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語り合ったフリット

語り合ったフリット

10日ほど、日本に帰国した。
滞在も終盤に差し掛かったある日、口の中に唐突に甦ったパリの味があった。その味が、ぽっと口の中に現れた時、「あ、パリの味だ」と思ったのだ。それは、フリット(フライドポテト)だった。味の輪郭は鮮明で、「おいしかったなぁ。あれは、本当においしかった」と口中に広がった風味を思い返しながら、その姿を思い浮かべようとしたら、どこで食べたものかが思い出せなかった。
おかしい……。
実は私は、フリットのおいしい店リストを常々作っている。常々、というのは、思いついた時に更新していくからだ。一度作ったものに、新たな店を加えていくのではなくて、“いま選ぶなら……”と、毎回一からリストアップし直す。その際に、前回作ったリストは見ない。リストアップし終わってから、見返す。そんなことをもう20年くらい続けているから、好きな店のフリットも、その味も、思い出そうとすればすぐに脳裏に浮かぶ。
だから、舌の上にわき起こったまま鮮明な“パリの味”に、頭の中にあるフリットの画像を、まるでフリップをめくっていくかのように、次々と当てはめていったのだけれど、どれも当てはまらなかった。
どこで食べたものだろう? 最近じゃなくて、すごく前に食べたものなのかな…?
しばらく考えたもののどうにも思い出せなくて、悔しいけれど、写真を見返すことにした。
そうしたら、すぐにわかった。そのフリットの写真を見て即座に、そうだ!これだ!と合点がいった。その店は、最近訪れた憧れの店だった。

たぶん、私は、リストを作るのが好きだ。いろんなテーマでしょっちゅう書き出している。最も頻度の高いものの一つが“いま行きたいお店リスト”で、これはほぼ毎週書き出す。着手するのはたいてい日曜日。そのうちの何軒かを日々の業務と見合わせながら行けるタイミングに差し込んで、1週間の予定が大体決まる。1週間で全部の店に行けるわけではないし、大半は翌週のリストに持ち越しになる。翌週になったらなったで、「そういえば、あそこも行きたいんだった」と新たに加わる店が出てくるから、“いま行きたいお店リスト”には、その時々の自分の気分が顕著に現れていると思う。

3月に、いくつもの初めてを経験した思い入れのあるレストラン“シェ・ジョルジュ”に、初めて一人で出かけた。それから、考えたのだ。いまの自分にとって、背伸びをしたくなるレストランを。1軒、思い当たる店が浮かんだ。そこには、何度か行ったことがある。最後はいつだったかはっきりは思い出せないけれど、15〜6年前だろうか。ともかく、バッチリ、お出かけ用の服で出向いたことは覚えている。大人の店だった。ずっと背筋を伸ばしたまま食事を終えて、帰りには軽く背中にコリを覚えるくらいだった。

 

あらためて、行ってみたいなぁと思った。「そうだ!パリマラソンを完走したら、ご褒美で行こう」と思いついた。一緒に行きたいと思う人が一人いた。知り合ってからもう20年以上経つ、いつしか私にとっては、昔っから近所に住んでたお兄ちゃん、みたいな存在の友人だ。
「マラソンが終わったら、すごく久しぶりに、あの店に行きたい」と連絡すると、「いいよ。改装したけど、相変わらずいい店だよ」と彼は言った。

無事マラソンにゴールして、筋肉痛も当日だけで済んだから、すぐさま予約を入れた。
当日。
少しドキドキしながら、靴だけはいちばんのお気に入りを履いて、服はそれなりに気に入ってはいるけれど意気込み過ぎた感じのしない、ゆるやかな寛げるもので出かけた。昔はカフェが併設されていたその店は、カフェ部分がなくなって、店全体がレストランになっていた。それでも雰囲気は変わらず、回転扉を抜けたところに漂う空気も同じように感じた。思わず、口元に笑みがこぼれたのを自覚して、俯いた。うれしかった。

きっと、昔、何度か来た時は、ずっと緊張していたのだと思う。食べたものは覚えていても、メニューの記憶は残っていない。それで、大きな紙1枚に印刷されたメニューを、初めて手にするように受け取った。

選んだのは、仔牛の腎臓のグリル、マスタードソース。内臓料理が好きで、クラシックな料理を出す店に行きメニューに見つけると、注文することが多い一品だ。期待を裏切ることなく、とてもおいしかった。焼き加減もソースの濃度も、全部が“決め!”のポーズで寸分違わず組み合わさっているような、拍手したくなるおいしさだった。

わたしの素

多少は経験を積んで、私も、少し大人になったのだろう。フォークではなく、指先で一本ずつつまんでは、思うままにフリットを味わった。止まらない…と口に運びながら、「あ〜そうだこのフリット、この細さ。この店のフリットのことを随分と語り合ったよなぁ」と思い出した。細さがポイントなのだ。あとは油の風味。

東京で、口の中に突然わき上がった瞬間に、広がったのは、このジュワッとした油の風味だ。
また行きたいなぁと思う。次回もまた、そのお兄ちゃんのような友人に「一緒に行こうよ」と言おうと思っている。決して、堅苦しい店ではなくて、むしろ、とても居心地のいい店だ。ただ、かつて背伸びをしたくなったパリの空気をいまもやっぱり感じるから、自分より大人の人と、同時に気心の知れた人と、行きたい。
そして、店の名は…… いまはまだ、ちょっと秘密にしておきたいなぁ。

パリの空気の扉 アンバサダー

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