食事を空想するプロジェクト
SERVISER/食器類2 前編
ガラス作家
山野アンダーソン陽子
──── 料理家・細川さんを招いて、今回のテーマSERVISER(食器類)の対談がはじまりました。
細川亜衣(料理家)
大学卒業後にイタリアに渡り、レストランの厨房や家庭の台所など、さまざまな場所で料理を学ぶ。現在は熊本市内の旧跡・泰勝寺跡に構えた”taishoji”を拠点に料理教室や工芸の展示会などを企画運営している。『食記帖』、『スープ』(リトルモア)など著書多数。
山野
いただいた依頼に対してどう現実に落とし込んでいくかということも、私たちの仕事であると思っているのですが、もし現実に落とし込まなくてもいいのなら、自分たちがしたいことはどんなことなのだろうと考えていて。ご自身で料理をし、料理教室やイベントもされている細川亜衣さんを友人を通して知って、食器についてお話を伺ってみたいと思いました。
料理を盛り付ける食器を作っていると、何を盛り付けるのか、その時の気候はもちろん食材の季節感、料理をする人や食べる人など流動的なものへの向き合い方なども気になります。今回は、食器を通して細川さんがおいしさに関係するどんなお仕事をされてきているのかをご紹介いただきたいな、伺いたいなと思いました。
細川
はい、わかりました。元を正せば、私が料理に興味を持ったのは幼稚園ぐらいの時からなんです。そして次第に器にも興味を持ちはじめました。
もともと実家にあった器は、特にセレクトされたものというわけではなく、なんとなく家にある器という感じでしたよね。一般のご家庭で、特別に器を選んでいるお母さんがいない限りは、いわゆる「とりあえず」の器も多いと思います。
我が家の場合父が物を集めるのが好きで、それが器にも派生していました。ただ、選ばれているようで選ばれていないというか、”父が選んだものに囲まれて暮らす”、それが我が家のルールでした。そんな中で、私が中学生の頃、母が器屋さんで作家ものの器に出会い、「すごく素敵なお皿がたくさんあるのよ、今度一緒に行ってみない?」と興奮気味に誘ってくれました。母とはるばる出掛け、何種類かの器を家族分選んで持ち帰ったのですが、母がそれらの器に料理を盛るようになって、今までと見え方がまったく違うことに驚いたんです。母はとても料理上手でいつもおいしい料理をたくさん作ってくれましたが、器が変わるとこんなにも印象が変わるのかと驚きました。器と料理はとても近いものだと知り、母に料理に合う器を出して、と言われて食器棚から選ぶことも、少しずつ自分も料理をするようになって盛りつけることも楽しくて仕方ありませんでした。
そして、時が流れ、大学時代のヨーロッパへの旅や、イタリアでの暮らしを経て古い器に惹かれるようになりました。西洋のアンディークに限らず、中国や韓国、日本、世界中の古い器を集めるようになりました。
熊本に越してしばらくしてから、我が家の菩提寺であった泰勝寺跡に残された寺の待合所として使われていた建物を改修し、taishojiとして再出発をしました。
料理教室や料理会と合わせてさまざまな展示会を開催しています。
展示会と料理会を同時開催する機会も多く、作家のみなさんが「どんな器が欲しいですか」と聞いてくださることも少なくありません。具体的なサイズや色などを聞かれると、なんとなくイメージを膨らませてお答えすることもできなくはないのですが、そもそも料理と器は出会いのものだと思っています。また、私はあらかじめどんな料理を作るか考えるのが苦手なので、どんな器を使いたいかという明確なアイディアが予めあるわけではないんです。ですから、その時、作家が作りたいものを作り、私も作りたいものを作り、できあがった器と料理をよい形で結び合わせてゆくのが一番だと思っています。
山野
日本とスウェーデンやヨーロッパでは食器の考え方がちょっと違っているように感じています。たとえば北欧では1セットは六脚が基本だったり、マグカップ以外、特に個人的な食器やカトラリーがないことなどがあげられます。制作する際には、行為や意味というのが如実に必要になることもあります。私たちのこのためにこれを作ってくださいという個人的なオーダー、レストランやイベント用の大皿や多数食器が必要な場合では、作るものも変わります。細川さんの場合、お教室用の器の選び方とご自宅用で使用する食器の選び方に違いがありますか。
細川
