって思った。性別も年齢も関係なく、人と人がお花を通して会話を広げて、笑顔が溢れていた。オープンからラストまでいてくれる常連さんもいて笑。そういうずっと居れる居心地がいい場所って素敵だなぁって、心から感じた。小さいころの引っ込み思案なわたしを思い出すと、まさかこんな風景を創れるなんて思っていなかった。正に、"bedroom"という作品、edenworksの風景。わたしを含めて、スタッフとお客様が一体になれるビオトープのような幸せの場所。『ベッドルームすごい、よくやりました』って、少しは自分で自分を褒めてあげられる気がした忘れられない日でした」
わたしの素
いま“edenworks bedroom”では、ワークショップで交流する機会として、お茶を飲みながら一緒に食事やお菓子を食べることがあるという。篠崎さんは来てくれた人たちとお花を囲んだ食事の空間が大切だと教えてくれた。
「出張に行った先で出会ったお店で仕入れた食材や、海外出生でのお土産のお菓子、四季に合わせたお野菜や果物を、お出しすることがあります。お花にも旬があるように、食材にも旬があって、日本には四季がある。食べ物も植物だから、お花のある空間でお店に来てくれた人と食事をできるのがとてもうれしいんだよね」