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アイスクリームの時間

アイスクリームの時間

4月から、新しい習慣ができた。

金曜日に、アイスを食べに行くことだ。

そのアイスクリーム屋さんは、去年の春の終わりに出現した。店舗を持たず、パティシエであるオーナーがそれまで働いていたコーヒーショップのオフィスを一部借りて、入り口の脇に看板を立て、週に3日、金・土・日のみオープンしていた。夏の間だけのポップアップ、ということだった。

初めて行ったのは7月に入ってからだ。その日、私は、日本から来ていた友人と一緒だった。東京でカフェを営む彼女とは前の週にロンドンで合流して、3日間、ロンドンの夏の味をめいっぱい楽しんだ。中心地からだいぶ離れたパン屋さんで土曜の朝に目を見張るほど伸びた行列に驚いたり(結局50分待って買うことができた)、初めて名を知ったベリーの一種が料理にもデザートにも頻繁に登場して、現地に赴くことで触発される好奇心に興奮したり、喜びを感じる場面が連なった時間を過ごした。

ユーロスターで一緒にパリに戻り、彼女の滞在最終日に、私たちはそのアイスクリームのポップアップショップ、JJ Hings(ジェイ・ジェイ・ヒングス)へ行った。

着いたそばから、衝撃を受けた。メニューは、クラフト紙に列挙され愛嬌のあるイラスト付きで、アイスの種類が5つあった。フレーバーが5つなのではない。アイスの形態が5種類あるのだ。まず、スクープ。ひと玉から3玉まで値段設定が書かれている。次にポップという名の、アイスキャンディ。そして、自家製のクッキーでアイスを挟んだサンドイッチ。ソフトクリームもあって、それに、自家製ソーダにスクープを2玉のせるフロート。

そのどれもがオリジナルフレーバーで、ほとんどに旬の果物を用いていた。スクープは5種類、ポップが3種類、ソフトクリーム2種類にサンドイッチ1種類がラインナップされ、フロート用のソーダはリュバーブとエルダーフラワーの風味とある。

それらには一つひとつ名前がついているのだけれど、語呂合わせやことば遊びをしているネーミングもちらほらで、中身まではわからなかった。それで名前の下に記された内容を読む必要があった。

食べる前からイレギュラーな要素が目白押しだったその店で選んだ初めての味は、無殺菌生クリームのアイスにクッキーとブラックチョコレートが入ったものと、ブラックチェリーのコンポートにハチミツとフルール・ド・セル()を加えたクランブル入りのバニラアイスの2玉。友人は、黄桃と味噌のシャーベットに、私と同じブラックチェリーのコンポートとクランブル入りのアイスにしていた。

ひと口含んだ瞬間に、脳内が一気に覚醒したかのような感覚に陥った。こんなにおいしいアイスクリームが存在するのか!アイスクリームってこんなにおいしくできるのか!いままでこんなの食べたこと一度もないんだけれど!!という興奮が一緒くたになって「なにこれ!」の四文字しか口から出てこない。

ロンドンですでにいくつもの刺激を受けたあとだったにもかかわらず、言葉にならないほどの、初めてづくしの食体験をすることになるだなんて、人生はまだまだ可能性に溢れてる!と俄にやる気が湧いてくるのを自覚した。

あまりに驚いて、どれも食べてみたくなり、翌日もまた出かけた。今度は、ソフトクリームを試すことにした。選んだのはpretty in peachと名付けられた桃風味。桃をそのまま食べるのと、このソフトクリームにした桃とどっちがいい?と聞かれたら真剣に迷うな、と自問し始めたくらい、桃をおいしく食べたくて作ったと言わんばかりの味だった。

その前の週まで、苺ミルクのソフトクリームがあったはずで、あ〜もう少し早く来るべきだったと悔やんだ。果物の旬がリアルタイムでアイスとして反映されて、時季が過ぎたらもう終わりなのだなと理解した私は、それから、行ける限り、週末になるとアイスを食べに行くようになった。

当初夏の間だけの予定だったポップアップは、結局10月まで延長されることになり、気の赴くままに通った結果、味わった風味は28種。人生には予期せぬことがいくつも起こるものだとしても、ひと夏、1軒のアイスクリーム屋さんに通い続けて(それも週末にしか開いていない!)、28種ものアイスを味わう体験を自分がすることになるだなんて、考えたこともなかった。さらに加えると、28種を一度ずつしか食べていないわけではないのだ。リピートしているものもある。

それで私は、思い切ってインタビューをお願いすることにした。営業中にいつも、ワッフルメーカーで自家製のアイス用コーンを焼いていたオーナーパティシエのジュリアとはすっかり顔見知りになっていたから、ポップアップが終わりを迎える前の週に、おそらく混雑が落ち着くだろうと見込んだディナータイムの時間帯に出かけて、聞いてみた。「できたら、自分でやっているPodcastの番組でJJ Hingsの話をしたいのだけれど、取材させてもらえるかな。ポップアップが終わって、もし時間に余裕のあるタイミングがあったらその時に……」。彼女は、もちろん!と快諾してくれた。