仕事場であるtaishoji の器は、西洋のディナーセットや、この場所に関わりの深い日本の作家の方のものが多いです。私以外のスタッフやゲストの料理人や菓子職人が器を使う機会も多く、食べるお客様の人数も多いので、めいめいの器は大体の場合10−20枚(個)単位で揃えています。自宅では、私が長年かけて集めてきた世界中の古い器を中心に、陶芸家である義父や夫のもの、娘が絵付けをしたり手捻りをしたものなど、家族と関わりのある器や、作家のものは我が家の料理に欠かせないごく限られたものだけを使っています。古い器については、様々な国で骨董店や蚤の市を歩きながら目を皿のようにして選び、かなりの時間をかけて集めてきました。そのどれもが旅の思い出とも重なっていて、時間とエネルギーをかけてきた分思い入れが強いです。器は割れるものでもありますし、自分が責任をもって使い、手元に置いておきたいと考えています。
山野
ご自宅で食べるご飯とお教室の料理内容は似ているのですか。
細川
料理教室の料理は基本的には私自身が日常的に食べたいと思うものを作ります。一番違うのはレシピがあるか、ないか。料理教室では生徒さんにレシピをお渡しするので、’おいしい’にたどり着くための分量や切り方、火の入れ方などを言語化して、できあがりの味や形を決めておく必要があります。家の料理は、いい意味で行き当たりばったりで、余っているものを組み合わせたり、私の気が向くままに作ったりします。ですから、出来上がるまでどんな料理になるのか、私自身もわかりません。その分、家の料理のほうがひらめきや突発性があって、作る側も食べる側もより楽しさがあると思います。私の料理は旅先で食べたものなど、誰かがどこかで作ってくれたものが発想の源になる場合と、その日手に取った素材をじーっと眺めて、触って、想像を巡らせているうちに生まれる場合の二つのパターンに大体分けられます。とはいえ、どこかで食べたものをそのまま作ってみることはほぼなく、誰かに習ったり本を見て作るのも好きではありません。全て自分の中から湧き上がるものしか信じていないんです。自分がこうしたい、と思うことはどんな小さな作業でも妥協はしないし、料理の全ての工程に意味があると思うので、その意味をとことん考えて手を動かします。あとは家で自分が食べるにしろ、教室で作って食べていただくにしろ、最終的に’おいしい’という強い感情に結びつくかどうかが一番大切ですね。
山野
私の場合はイベントで準備するときには、何ml入るグラスとか、この器にこのお料理を盛り付ける、と料理人やバーテンダーなどとある程度先に決める場合が多いです。でも、家で使う食器は全く考えずに制作してしまうこともあります。しかも、作った食器を使いたくて料理を合わせることもあります。
細川
食器に関しては、家では料理が出来上がる少し前に決めることがほとんどです。たくさん器を持っていますが、食器棚のどこに何が入っているか把握しているので、料理をしながらぼんやりとどの器に盛るかを考え、背中越しにある棚に振り向いてこれぞという器を取り出します。あとは、冷たいものは冷たく、熱いものは熱く、という料理の温度感は私に取って最重要事項の一つなので、特に熱い料理の時は必ず器を蒸し器かオーブンに入れてしっかりと温めます。この温め方も芯まで温めないと、料理の温度、ひいては食べた時の感動に大きく影響します。教室の時はスタッフと何をどう使うかを予め共有する必要があるので、レシピと照らし合わせながら、全体のバランスを見て器を決めてゆきます。ただ、大皿に盛る料理については、料理が出来上がる頃に盛りつけた時の景色を想像して、瞬時に決めることも多いです。すぐにめいめいに取り分けるとしても、いったん大皿に盛ることで食卓の景色も、料理そのものの見え方も全く違ってきます。母はほとんどの料理を大皿に盛る習慣があったので、基本的には私も大皿に盛って食卓で取り分けるのが好きです。教室のみなさんにも、大皿に盛られた料理を見た時のわあ!という感動を届けたいと願っています。また、私はtaishoji のスタッフや友人や娘と料理をする機会が多いのですが、誰かに器を選んでもらうと、必ずばっちりのものを選んでくれる人(=娘)と、あれ?というものを選ぶ人と色々で、器選びの感覚ってとても繊細なものだなと思います。
山野
そういう時、いつも無意識でよく使ってしまう器はありますか。
細川
はい。 あ、もちろんあります。ほとんど毎日使う器がいくつかかあります。好きだし、使い勝手がいいです。
山野
それってどういう器ですか。聞いてみたいです!
