VAG/曖昧2 後編
前編からのつづき
山野
たとえば、型を使わないでワイングラスを制作すると、20個並べても全て微妙に違うものができる。微妙に違うけどその全てが、人が頭の中で思い浮かべるなんとなくの「ワイングラス」って形には当てはまっていると思います。でも、デザインするときには1つの形に絞って、図面を引いて、型を使って「この形です」って決定しなくてはいけない。自分の中でこの形がいいっていう形があっても、自分がいいと思うものを、果たしてみんながいいと思うのか、自信はない。だったら、それっぽいワイングラスがいっぱいできた方がいいのではないかな、と。時に脚が細かったり、太かったり、ボディが大きかったり、丸かったり、長かったりと、人が自分の感覚で、これが好きだっていうものを許容できるのっていいなって思うんです。それが私の中では豊かさだし、そこにおいしさも生まれるのかもしれないと思っています。
柳原さんが言っていることはすごく分かります。ただ、それをするとこう終わりがないっていうことはないですか?柳原さんの空間Vague Kobe(ヴァーグ)、フランス語で「波」っていう意味ですよね。毎回行くたびに空間が変わって微妙にいつも違うんですよね。日々変わるというか、それが曖昧でいいところかもしれない。人の生活や空間って日々変わるものでもあるので。建物は変わらないけれど、曖昧に落とし込めることが素敵だなと思っています。曖昧ってどうやって対話から許容していきますか?
柳原
たぶん山野さんは自然にやっててると思うんです。Vague Kobe(ヴァーグ)で山野さんのガラスを展示させてもらったりしているからそれは伝わります。みんなね、うれしそうに山野さんのグラスを持って帰る。それってすごいことだと思うんです。「私もこれ欲しかったし、山野さんもこれをすごく気に入ってくれていたんだな」といった共感が、そこにはあるのだと思います。
山野
でもそれは、個別で話が聞けるから、それができるのもあると思います。展示会のオープニングの時はお客さんと一緒に話して、たとえば、ワインを飲むんですとか、日本酒を飲むんですとか、お花飾りたいんですっていうことに対して、だったらこれがいいんじゃないんですかとか、普段どのくらい飲みますかとか、どういう時に飲みますかなどを聞くことができる。飲む量や空間によってもオススメできることがまったく違う。だから個別にそうやってお話できる場合は、これがいいんじゃない、あれがいいんじゃない、と提案はさせてもらえるのだけど。
全く個別なものがない中で、じゃあ作りましょうってなった時に、柳原さんのやっていることは、見えないことへのデザインですよね。私がやっていることはもうちょっとこう、デザインとはまた違うところであるのかもしれない。マスの人を相手にした時の落としどころみたいなのが、困っちゃうなって思う時があります。
柳原
ああ、わかるわかる。たぶんVague Kobe(ヴァーグ)で展示しているときは、作り手がその場にいなくても、買う人や見に来てくれた人が、それぞれ自分で想像するんですよね。「これ、家で使おうかな」って。ヴァーグって、テーブルがあったり壁に絵がかかっていたりして、もちろん天井の高さなどは非日常的なんだけど、どこか日常を想像できる余地があるんです。空間って、やっぱり余地がないといけないと思っていて。説明するのではなくて、来た人が想像を膨らませられる余地があるかどうかが、すごく大事なんです。
山野さんのグラスも、「これを家でどうやって飲もうかな」と想像させてくれる。そして、「あ、これがいいな」と自然に思わせてくれる道具だと思うんです。僕の考える空間も、「ここはこうしてください」「ここに座ってください」「何名で利用してください」というものではなくて、「ここでゆっくり夕日が沈むまでワインを飲めたらいいな」と想像してもらえるような余地がある空間なんです。だからやっぱり、デザインって。曖昧という言葉もあるけれど、「余地がある」ということがすごく大事だと思っています。
