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ていねいな暮らし、生活の知恵

本と生き方の扉

ていねいな暮らし、生活の知恵

「『ていねいな暮らし』してるね」と言われて、ちいさな違和感を覚えた。この冬はじめた干し野菜の話だ。

きっかけは実家から届いたダンポールいっぱいの野菜だった。
趣味と家計の助けを兼ねて家庭菜園をしている静岡の実家からは、季節ごとに、旬の野菜や果物が届く。とりわけここ最近は、野菜の価格高騰が深刻化しているからか、いつにも増した頻度で野菜が届いて非常に助かった。

大根、白菜、長ネギ、キャベツ、柚子、すだち、土もまだ落ちきっていない里芋やさつまいも。家計的なことはもちろんだけれど、年末年始の帰省さえ億劫に思うようになった不肖の娘に対しても、「せめて同じものを食べてほしい」と情けをかけてくれる、その気持ちがなにより嬉しかった。

けれどここで、ひとつの問題が発生した。野菜の量が冷蔵庫のキャパを超えたのである。いつの世も親の愛情は過剰。供給は消費を上回り、ついに我が胃と我が家の冷蔵庫が白旗を上げた。
しかしながら、相手は野菜だ。冬場とはいえ常温で放置し続けるには限度があるし、鮮度もどんどん落ちていく。静かに傷みゆくさまを眺めているのは落ち着かないし、そもそも私は吝嗇だ。
それで考えて、干せばいい、に思い至ったというわけだ。

この家に越してきて4年。日中は暖房も消してしまうくらいによく陽が入る、南に向いたリビングの広いベランダをいよいよ活躍させられるのにもわくわくした。さっそく干しざるを買って、試しに大根を干してみた。
面倒を見る必要のあるものがあると思うと、なんだか生活に張りが生まれた。放っておけば息継ぎなしで行けるところまで行ってしまうような仕事の仕方をしていた私にとって、ときおり外の様子を見やるという行為は、それだけで、いい息抜きになっていることにも気づいた。
干して旨味が凝縮した野菜はびっくりするほど美味しくて、献立を考える楽しみが増した。ただ私を照らすばかりだった太陽も張り切ったのか、今年の冬は晴れの日が続いた。

でも、野菜を干す楽しさに目覚めたと人に言うと、ほとんどの確率で「ていねいな暮らし」という言葉が返ってくることには驚いた。たしかにそのおこない自体は、「ていねいな暮らし」とキャプションを付けて切り取るのに格好なのかもしれない。ただ私の場合、前提にあるのは吝嗇と食い意地で、「もったいない」を解決しつつ「うまい」まで手に入れようとした欲の深さはどちらかといえば恥。かといって、「私はていねいな暮らしなんてしていないっ!」と語気を荒らげるのも変なので、へらへら笑ってお茶を濁していた。でも、いまはこう思う。
ていねいな暮らしって、生活の知恵のことなんじゃないか。

そもそも「干し野菜」は、祖母が教えてくれた知恵のひとつでもあった。
おばあちゃん子だった私が祖母から学んだことは数え切れない。庭に咲いている花木の名前も、着古したボロ着を巾着袋やお手玉に変えられるお裁縫も、朝食のゆで卵を半分残して砂糖をまぶせば「なんちゃって黄身しぐれ」になることも、ドレミの音も、あいうえおの文字も、祖母が手をとって教えてくれた。

晴れた冬、縁側にざるを並べてさつまいもを干している祖母の元へ、お座布団と絵本を抱えて会いに行く。すると祖母は膝の上に私を座らせて、絵本を読んでくれた。物語の世界に耽溺している私をよそに、祖母はとつぜん読むのをやめて干し芋をひっくり返す。祖母の手つきは落ち着いていてゆっくりで、もどかしいのに心地よくて、指のうごきをうっとりしながら眺めていた。あの時間は、たぶん物語と現実のはざま。

3年前に祖母が他界し、家族で遺品の整理をしていたとき、書棚に懐かしい本を見つけた。『ピノッキオ』の童話だ。

背表紙はとうに剥がれていて、そこをテープで補強していたため、最初は何の本かも分からなかった。差し抜いて、あっ、と思わず声が漏れた。私の声に、父の声が重なった。
「これ私が子どもの頃ばあばによく読んでもらってた本だよ」
と私が言うと、「父さんもだ」と父が言った。

奥付を見ると、昭和32年発行とあった。おそらくは父のために買われ、一度は役目を終えたこの本が、私の手に取られ、また読まれ、さらに長い時間を経て、父と娘の手のなかに戻ってきたのだ。いつ、どうして、表紙が汚れページがやぶれ、背表紙が剥がれてしまったのかは分からない。でも、そのたび祖母が補強を重ね、本を生かし続けてくれていたことは明らかだった。本には300円という値が付けられていた。

わたしの素

ねっとりした干し芋を作るのにちょうどいい品種は、紅あずま。
さつまいもは、買ったらすぐに調理するのではなくて、新聞紙にくるんでしばらく寝かすこと。蒸すときは、まるごと。切るのはそのあと。繊維に沿って縦に切るか、断ち切るように輪切りにするかで味も食感も変わるので、奥が深い。晴れの日が3日は続くと分かったら、ざるに並べて日なたに干す。指の腹の感覚を頼りに表面の乾き具合を探って、ひっくり返す。それを繰り返していると、「そろそろ食べれる?」と孫が言いはじめるので、「もうちょっと」となだめること数回。引き上げるちょうどいい頃合いは、しびれを切らしてつまみ食いをしたときの、孫の表情が教えてくれる。

祖母の役と孫の役を、ひとり二役。田舎から200キロ離れた東京のマンションの一室で、演じてみる。
はじめての干し芋作りは、意外なほどにうまくいった。

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