細川
一番よく使うのは、娘が七歳の戌年の時に犬の絵付けをしたお皿です。娘が幼稚園や小学生の頃だったでしょうか。年末になるとお正月に向けて干支の器を何年かの間作っていました。わりと分厚くて重たいのですが、ついつい手に取ってしまう。娘への親としての個人的な思いを抜きにしても、本当にいい器だと思います。家では’戌皿’と呼んでいるのですが、使わない日はほぼありません。全ての皿の犬の表情が違っていて、一枚だけ前を向いて座っている、いかにも”犬”という絵なのですが、あとはたぶん途中でやる気をなくしたのか、面倒になってきたのか、ざっくりとした横顔が描かれているんです。中には”犬?”というものもあって、でも、そのほどよく気の抜けた感じもすごくよいんです。
山野
好きな器と使いやすい器って一緒だったりしますか。それとも、これ結構使いにくいのだけど、なんか好きなんだよねということもありますか。
細川
多くの場合、好きと使いやすさは重なります。ただ、私にとっての「使いやすい」は、たとえば何枚も重ねて収納できるとか、食洗機に入れられるとか、現代の生活においての便利さとは別のものです。盛ったときに料理が美しく見える、何を盛ってもおいしそうに見える、それが私にとっての使いやすさです。でも、何にでも使える必要はなくて、この料理なら絶対にこれ、という相性を見つけていくのが器使いの醍醐味だなと思います。好きな器の要素も使いやすい器に重なりますが、ひとつ違うところを挙げるとすると、何も盛らなくても存在自体が美しい、とにかく惹かれる、それが”好きな器”です。その器に出会ってから今まで、迷いなく一番好きな器があります。南イタリア・プーリア州の古い器で、その土地で採れる柔らかな白い土で作られた、乳白色の輪花の中鉢です。たぶん昔の人はパスタやサラダを盛っていた器なのかな、と想像しています。私はサラダを盛ったり、丸ごとのトマトや果物を盛ったり、あるいは中国風の炒め物を盛ったり、いろいろと使います。この手の焼き物はいまは地元プーリアでも飲食店や趣味のいいお家の壁に飾りとしてかかっているくらいで、現地の方が実際に使っているのは見たことがありません。骨董店でリムのある鉢や丸い鉢などはいくつも見つけましたが、輪花のものは見たことがなく、これは本当に私にとっての家宝です。絶対壊れないように、いつも願いながら使うので手に取る時は緊張しますが、使うとああ、やっぱりこれが一番好きだな、と思うんです。
山野
「使いやすい」って人によってもポイントが違うかもしれないですね。私はレストランで使う業務用のガラスを作ることもあるし、陶磁器をデザインさせてもらって作ることもあるのですが、特に量産品のデザインの場合は持ちやすいことや保管のことも考えています。サーブしやすいとか、指がこうお皿に入り込まないとか、スタッキングできなきゃいけないとか、食洗機にかけられなきゃいけないとなると強度はもちろん食洗機の中のスタッキングなどにも対応しなくてはいけません。そうなると自分が思っていた形に落とし込む事がなかなか難しかったりもします。それはそれで面白いのですが。
細川さんが使う食器は、陶磁器が多いのかなって話を伺っていて感じたのですが、好きな素材はありますか。
細川
ガラスですね。これは山野さんだから言うわけじゃなくて、もう断トツにガラスです。もう本当に小さい頃から好きで。私、三、四歳ぐらいの時から、光を透かすものがなんでも好きだったんです。ガラス、セロハン紙、瓶に詰めた水、ゼリー、もうなんでも。
小学生の頃は図画工作の時はセロハン紙で作品を、家ではゼリーばかり作っていましたね。
山野
セロハン紙、分かります!いろんな色がありましたよね。
細川
透けない折り紙ではなくて、セロハン紙にとにかく惹かれました。あとは、生家の食堂にシャンデリアがあったのですが、そのパーツを下から見るのもすごく好きでした。電気がつけた時に透き通る感じや、逆に昼間、窓から入ってくる太陽の光を通す感じ。そういう景色を永遠と眺めてうっとりしているような子供でした。
