土曜の朝、いつものマルシェに行った。
着いて最初に急いだのは、卵を買うスタンドだ。ノルマンディー地方の農場からやって来る羊乳と山羊乳のフレッシュチーズを並べるその店は、前日に産み落とされたばかりの卵を売っている。ただ、その卵を目当てに来る人は多く、早めに行かないと売り切れてしまう。その朝、私はだいぶ出遅れていた。
案の定、もう売り切れだった。
「来週の分、予約されます?」「はい、お願いします。2箱で」
卵を予約する、なんてこの店で買い物をするようになるまでしたことがなかった。他の店では聞いたことがない。でもここは、買ったそばから翌週分を予約して帰る人がちらほらいる。数が必要だから、ということでもなく、1箱(6個入り)でも予約をしていく。産みたて卵を求めて。
それから、斜め向かいの花屋さんを覗いた。ミモザを買いたかった。ところが、季節真っ盛りなはずなのに、見当たらない。もう売り切れちゃったかなぁと思いながらも、少しだけ残っていたりしないかと陳列棚の裏手を脇からチラッと見てみたら、店のマダムが振り向いた。毎週買っているから、顔見知りだ。それで「今日もうミモザはないですか?」とたずねると、近づいてきてささやいた。「大丈夫、あるわよ。今日はあんまり仕入れられなくて量がなかったから、はじめから店頭に出さなかったの。まだトラックの中にあるから持ってきてあげる。大きな束がいい?それとも、少しでいいの?」「大きな束で欲しい!」
「生ける前に、茎の先端を、ハサミじゃなくて、手で折るのよ〜」朗らかに笑うマダムから、紙に包んでもらったミモザの束を受け取った。
最後は、野菜農家のスタンドへ。
列に加わったら、前に並んでいた男性が軽く上半身をのけぞるようにして振り返った。「あ、お花が当たってしまったかな」と思ったと同時に、その男性が「Merci (ありがとう)」と言った。それを受けて私は、ミモザの香りをかいだ。「それほどではないけれど、でも少し、香り、しますね。」と言うと、彼は、いちばん飛び出ていたひと枝を軽く鼻先に寄せた。「いや、十分ですよ。十分、香っている。ミモザだ」
やがて順番が回ってきた。購入した野菜は、秤にかけて計量したそばから渡される。スタンドの奥を見ると、陳列台の一部に空いている場所があった。ミモザの束を一旦、置きたくてそこに移動すると、すぐ脇にあったカブを受け取るためか、先ほど前に並んでいた男性が隣にやってきた。そして言った。
「僕より前に帰ってくださいね。じゃないと、うっかりミモザを手に取って、持ち帰ってしまいそうだから」
それを聞いた店主も
「たしかに、見事なミモザですね。思わず手に取りそうだ」
と相槌を打った。3人で声を上げて笑った。
フランスにおいてのミモザは、ちょっと日本の桜みたいだなぁと思う。数週間手に入るものの、買ってから小さなぼんぼりのように花が膨らんでいるのは、窓際に花瓶を置いたとしても3日ほどだ。暖房をつけている部屋の真ん中にうっかり飾ろうものなら、1日で萎んでしまうこともある。その儚さが、人々の心をほころばせるのだろう。ブーケを持って歩いていると、それを目にした人の表情が一瞬でパッと華やぐ。大きな束を持っている時ほど、その一瞬の遭遇率が上がる。ミモザを介して、笑みを交わす。だから、ミモザの花束を持って歩きたくて、ミモザを抱えた日、私はいつも上機嫌だ。
加えて、ミモザを手にした日に卵が食べたくなるのは、フランスにはミモザという名の卵料理があるからだと思う。
卵を固めに茹でて、白身と黄身を分け、黄身を粗く潰してマヨネーズと和えたものを、器に見立てた白身に盛り、パセリを散らす。それを、ウッフ(卵)・ミモザと呼ぶ。
少し空気を含み、粗い粒状になった黄身がミモザの花で、パセリが葉っぱ。それがもうしっかり頭に刷り込まれていて、花束を抱え、鼻先にミモザの花を見ていると、条件反射のように卵の黄身が脳裏に浮かぶ。
ミモザといえば、卵なのだ。
わたしの素
翌週。
産みたて卵を取りに行き、ミモザも買った。
念願の、卵。
最初に食べるものは決まっていた。ウッフ・ミモザは茹で卵だけれど、新鮮な卵を手に入れたときに作るものは、フランスでは一択だ。それは、ウッフ・ア・ラ・コックoeuf à la coque。黄身の固まっていない半熟卵で、殻のまま食卓に出す。卵の状態は、殻に入ったままの温泉卵みたいな感じだ。フランスでは中身を器に出すことはせず、殻ごとエッグスタンドに立てて、上部にひびを入れたら、蓋のように殻を剥がし、トロトロの卵に、棒状に切ったパンを浸して食べる。
ウッフ・ア・ラ・コックは、卵かけごはんと同じような立ち位置だと思う。限りなくシンプルで、不動のごちそう。
そして次の日は、ぐじゅぐじゅオムレツを作る。ぐじゅぐじゅオムレツというのは、勝手に私が命名した。スクランブルエッグじゃないのか?と思われるかもしれない。でも、スクランブルエッグはあまり好きではなくて、もっとトロっとした部分が大きく残った状態が好きだ。じゃあオムレツを作って中をトロトロに仕上げればよいかというと、それも違う。オムレツって、あんまり綺麗に形作らないほうが、おいしいと思うのだよなぁ。それと私は、塩味だけの、黄身と白身を攪拌させて作る卵料理が苦手だ。甘みが欲しい。これはきっと母の作る厚焼き卵が甘かったからで、だから私はぐじゅぐじゅオムレツにも砂糖を加える。
卵液をフライパンに流し入れて、固まらないように、ゆるーくかき混ぜながら、頃合いを見計らう。早すぎるかな、くらいのタイミングで火から外す。
カリッと焼いたパン一面に、ぐじゅぐじゅオムレツを満遍なく広げて少し置く。
オムレツの熱と、ほんの少し流れ出た卵液とで、パンの表面が湿り気を帯び始めたら、食べごろ。