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おいしさはいつもしあわせを呼んでくれる

「今日もていねいに。」の扉

おいしさはいつもしあわせを呼んでくれる

前回のつづき


アーサーアヴェニューで本場のイタリア料理を存分に食べた僕とリリーは、おなかが一杯のせいか言葉少なく帰り道を歩いていた。

カンノーリ、ババ、その後に「DOMINICK’S」というレストランでパスタとピザをたいらげ、トスカーナの絶品サラミをマーケットで立ち食いし、老舗チーズ屋の「CASA DELLA」で出来立て(熱々!)のモッツァレラチーズを頬張り、当分イタリア料理はノーサンキューという気分になった。

「これだけいっぱい食べると、おいしいは苦しいになるわ」とリリーはしあわせそうな顔で言った。「ほんとうにあそこはイタリアだね。今まで食べてきたイタリアの味とぜんぜん違ったよ。素材の味を活かしたというか、素朴でとにかく後味がいいんだ。たしかに今はおなかが一杯で苦しいけれど、イタリア料理を食べたくなったら、きっとまたアーサーアヴェニューに来ると思う」と僕は答えた。

「うん、イタリア料理は食べるとなんだかしあわせな気分になるのよ。おいしいは苦しいではなく、おいしいは楽しい」とリリーはつぶやき、「ねえ、帰りに古書店に寄ってもいい?」と僕を誘った。

ニューヨークいちのブックハンターと呼ばれるリリー。そんな彼女と一緒に本探しに行けるなんて、こんなラッキーは無いと思った。
「もちろん!」と答えると、「良かった、重たい本を運んでくれる人がいると思うと、存分に買い物が出来る」とリリーは笑った。

アッパーウエストサイドの72丁目駅で地下鉄を降り、僕らはブロードウェイを北に歩いた。76丁目通りに昔ながらの小さな古書店があり、先日そこの主人が古い料理本を大量に顧客から引き取ったという情報をリリーは入手していた。

ブックハンターは勘と運で本を探し出すのではなく、誰よりも早く顧客と古書店の間で行われる本の売買を知り、いかにして棚出し直前のタイミングに駆けつけるかが大切。きっとそろそろ、その本が店に並んでいる頃だろうというのが彼女の計算だった。

「ねえ、知ってる? ニューヨークの街路樹の鉄の柵って同じじゃないのよ。いろんなデザインがあるの。ジェイムズ・スティーブンソンの名エッセイ集「大雪のニューヨークの歩くには」でも書かれているんだけど、私も彼と同じように子どもの頃から知っていて、いつも歩きながら見て楽しんでるの。アッパーウエストサイドの柵も、やっぱりいろいろあるね」とリリーは言った。

なるほど。見て歩くと、確かに街路樹の鉄の柵は、似たように見えるけれど、ひとつひとつデザインが微妙に違っていて面白い。僕はニューヨークならではの楽しい歩き方を知って、嬉しい気持ちになった。

古書店に着くと、リリーは店主に「来たわよ」と声をかけた。店主は「まいったなあ。よくこのタイミングに来るもんだ」と手の平を上にして肩をすくんで見せた。「さあ、私に見せるものがあるでしょう。隠していないで見せて」とリリーは言った。すると店主は頭をかきながら「ほんとにこの子は引きが強いってもんだ。鼻が効くというかね」とガラスウインドウに飾ったばかりだった一冊の本を手に取った。

「はい、ビンゴ!! アンブローズ・ヒースの『GOOD FOOD』初版本。今日は絶対この本と出合えるって思ったのよ」。リリーは得意げに言った。

「おいしいものを食べると、私はいつもラッキーなことが起きるの。おいしいはしあわせを呼ぶってジンクスを私は信じているのよね」。1932年にイギリスで書かれた、四季を通じた家庭料理の名著であるこの本を、リリーはずっと探していたという。

料理本の中でいちばん好きな一冊を挙げるなら、迷いなく『GOOD FOOD』だと語るリリーだった。店主から本を受け取ると大切そうに胸に抱いて微笑んだ。ちなみにリリーが買い取った値段は、破格安の200ドルだった。

僕らは、この本との出合いのためにアーサーアヴェニューに行ったのかもしれない。いや、きっとそうだ。おいしいはいつもしあわせを呼ぶのだから。

わたしの素

『Atelier September』のアボカドトースト

コペンハーゲンに行くと必ず『Atelier September』に行く。朝7時半のオープンを待ってアボカドトーストを食べる。アボカドトーストは自分で作るし、他の店でもたくさん食べてきた、しかし10年ほど前にこの店をはじめて訪れて食べた時の衝撃は忘れられない。アボカドはこれ以上無いくらいに薄くスライスされ、おいしいバターを塗ったライ麦パンに美しく並べられ、これまた細かく刻まれた分葱をたっぷりとのせて、新鮮なレモンをぎゅっと絞る。使われている食材のバランスというか、調和が生み出す、香り、食感、風味、繊細な作り手のセンスと愛情が、素朴でありながら極上のおいしさを醸し出している。こんなにシンプルな一品でありながらも真似ができないのは、オーナーであるフレデリック氏の食への哲学と美学の結晶そのものだから。なにはともあれ、普段、家で料理をしながら、彼ならこの料理をどんなふうに作るのだろうかと考えるくらい、僕にとって『Atelier September』は大きな存在であり、シンプルな料理とは何かをいつも学ばせてくれている店のひとつ。

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