山野
確かに私も、使ってくれる方たちの生活空間に落とし込めるように自由に想像してもらえたらいいな、と思います。
柳原
余地があると、みんな自分なりにいい方向へと想像を広げていけるよね。「あ、これを使って誰かを呼ぼうか」とか、「朝これで飲もうかな」とか、楽しい方向に想像ができる。この「おいしさ」とか「楽しさ」っていうのは曖昧だけど、膨らませられるものなんですよね。すごく重要な部分だと思っています。
山野
柳原さんは、空間というか、情景みたいのを感覚的に切り取っていると思います。切り取った情景を、たとえばレストランとかの空間やデザインに落とし込んでいる気がする。情景って、たとえばフランスのアルルにもスタジオを持たれていますが、そこと神戸との違いはありますか。自分の中で感じた特別なこととか、その柳原さんから見てどう違うとかあります?ちょっと話がずれたけど、聞いてみたくなりました。
柳原
そうですね。やっぱり国ごとにというか、考え方によって空間体験ってすごく変わるので。
山野
そうですよね。行為も違いますしね。
柳原
アルルと神戸に限らず、いつもデザインに用いるマテリアルはその土地に合わせて選んでいるため、立ち上がる情景は自然と異なってきます。ただ、自身のデザインに向き合う姿勢そのものは常に変わらず、その根底にはスウェーデンでの経験が大きく影響しています。スウェーデンの料理は日本よりもとてもシンプルにも関わらずすごくおいしくて、そこで過ごした時間が強く記憶に残っています。「これ好きだろうな」とか、相手のことを思ってくれているのがわかるんです。たとえば20代の頃、山野さんの紹介でスウェーデンを代表するデザイナーであり陶芸作家のインゲヤード・ローマンに初めて会いに行きました。彼女は見ず知らずの私を迎えるためにキャンドルを灯し、日本人であることを思ってお茶を用意し、さらには街一番のパンでもてなしてくれました。
選んでくれた時間や背景を想像すると、なんて素敵な時間なんだろうと思うんです。北欧は、そういうことをすごく感じさせてくれますね。北欧の暮らしや、そこにあるデザインには想像できる余地があるなと思います。
山野
「余地」と一言で言っていいのか、分からないけど、Vague Kobe(ヴァーグ)でも感じることがありました。看板もないし、ここ、入っちゃってもいいのかな?と探検するような空間だった。自分が好きなように動いていいし、自分の空間として使っていいんだよっていうことなのだろうけど、その感覚は意識してそうしているのですか?
柳原
意識していますね。さっき話したように、あえて曖昧にすることもありますし、空気をデザインしているという感覚なんです。空気って、つながっているものなんですよね。部屋が分かれているというよりも、ひと続きになっているようなイメージです。
山野
いいですね、「空気をデザインしている」って、柳原さんらしい。
柳原
部屋ごとに分かれていても、空気という目には見えないもので、緩やかにはつながっているんですよね。お弁当と一緒かもしれません。お弁当ってどこから食べてもいいんですけど「野菜から食べないといけないのかな」とか戸惑うじゃないですか。でも、「好きなものから食べていいよ」と言われたら、「じゃあお肉から食べよう」っていうような自由がありますよね。もしかしたらそのほうがおいしいのかもしれません。
僕は美術館に行くときも、その作家さんが意図した動線を順番にたどるというよりは、この空間の中でそれぞれが自由に見ていければいいと思っているんです。そういう意味で、自分のデザインでは曖昧さをすごく大事にしているし、サイン計画もほとんど設けていません。想定していなかったような場所で、思いがけないいい体験ができるんじゃないかなって。
曖昧である分、決めつけないことで発見が生まれるようにしているんです。歩くことで体験する空間というのを、僕はすごく大事にしています。歩きながら空間を発見するのと、ぱっと見て理解するのとでは、豊かさが違うと思う。
