ポップコーンの雪崩
先日、久しぶりにポップコーンを食べた。小さなプロジェクターを手に入れたので、映画を見る際にちょっと気分も上げてみようかと、アルミの取っ手がついた鍋型のものをスーパーで買ったのだった。コンロの上で鍋を振りながら、ぱちぱちという音が聞こえてくる。銀色のドームの中で溢れんばかりのポップコーンが弾けている。アルミの鍋から深い皿に移し、黒澤明監督の映画「生きる」を見ながらつまんで食べた。
末期胃がんの主人公は市役所の課長で、何にお金を使うべきか夜の街を彷徨いながら、若い女性の奔放な〈生〉に惹きつけられる。彼女が工場で作っていたウサギのぬいぐるみを掴み、雷に撃たれたかのように、残りの人生の使い方を決める。何かを作り、残すこと。彼は最後に残された時間を街の公園作りに費やし、粘り強く方々に頭を下げ、東奔西走しながらも、ついに公園を造り上げた。そして雪の舞い落ちる夜、ブランコに揺られながら、そっと歌を口ずさみ、最後を迎える。
映画が終わり、食べ慣れぬポップコーンはだいぶ皿に残っていた。ポップコーンには合わない映画だったかもしれない。その皿を見ているうちに、私は不意に、とうもろこしの枕のことを思い出した。
大学時代、お酒を飲んで終電がなくなると、よく泊めてくれた友人がいた。同じクラスのH君という札幌出身の同級生で、学校の近くでひとり暮らしをしていた。趣味も嗜好もまるで異なる私たちだったが、なぜか馬が合い、ときどき訪れては、よく一緒にお酒を飲んだ。
彼のお母さんは地元でスナックをやっていて、自分はお客さんたちの酒代で育ててもらったから、自分もお酒が好きなんだと言っていた。泊まりに行くと深夜でも延々と日本酒を勧めてくれる。面倒見の良い兄貴分のようなところがあって、きゅうりの漬物をつまみながら、いつでも私の話に付き合っては、酒の並んだテーブルに、ひとことふたこと、不器用だけど励ますような言葉を置いてくれるのだった。
「そろそろ寝よう」と、たいてい先に私は弱音を吐き、何度か引き止められ、それから彼は寝床の支度をしてくれた。彼の家に泊まると、私は妙に寝つきよく、いい夢なども見るのだった。貸してくれる枕が何より心地よく、もしかしてこれが快眠の秘密かもしれないと思った。眠い目をこすり、まどろみながら尋ねた。
「この枕、すごくいいよね。しゃりしゃりしてるのは、もしかしてそばがら?」
「ううん、とうもろこしだよ」と彼は答えた――ような気がする。もしかしたら違うかもしれない。どこか記憶は曖昧で、日本酒でほろ酔った頭がそんな想像をさせたのだろうか。かつて彼の住んでいた井の頭線のあの駅を通るたび、まどろみの中の、あの小さな場面を思い出す。とうもろこしの枕など聞いたことがなかったし、「豊かな大地の恵み、さすが北海道」などとも思うのだが、結局のところ、今も謎に包まれたままだ。
大学四年の秋、久しぶりに会うと鉄道会社に就職が決まり、北海道に帰ると言っていた。「母親が、早く楽をさせろっていうんだよね」と笑いながら話した。彼と最後に会ったのは卒業式で、一緒に写真を撮り、それから今日まで一度も会っていない。
「人生に何を残すのか」――そんな映画を見終えて、私の頭に浮かんだのは、とうもろこしの入った、あの不思議な枕だった。公園ほど大きなものではない。けれど、人は案外、小さくても忘れがたい記憶をぱらぱらと残していく。
きっと彼は今も北国のどこかで、おいしくお酒を飲んでいるはずだ。私は枕にハサミを入れて、とうもろこしをフライパンで炒って、ふたりで食べる姿を思い描く。彼の好きな日本酒には合わないかもしれない。けれど、お酒に合うとか合わないとか、そんなことはどうでもよくて、ただ酔って、話して、笑い合っていた、あの懐かしい友達の、小さな部屋を思い出す。

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