文章を書くときには、読んだ人が楽しくなるような、読んで良かったなと(までいかなくとも、いい暇つぶしになったなくらいには)思ってもらえるような話題を提供できるよう心がけているのだけれど、この連載では、日々のできごとをなるべく素直に飾らずに書いてみたいという目論見もあるのだから、そういう気持ちでこの夏を振り返ってみたところ、体調に振り回されてる自分の姿ばかりが蘇ってきて流石にこれはしょぼすぎた。
「2024年の夏を一言で表すなら?」「体調不良です。」
そんな夏はイヤだ。(すべては異常気象のせい、と思いたい。)
最初にくらったのは熱中症で、これは6月24日と日付までしっかり覚えている。
今年から運用が始まったという熱中症警戒アラートが関東近郊ではその日はじめて茨城県に出て、テレビが報じるそれを横目で見ていたら、まんまと自分が罹ってしまったというわけだ。
「環境省スゴイ!」と言ってられないのは症状が本当に厄介だったからで、発症したのが翌日だったためしばらく熱中症だと気づかず、熱・下痢・嘔吐に加えて手足の痺れと息苦しさを感じはじめてようやく「これって熱中症?」というワードが頭をかすめ(呑気?)、病院に駆け込んだときには血圧が上90を切っていた。
夏の幕開けとともに発症した熱中症はその後も尾を引いて、少し身体を動かしたり頭を使う仕事をすれば、すぐフラフラになってしまって私の夏からアクティブという言葉が消えた(血圧は漢方薬治療で正常値に戻りました)。
次に悩まされたのは原因不明の蕁麻疹で、ひどい日には起き抜け水を飲んだだけでも発疹が出るくらいに慢性化してしまった。
蕁麻疹は子どもの頃からストレスが極限まで来ていることを知らせてくれる、いわゆる私的警戒アラートでもあったのだけど、今回のは、どうも違う。ついに来たか更年期。と思い至った私は手始めに、ヨガを始めた。
と、こうして書くといろいろすっ飛ばしている気がしないでもないが、いまのところこれがなかなか好調で、YouTubeで「ヨガ」と検索すれば出てくる出てくる、朝と夜、日に2回、10分や20分程度でも呼吸を整えながら体を動かす時間がなんとも心地良い。
いまだにときどき発疹は出るけれど、慌てない、気にし過ぎないというスキルも身についた&アクティブも若干の回復。
こんなふうに体調に振り回されながらも、生きるためには食べなければならない。
食べなきゃ夏バテする。でも暑くて食欲がわかない。それになにか食べて蕁麻疹がひどくなったら嫌すぎる……。思いは千々に乱れ、台所に立ってもなにを作ったら良いか思いあぐねてしまう日の多かった私にとって、ツレヅレハナコさんの存在は偉大だった。
『まいにち酒ごはん日記』は、2018年春から2021年夏までの3年間、ハナコさんが飲んで食べて旅して感じたこと、考えたことを集めたオールカラーの日記本だ。
ハナコさんは、よく食べる。
作るごはんや外食で選んだごはんは当然どれも美味しそうなのだけど、写真を見ただけで、それらを気持ちよく食べているハナコさんの姿が、ソース一滴まで拭われたお皿や飲み干したグラスまでが浮かぶのだから不思議だ。
ごはん迷子になったときや、誰かをごはんに誘いたいけど腰が上がらなかったとき(人とものを食べるのだって体力が要る)、だから私はハナコさんの食べたものを眺めていた。
今日もハナコさんはどこかで元気にお腹いっぱいごはんを食べている。そう思えることの、どれだけ頼もしかったことか。
わたしの素
「素麺は薬味を食べるもの」という金言を残してくれたのもハナコさんの偉大なる功績だ。
薬味に光を当ててくれて喜んだのは私が無類の薬味好きだからでもあるけれど、この金言によって、「素麺でいっか」という思考を放棄したお昼ごはんづくりもたちまち華やいだ。
それに、主役は薬味と捉えれば、素麺の一束が50gなことにも納得がいったのだ。一束じゃ物足りない、でも二束だといつもちょっと残っちゃう。長年思い煩っていた素麺一束微妙問題が、ここに来て解決したのも爽快だった。
そんなわけで、今年の夏は素麺をよく食べた。もとい、薬味をよく食べた。
ネギ、紫蘇、かいわれ大根、大根おろし、生姜に叩き梅、錦糸卵……。今日はどんな薬味を揃えてやろうかと考えるのも楽しかった。
いろんな麺を試したけれど、どれにも共通する、素麺を美味しくするポイントは、とにかくよく洗うことだとも知った。
流水でゴシゴシ、布巾を洗濯するくらいの力を入れても大丈夫。表面のぬめりと油をちゃんと落としてあげることで、ツルツルシコシコ、清らかな素麺が出来上がる。薬味を迎え入れるのにうってうけの輝きだ。
「2024年の夏を一言で表すなら?」「素麺です。」
と書き換えられるまであと少し。体調は、このところ良好だ。