

どこに着くのかわからないまま旅に出た。
かつて『世界ウルルン滞在記』というドキュメンタリー番組があって、25歳の冬、私はそのリポーターとして2週間の旅人になった。
出発の数日前、ロケの詳細が届いて驚いた。書かれてあるのは滞在日数と帰国予定日だけで、肝心の行き先の記載がどこにも見当たらない。誰に聞いても言葉をにごすばかりで、はっきりとしたことはなにも教えてくれなかった。備考欄を埋め尽くしていた出国前に受けておくべき予防接種の種類の多さが、過酷な旅になりそうなことを私に予感させたことくらいで、冒頭の一文に戻る。
着いたのはメキシコ、オアハカ州の先住民・サポテカ族の暮らすちいさな村だった。鮮やかな民族衣装を纏った女性はみな恰幅が良く、お相撲さん顔負けの力強い風貌をしていた。聞けばそこは、メキシコでは異例の女系制社会だという。経済を握るのも家を継ぐのも女性。男性は基本的に仕事を持たず、市場にも立ち入れない。
ムシェという「第三の性」の存在も特徴的だった。生物学的には男性として生まれながら、性自認は男性とも女性とも定めない。彼らは自らをムシェと呼び、華やかなドレスや化粧で身を装い、村の芸術を担っていた。ムシェは女性同等に経済活動や家の相続に関わることができるため、幸運の象徴として大切にされていた。当時まだ男尊女卑が色濃かったメキシコ国内で、この部族は独自の文化を築き上げていた。私のホストファミリーにもムシェがいて、名前をアルメンドラといった。
英語はもちろん、スペイン語もほとんど通じない。サポテカ語という土地の言葉を話す彼らと言葉でコミュニケーションを取ることはほとんど困難だったけれど、アルメンドラと私は妙に気が合い、なにをするのも一緒だった。
漁業を営む家だったから、毎朝、魚を買いに市場に行って、捌いて干した。午後になると頭の上にカゴを載せて行商をした。ごはんは一日一食、夕飯だけ。売れ残った干物を焼いて、くず野菜を刻んで作ったサルサと一緒にトルティーヤに包んで食べた。決して裕福な家ではなかった。夜は庭の木にくくりつけたハンモックに横になって疲れを癒やした。ママとアルメンドラ、そして私が三人並んで横になっていると、パパがギターを弾きながらやってきて、うたを歌って聞かせてくれた。フィエスタの音が聴こえてくれば、アルメンドラとメイクをし合って出かけて、ビール一本で夜通し踊った。裕福ではなくても、豊かさがあった。そんな毎日を繰り返して、私たちは姉妹になっていった。
旅を終えて数週間後、今度はアルメンドラが旅に出たという話を耳にした。メキシコシティにいる恋人の元へ行ったのだという。いまとは時代が違う。30年も昔の話だ。たどり着いた先で、彼女は幸せになれただろうか。けれど私は無力なテレビ番組の旅人で、知りたくても連絡の取りようもなかった。帰国後できたことといえば、自分の行った場所が地図上どこに位置していたかということや、サポテカ族の文化を調べることくらいだった。情報の少なさに、かえって彼らを遠く感じもした。

『新しいメキシコ・ガイド』にオアハカの文字を見たときは、だから思わず声が出た。
本書は、メキシコシティに住むライター長屋美保さんと、東京に住むメキシコ好きのデザイナー福間優子さんが作ったメキシコのガイド本だ。
観光名所紹介というよりは、メキシコをよく知る人だからこそ手の届く情報や現地の人たちの暮らしにフォーカスしている楽しく偏った内容で、そこにオアハカが選ばれていたことが嬉しくて、ネットにも載っていない情報の濃さを喜んだ。
オアハカが誇る民芸品のひとつに手刺繍がある。ちいさな花の刺繍がびっしりほどこされた民族衣装の写真を見て、知っている、と思った。たしかにそれを、私はあの頃毎日着ていた。
滞在最終日の前夜、ひどい熱に浮かされて、夜通しママが看病をしてくれた。あのとき飲ませてくれたのが、アトレという名前であることをいまさらながら知った。ほんのり甘くて、穀物のとろりとした口当たりが優しくて、思わず涙が出たそれは、マイス粉を練った生地に水を加えてコトコトと煮て作る、この地の飲みものらしかった。
あの日々が、記憶の中で色を取り戻す。
ガイドブックが過去にも役立つということを、はじめて経験した。
わたしの素
手料理を持ち寄って、クリスマスにホームパーティーをした。
仲間のひとりがタコスセットを作ってきてくれて、その華やかさに、ふたたびメキシコでの日々が煌めき立つ。
そういえば旅の最後の夜もクリスマスだった。 最後の夜だし、クリスマスだし、今夜は特別だといって、売り物のなかでいちばん高級な魚を焼いて食べさせてくれた。
来る日も来る日も買って捌いて干して頭に載せていたこれはいったいなんの魚なのかと尋ねたら、それはボラだと教えてくれた。
きっと二度と食べることのできないボラのタコスの美味しさを知っていることが、私のひそかな自慢である。
タコスを頬張ると、懐かしいサポテカ語の響きが耳の奥に蘇った。
「ナニーシェ」
アルメンドラに最初に教えてもらったサポテカ語は、日本語で「おいしい」を意味する言葉だった。