インタビュー当日、結局、私たちは2時間近く話した。アイスクリームに特化した店を始めた経緯、彼女のバックグラウンド、当初、ポップアップが夏の間だけの予定だったのは、間借りしていた場所の家賃を払えるほど利益が出るかわからなかったからで、それが徐々に軌道に乗り、採算が取れると見込めた段階で延長を決めたこと。これから店舗を探すこと。

「クリスマス前に1日か2日だけ、持ち帰り用のアイスを販売する予定」と聞いて、その日を楽しみにした。

12月の週末、新たな風味も加わった10種の中から4種を買って家に帰った。紅茶を淹れて、年末のワクワクが詰まったような風味のアイスを次々味見した。当然どれもおいしかった。なくなるのを惜しんでいちばんちびちび食べたのは、シナモンの香るホットワイン風味のアイスだった。

JJ Hingsのポップアップで食べたアイスは、32種類になった。

  

心待ちにしていたジュリアのアイスクリーム店は4月にソフトオープンした。
自分たちで、ペンキを塗るところから全て手作りの店舗は完成には至っていないものの、販売ができるまでには形になっていて、少しずつ始めることにしたらしい。昨年のポップアップは、まだ始まっていなかった季節だ。何があるだろう?と本当に楽しみに向かった。

4か月ぶりに貼られたメニューには、スクープが3種。ソフトクリームもサンドイッチも惹かれたけれど、まずはスクープを食べたかった。待ちに待った気分だったから、3種盛りにすることにした。3種盛りは初めてだ。そうしたら、「今シーズン、3スクープを頼んだ最初の人だよ」と言われた。

組み合わせは、こうだ。キャラメリゼした蜂蜜入りバニラアイス、アールグレイ風味のスコーンと苺ジャム入り無殺菌生クリームのアイス、そしてブラッドオレンジと発酵ミルクのシャーベットとオレンジのアイスを組み合わせたもの。
この店に来てカップを選ぶ選択肢は、私には、ない。アインコーン(麦の一種)の粉で作るジュリアのコーンは、無敵のおいしさだ。

5月に入ったらリュバーブ入りのアイスがお目見えし、そして、リュバーブ入りのパイも登場した。お天気の良かった土曜の午後、すっかりアイスを食べる定位置となった店からすぐの運河沿いでアイスをのせたパイを食べていたら、声をかけられた。女性二人組だった。

「すみません。あの、英語の方がいい? それともフランス語?」
「フランス語がいいです」
「その、あなたが食べている、それ、すっごくおいしそうなのだけれど……」
「これ!リュバーブのアイスを、リュバーブのパイにのせていて。パイ生地はアインコーンの粉で作られていて、めっちゃおいしいですよ!」
「えーーー!なにそれ!聞いたことない。どこで買ったのですか?」
それで私は、インスタのアカウントとGoogle Mapを開いて見せた。
「すぐそこじゃん!」と二人は声を上げた。
「本当に、すぐそこ。ただ、30分待ちました」と伝えると、
「30分か…… どうする?」
「でもこんなの見たことないし、絶対他で食べられないじゃん」
「だよね!これは逃せない!」
ありがとう!行ってみます!と言って、二人は足早に去っていった。

店舗を構えても、入り口脇には「外で待ってください」と書いた貼り紙がしてあり、接客は一組ずつで、だからお天気の良い日には行列ができる。
この日、私の前と後ろには、少し話し始めたよちよち歩きの幼い子を連れたお母さんが30分並んでいた。子どもたちは、その間にちょっとずつ距離を縮めて、互いの様子を窺いながら遊ぶようになった。一人のお母さんが途中で「今日は苺とチョコレートのアイスがあるよ、これにする?」と聞いたら、「それにする」と慣れた様子で、順番を待っていた。
待つのだけれど、ここで文句を耳にしたことは、私はない。列を見て、長そうだと思う人ははじめから列に加わらないし、一人で来ている人も、家族や友達と来ている人も、思い思いに待っている。

店は、5月の終わりになってイートインのための大テーブルが置かれて、窓際にカウンターも設置された。店舗の前にもベンチが置かれ、金土日だった営業日は、木曜から日曜の4日間になった。

店側も、食べにくる人も、それぞれのリズムがあるなぁと思う。
自分の都合の良い方に寄せようとする感じが、ないように思う。
それぞれのあり方が自然に尊重されている気がする。

わたしの素

インタビューをしたときに、ジュリアが「お菓子で季節を巡ることができる。それをしたい。アイスクリームでも、季節ごとの味を楽しむことができる。それを提供していきたい」と言っていたことが、とても心に残っている。

自分たちができる速度で、季節の巡りに準じたおいしいを作り出す場所には、ひずみやしわ寄せのないおいしさが宿るのかもしれないなぁと思う。

私は毎週末、まるで習い事かのように通っている。毎週変わるアイスのメニューを読むこと、そして、もう来週にはなくなるかもしれない味をじっくり味わうことが、すっかりエネルギー源になっている。この週末は、念願だった苺ミルクのソフトクリームを食べた。それと、リュバーブからアプリコットに具が替わったパイに、アプリコットジャムとチョコチップ入りのフロマージュ・ブランで作られたアイスをのせたものも。

店の床は、アイスクリームをイメージした色に塗られている。足を踏み入れた瞬間から、おいしいアイスの時間が始まる。

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