コンテンツへスキップ

文字に染み込む

文字に染み込む

書道家だった祖母は、自宅の離れで書道教室をひらいていた。
おばあちゃん子だった私にとって最初期の記憶は、彼女に手をとられて自分の名前を書いた、墨の匂いの立ち込めるその部屋にある。

ものにはすべて名前がつけられていること。それを示すために文字があること。文字がつらなり言葉になると、思いを伝えたり受け取ったり、書いて残したりできるようになるということ。
「文字というのはその人だから、だいじにね」
そう繰り返す祖母の声を聞きながら、文字と繋がっていった。文字と繋がるとは、世界と繋がることと同義であることを知っていった。

文字に向かっているときの彼女は、ときどき祖母でないもののかたちをしているように見えた。不安になって「ばぁば」と呼びかけると、「はぁい」とすぐに声は返ってくるけれど、声にすこし遅れて彼女自身が戻ってくるようにも見えていた。それでも書かれた文字を見ると、それは祖母その人なのだから不思議だった。書くというおこないに見せかけて、本当はなにをしていたのだろう。文字を書くとはどういうことかを思うとき、あのときの祖母の姿が立ち上がる。

40歳で書の道を志してから、一日も休まず筆を持ち続けてきたという祖母は、けれど85歳の誕生日を迎える前、書道教室をたたみ、いっさいの持ち物までを手放そうとした。
祖母の書く姿も、書く文字も、もう見られないと思うとさびしくて、帰省したとき、部屋の隅に束ねられた本や道具を横目に見ながら、「私もまた書道はじめようかなあ」と言ってみた。ひとりごとと呼ぶには大きすぎる声だったし、祖母にも聞こえていたように思うけれど、祖母はなにも答えなかった。はじめる気なんてほんとはないくせに、かたちだけでも取っておいてほしいという身勝手さを、見透かされていたのかもしれない。
祖母は文字を手放すとたちまちいろんなことができなくなって、いろんなことを忘れていった。
「もうじゅうぶん書いたからいいの」
その言葉を合図にしたかのように、祖母の玄冬ははじまった。

書家の華雪さんが字を書き上げる姿を初めて見たとき、祖母との日々が一気に蘇ってきて驚いた。紙に向き合う姿勢も筆のはこびも息づかいも、ちっとも似ていないのに、祖母の姿が重なって見えるのだから不思議だった。

『書の棲処』は、彼女が文字とどう向き合って生きているかを書と文と写真で記録した一冊だ。
字を書き続けている理由、書く字を選び、その字に近づいていく道のりのこと、硯から筆を取り上げた一瞬に躍動するもの。もう一枚、もう一枚、と紙を取り換えるたびに、くしゃ、くしゃと音を立てて投げ捨てられていく紙。墨で黒くなった手を洗いながら夕方になっている空にはたと気付いて、生活が戻ってくる感覚……。
字に向かっているときの祖母が、祖母でないもののかたちをしているように見えたあの日に接続できるような読み心地がたまらなくて、買い求めて以来、大切にしている。

〈そこには大昔の人々が生きたり死んだり、食べたり寝たり、憎んだり愛おしく思う様子があった。今も変わらぬ人々の暮らしが染み込んでいた。
私にとって嬉しいことも悲しいことも腹が立つこともどうしていいかわからないことも、全部そこにあった。
だから字を書き続けている。〉

字を書く理由を、華雪さんはこのように綴る。
でもじゃあ祖母は、なぜあのとき「もうじゅうぶんだ」と言ったのだろう。その意味を、私はいまも考え続けている。

わたしの素

実家から荷物が届いたのは5月の末の頃だった。家の敷地内で採れるたけのこと、びわとゆすら梅が段ボール箱いっぱいに入っていた。

季節のものは記憶を想起させる。
子どもの頃住んでいた家には広い庭があって、書道教室を終えた子どもたちが、そのまま庭で遊んでいくのは日常だった。いつまでも遊んでいるので、教室の後片付けを終えた祖母が、びわの木から実をもいで私たちの口にほうり込んでくれたり、ゆすら梅で作ったシロップをジュースにして出してくれたりすることもままあった。祖母の指は石鹸で洗っても取れないくらい墨が染み付いていたけれど、その指でびわを食べさせられても、不思議といやな気がしなかった。

家のすぐそばに竹藪があるのはなんだか陰気であんまり好きじゃなかったけれど、季節になると家族みんなで長靴を履いて、足の裏でたけのこを探し当てるのは、ゲームみたいで面白かった。

母が下処理を済ませてくれていたたけのこは、1週間はゆうに持つ量があったから、炊き込みご飯に若竹煮、バターソテーにと満喫した。
「新レシピ、試してみるね!」と母に豪語したくせに、結局子どもの頃から親しんでいた料理ばかり作っていた。

びわの実はひとくちはむと果汁が指をつたって滴り落ちてきて、あわてて舐めとった。そんなことあるはずないのに、墨のにおいが鼻をかすめた気がした。

数日後、残りのびわとゆすら梅で、ジャムを煮た。

その頃はいまよりまだずいぶん涼しかったから、窓を開けているのが気持ちよくて、裏の神社の境内からは子どもたちの遊ぶ声が聴こえてきていた。そこに夕方5時のチャイムの音が重なって、耳だけでなく鼻も利かせてみると、お砂糖と果実のあまいにおいが鍋の中でゆっくり混じりあってひとつになっていくのがわかった。

ジャムを煮ながら、祖母のことをまたすこし思った。
びわの季節に祖母が死んで3年が経つ。

最新記事をお届けします

本と生き方の扉 アンバサダー

記事一覧