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昭和の子ども

本と生き方の扉

昭和の子ども

こっくりさんを知っているだろうか。
昭和の小学生の、主に女子のあいだで流行っていた占いあそびだ。こっくりさんは狐の霊で、ある方法でその霊を呼び寄せることに成功すると、質問や悩みに答えてもらえる。いわゆる降霊術だ。
子どもの頃、私たち昭和の子どもはこっくりさんを放課後よくやった。
放課後がうってつけだったのにはいくつか理由があって、ひとつは、こっくりさんをするときはとにかく心を落ち着かせること、という決まり事があったからだ。儀式をちゃんと終わらせず、途中でやめてしまっては大変なことになるとも噂されていたから、10分休みやお昼休みにするにはリスクが高すぎた。
こっくりさんに聞きたいことが、秘め事めいたものだったことも所以していた。秘密を打ち明けるには、誰もいない教室がちょうどよかった。


放課後、教室に誰もいなくなったのを確認して、教室の前と後ろの扉に鍵をかける。
ひとつの机をみんなで囲んで、その上に一枚の紙を広げる。紙の中央には五十音の表と、1から9、そして0の数字が書かれてあって、その上に鳥居のマーク、左右に「はい」「いいえ」が構えている。
「じゃあやるよ」と仲良しグループのリーダーが言って、十円玉を鳥居のマークの上に置く。全員が十円玉の上に人差し指を添える。

「こっくりさんこっくりさん、おいでください。おいでくださったら、鳥居をくぐって「はい」のところにお進みください」

声を揃えて唱えていると、十円玉がゆっくり動き出す。(動いた…)と私たちは声に出して確認し合いたいが、こっくりさんが動いている最中は決してしゃべってはならないというのも決まり事のひとつにあったから、目を見合わせることで興奮を伝え合うことしかできない。とにかく決まり事が多いのだ。
順番に、こっくりさんに質問する。
「◯◯くんの好きな人は誰ですか?」
五十音表の上を、十円玉が動いて名前を示す。こっくりさんへの質問は、その男子を自分は好きであることを皆に打ち明けるのと同等だった。私たちはそんなふうにして、こっくりさんを通して秘密の共有をしていた。
狐の霊に取り憑かれるからやってはいけない。先生や親から禁じられていた遊びでもあったけど、取り憑かれる怖さ以上の甘やかな魅力が、こっくりさんにはあった。

たぶん30年以上ぶりに、こっくりさん、と発声した。
ゴールデンウィーク、私たちは下北沢の友だちの家に集合していた。手巻き寿司とローストビーフで昼から飲んでいると、「こっくりさんって覚えてる?」とひとりが言う。聞けば娘の小学校で、「こっくりさん禁止令」が出たという。なんと令和の小学生のあいだでも、こっくりさんは現役だったのだ。
その流れから、それぞれ地元の「こっくりさんルール」や思い出話を披露しあっていたのだが、家主が頑なに、「こっくりさん」という言葉じたいを言おうとしない。誰かが「こっくりさん」と発声するたび、「言うのもダメなんだよ!」と声をかき消す律義さだ。どうやら彼女の地元では、儀式はもちろんその名を発することさえ禁忌とされていたようで、頑なな彼女が妙に面白く、そのうち私たちは、いかに彼女の隙を突いて「こっくりさん」を言い切れるかをゲームみたいに楽しんだ。平和だ。
それを見て、「昔と全然変わらない」と言って彼女の幼なじみが笑う。

生真面目にこっくりさんルールを守っていた彼女と、独自のルールまで編み出してこっくりさんを大満喫していたもうひとりの彼女。
ふたりは共に山梨出身で、いまは同じマンションの隣同士に住んでいる。共にシングルマザーの独身で、もうすぐ50歳。なんというか、リアル『団地のふたり』なのである。

藤野千夜『団地のふたり』は、同じ団地に暮らす幼なじみの奈津子とノエチの日常を描く。
イラストレーターなのに現在はフリマアプリで生計を立てる奈津子と、非常勤講師の仕事で日々ストレスを抱えているノエチは、共に50歳。
幼い頃からふたりは一番の友だちだった。進学や就職、パートナーとの同棲や続かなかった結婚など、それぞれの道を歩んだ時期もあったけれど、また同じ団地に戻ってきて、日々顔を合わせている。
ダンボールいっぱいに届いた野菜を分け合ったり、分け合うけれど食事は別々に取る気ままさもあったり、老後の不安を共通の記憶で支え合ったりする様子が、なんとも心地いい。どうかふたりの毎日がこの先も穏やかでありますようにと祈らずにおられない。

下北沢のふたりも、そうなのだ。生活や人生を溶かし合いながらも自立しているふたりの関係が心地よくて、私たち仲間は、ときどき彼女たちの暮らしに浸かりに来ている。ときにはこうして思い出の中にまでお邪魔して、こっくりさんの遊びに混ぜてもらったりしている。

わたしの素

昼から集まって、手巻き寿司があってローストビーフがあって、ぺちゃくちゃと話す声は止まらずテレビまで無目的についていて、みんなそろそろ50になるのに、こっくりさんは怖いままだ。

そういえばこの日は5月5日。こどもの日だった。
私たちは、みんなひとしく昭和の子どもだった。

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