山野
その曖昧って、今話しながらも思っていたのだけど、答えがないことを想像することが楽しいんじゃないかなと思うし、一瞬答えだと思ったことも、実は答えじゃないっていうことが、すごくおもしろいなって思いました。
友だちの家に遊びに行ったら、大量のレシートの上に私のワイングラスが置いてあって。結局レシートの重し代わりにして、ワインを飲むって言って選んだのに、全然ワイン飲まないじゃん!と。でもそれも、その行為自体が私には想像できなかった行為なのですごくおもしろかった。きっと確定申告の書類をまとめながらワインを飲んで、山野のこのワイングラス、意外と重いぞ…重しに使えるな、みたいな。半分無意識に。ワイングラスとの関係性が薄い関係だったら、そんな風には思わなかったのだろうなと思うと、自分が想像できなかったことに対して、人が関わったことによって生まれる発見とか新たな想像を膨らまして、終わりがないというか。そこが曖昧の魅力なのかなと思います。
柳原
想像させる余地が大事なのかもしれないね。
山野
そうそう!ありがとう。
…ありがとう?笑
そうですね。想像する余地があるものが曖昧の落としどころなのかもしれないですね。
柳原
空間もそうだと思う。使い手によってね。居心地のいい距離感とか体験って違うので、いいなと思ってもらえる余地をどうやってつくるかだと思う。強制じゃなくてね。みんなが自然に、ここに来たらこうしようっているのがいいよね。
スウェーデンに行った時って、レストランよりも山野さんの家で食べるご飯が一番おいしいんです。オオツノジカのお肉があってミートボールにしてくれたりとか。
山野
ミートボールと、ポテトサラダだけなんですけどね。
柳原
それだけかもしれないけれど、誰がどんな状況でハンティングしたんだろうって想像するんです。おいしい中にも、食卓までのストーリーというか想像を膨らますことができる要素があるのはおいしいですね。
山野
誰かにご飯を作ることって、想像力をフル活用しますよね。当事者になりえないことでも、相手の立場に立って想像する。デザインも想像力かもしれないですけど。
柳原
今まだ存在していないものに共感してもらうことが、すごく大事だと思う。共感してもらえないと進まないし、そもそも形にすることもできない。「これをデザインしてほしい」と思ってもらえるところまで、どうやって共感してもらうかが重要なんです。
たぶん僕らは、そのためにものすごく想像しているんだと思います。
山野
想像した通りにいかないことも楽しいんですよね。
柳原
そうそう。それは楽しいことです。
山野
私は比較的1回落とし込みたい。1回出すと、そこからの膨らみがあるから。やっぱこうじゃなかったみたいなことって結構あって、そういうのが楽しい。私は意識して使ってくれる人を信用しようと思っているのかもしれない。その人たちなりの使い方があるに違いないというところを曖昧にしている。その人たちって誰なんだっていうところを、あえて突き詰めて考えすぎないようにしているのだと思います。
柳原
空間も器も、非日常の特別なものではなくて、その人が想像して「あ、これなら使いたいな」と思えたり、少し背伸びして想像できたりするようなものをデザインしたいと思っています。
日常をどう豊かにするか、ですね。
山野
一緒に何名かでミーティングしている時、柳原さんが真剣な顔をしながら窓枠を見だしたりして。あ、今、窓枠取り外して外に空間を広げようとしているのかな、とか、空想を膨らませているな、バレてるぞ、みたいな時はあるのだけど 笑 常日頃から色々な想像を膨らませるっていいですよね。
柳原
僕ね、 2つのことを同時に考えるのが好きなんです。料理をしながら他のこと考えたりとか。ただ、それバレてるってことだね 笑
山野
そうですね。でもそれが柳原さんらしいです。
「曖昧」と言えば、柳原さん笑
今日はありがとうございました。
VAG/曖昧1
VAG/曖昧2 前編
VAG/曖昧2 後編
VAG/曖昧3 (6/4公開予定)