野村フラワーフラワー
小学生のころの将来の夢は「百姓」。大阪で生まれ育った野村さんは、父の生まれた南条で祖父の菊を継ぎ、今は菊をはじめ、いろいろな切り花を育てている。

じいちゃんの菊が繋いだ縁
大学生の夏休み、野村さんは南条の祖父のもとに長く滞在し、仕事を手伝った。そこで見たのは、じいちゃんの菊を求めて、集落の人が集まる光景だった。
オイシサノトビラ
野村さんがお花を作ろうと思ったきっかけはなんですか。
野村さん
はじまりは、小学生のときなんです。社会科の授業で、日本の農業は後継者が少ないという話になって。じいちゃんが南条で農業をやってるのを知ってたんで、じゃあ自分が継ごうかなって、本当に無邪気に思ったのがスタートです。それからは、将来の夢は?って聞かれたら、百姓って答えてました。
大学のときに、じいちゃんが実際どんな農業をやってるんだろうと思って、夏休みに長めに滞在して、仕事をしながら見たんです。そうしたら、菊作りが、じいちゃんと近所の人とのご縁をつなぐものになっていました。
オイシサノトビラ
おじいさんの菊は、どんなふうにご縁をつないでいたんですか。
野村さん
じいちゃんの家の、道を挟んだ向かいに作業場があって、同じ集落の人がふらっと来られる場所なんです。お盆の時期に選別の作業をしていると、集落の人が来て、「菊ちょうだい」と。「いいよ」って束にして、「はい、じゃあ500円ね」。「500円な、あんた安いやんか」「もっと取って」「いいんや、いいんや」。そんな会話が、そこにあるわけですよ。
それがすごく日常のもので、しかも菊は商売道具で。仕事と生活と人とのご縁とが、ないまぜに、本当に一緒のものとしてつながっている。僕が今まで知らなかった世界やなと思いました。じいちゃんももうだいぶ年やったんで、どこかで途切れてしまうよりは、それを引き継げたら素敵なことだろうなと思ったんです。
ばあちゃんの教え
大学を出て長野で2年、花の勉強をしたあと、野村さんは祖父の家に移り住んだ。10年半ほど前のことだ。近所の人の輪に入っていく入り口になったのは、大学生の夏休みに祖母から言われた一言だった。
オイシサノトビラ
南条に移り住んで、近所の方たちの中にはすんなり入れましたか。
野村さん
はい、すんなり入れました。おかげさまで、周りの人も「野村さんとこの孫やね」と分かってくれていて。
というのも、大学生のときに夏休みに来ていたころ、ばあちゃんからまず言われたのが、会う人会う人に「ご苦労さんです」って言うように、ということだったんです。向こうからしたら、僕はそれこそ知らん子なんで。そう言うようにしていたら、すごくしっかり認識してもらえた。それが一個あったんかなと思います。
オイシサノトビラ
移り住んだあとは、まず何からはじめましたか。
野村さん
最初は、じいちゃんと同じように菊と、お米もちょこっと。そこに、長野で勉強してきたいろんな花を新しく加える形で始めました。
でも、2年目までやって、お米はやめたんです。中途半端な状況やったな、と思って。やるならやるで時間をかけた方がいいし、やめるならやめるで、ほかの花に力を注げる。ちょっと申し訳ないけど、というところでした。
お米のときは、じいちゃんはやっぱり寂しそうな顔をしてました。それでも「わかった」って、割と即答で。自分の家で食べるぐらいのお米でしたけど、それをちゃんと作っているっていうのが、誇りとしてあったんだろうなと。でも「直樹が決めたことなら」って思ってくれていたのは、本当にありがたかったです。
オイシサノトビラ
菊のほかにも花を育てているのは、どんな思いからですか。
野村さん
お花は、やればやるほど、これもやりたい、あれもやりたいという思いが出てきたんです。それに、年中なるべく何かしら出荷できるといいなと思っていて。
実際、冬や春先に「菊はないの?」と問い合わせがあって、「菊はちょっと、今の時期は」となる人もいます。でも、ほかの花を伝えると「ああ、じゃあそれで」という人もいらっしゃる。知り合いや近所の人が「なんか花ないけ、今の時期」と注文してくれたときに、ちゃんと答えられるように。じいちゃんの菊を継ごうと思った、もともとの思いと根っこが一緒なんです。
オイシサノトビラ
町内で菊を作っている農家は、今どのくらいありますか。
野村さん
じいちゃんの代には、町内に10軒ぐらいあったのかな。みんなでせーので菊作りがはじまったような感じだったんですけど、そのまま高齢化されてやめて、今は僕と、もう1軒ぐらいです。
町内の人がお花を買うところがなくなっちゃう、となったら、やっぱりそれは申し訳ない。そうならないように、なんとか頑張りたいんです。町内でちゃんと責任ある立場やな、と思っています。だから、安売りはしない。安売りしないからには、恥ずかしいものは出さない。
「ごめんごめん、また遅なってしまった」
移り住んだ当初は、祖父と、父の妹であるおばとの3人暮らし。のちに大阪から両親も移ってきた。野村さんの食事の思い出は、家の中にあった。
オイシサノトビラ
さいごに、野村さんらしいオイシサについて教えてください。
野村さん
本当に、住んでいる家の中の、何でもない話なんですけど。
百姓仕事をしていると、特に夏の日が長い時期は、19時ぐらいでも全然明るくて、外で仕事しちゃうんですよね。うちは、おばが家のことを全般やってくれて、ご飯も作ってくれています。晩ご飯は19時ぐらいってなんとなく決まってるんですけど、ご飯はできてるのに、僕はまだ外で仕事していて。おばは家で待ってる。
「なるべく早めに帰ろうよ」って言いながら、なんだかんだ仕事に熱中して、暗くなってから帰ってくる。母はもう、「遅い」って文句を言う。おばは、ずっとそういう暮らしをしてきた人なんで、文句を言わんとじっと待ってる。
僕は「ごめんごめん、また遅なってしまった」って。ご飯を食べる時間はちょっとずれちゃうけど、ちょっとずつ気遣い合いながら、最後には、家族みんながそろうんです。
食事というとパッと思い浮かぶのは、そんな晩ご飯の光景ですね。
最後にちょっとだけ見ます?と言い、野村さんは、秘密の部屋に案内してくれた。
了