ガラスで思い出すのは、大学生の頃にスペインに旅行したときのこと。学生で飛行機や列車に乗り、宿に泊まるだけで十分贅沢だと感じていて、ほとんどものを買うことはありませんでした。でも、旅の途中に何か記念に買って帰りたいと思って入った骨董屋さんで選んだのが、アンティークの小さなリキュールグラスでした。ステムがあるもの、液体が入る部分に彫り込みがあるもの、大きさも一つ一つ違っていて、古いガラスって素敵だなあと思って。リキュールを飲む習慣はないし、そんなに小さなグラスを使うことは日常生活ではないのですが、ただ、それらを眺めているだけで幸せな気持ちになるんです。その後はポルトガルの旅の途中、小さな街の骨董屋さんで、粒々のレリーフが全体に入った、おそらく昔の香水瓶に出会いました。お揃いのレリーフがあるふたがついていて、これに香水を入れて使っていたご婦人を想像すると優雅な気分になります。実はお店にある時から口が欠けていたのですが、それでもなんだかとても気に入って、大切に持ち帰りました。いまでも花器として時折使って大事にしています。
そして、大学を出て料理を学ぼうとイタリアに初めて渡った時、ローマで運命的なガラスとの出会いがありました。語学学校の近くの裏道を散歩していたら、ガラスのパーツでできたカラフルなランプシェードが目に入ったんです。イタリアらしくないエキゾチックな感じが気になって、なんのお店だろうと思って恐る恐る扉を開けたら、中近東の人が営んでいるお店でした。一階には絨毯とランプシェードが飾られていて、奥を見たら地下に行く階段があったので、暗くてひんやりとした地下室に勇気を奮って降りてみました。そうしたら、信じられない量の色々な色のガラスが目に飛び込んできました。ワインの木箱に無造作に詰め込まれたガラスは、かろうじて色別になっていましたが、埃をかぶっていたり、時には割れたりして。ただ、その光景にもうとにかく圧倒されてしまって。私が幼い頃から大好きだったガラスしかない世界。一瞬で虜になりました。お店の人に聞いてみたら、シリアのガラスだということがわかりました。昔ながらの吹きガラスで、どれもなんとなく歪んでいて、黒い煤のような不純物も含んでいたりするのですが、それにかえって惹かれました。当時は赤や黄色のガラスの器はどう使ったらいいのかわからなくて、一番プレーンな色だと思われた透明、といっても実際は淡い水色のガラスが入った箱から、アイスクリームを入れるような脚付きの器と小さな小さな鉢、そして、エスプレッソカップのような器を買いました。シリアのガラスにはそれまで見たことのなかった独特のびのびとした感じがあって、もうとにかく”好き!”と思ったんです。その後はフランスやイタリアでアンティークのグラスを集めるようになりました。
そして、30代の終わり頃、結婚を機に熊本に越すことになったのですが、あるガラス作家の方との出会いがありました。”亜衣さんの料理を食べてみたいから、場所を設けるので料理をしにきてくれませんか”と言ってくださって。料理会の終わりに結婚祝いにといただいだ1ダースの透明のグラスと、参加した方全員に贈られた淡いグレーのグラスは、シリアのガラスについで、私の中でガラスの器というものの確固たる存在感を築いてくれました。その作家のガラスを使わなかった日はこれまで1日もありません。朝昼夜、何も考えずにその方のガラスを手に取ります。シリアのガラスを思い起こさせるような歪みや、色など、共通することはありますが、結局は理由はないんです、”ただ、好き”。器を手に取る時に大切なのは、その感情だけなんだと思います。私はガラスに限らずいろいろな素材の器をたくさん持っていますが、ガラスだけは常に目に入ってくるようにガラスの扉の棚にしまっています。
SERVISER/食器類1
SERVISER/食器類2 前編
SERVISER/食器類2 後編
SERVISER/食器類3
Graphic Design:Tomoko Yamashita
Project
食事を空想するプロジェクト
ガラス作家
山野アンダーソン陽子
「空想の食事会計画」を通じて、おいしさの可能性をたのしく妄想していきます。