コンテンツへスキップ
素材が僕を創った。素材がMinimalを創った。

オイシサノトビラ

素材が僕を創った。素材がMinimalを創った。

──── 東京、渋谷の富ヶ谷からはじまったスペシャルティチョコレートの専門店Minimal - Bean to Bar Chocolate -(ミニマル)の代表、山下貴嗣さん。

食べる事と飲む事が大好きで無類のコーヒー好きな山下さんは、30歳でMinimalを創業した。スタートから10年が経とうとしている今、彼の食へのこだわりや想いに迫った。

オイシサノトビラ
山下さんは、チョコレートをひとつの食文化として切り拓いてきた方のひとりだと思うのですが、作り手として考えていることや大切にしていることはどのようなことなのでしょうか。

山下さん
僕たちMinimalが作っているチョコレートは、高い安いという価格基準だけでない、クラフトチョコレートという嗜好品として、付加価値のある食べ物として提案したい考えています。決して高級とか安価なものを否定しているわけではなくて、新しい選択肢としてのチョコレートを提案していきたい、生活の中に浸透していていってほしいと思っています。
創業以来、ものづくりにこだわるという軸だけはブレないようにしています。僕らは、ずっとものづくりを追求していきました。その中で気づいたことでもありますが、チョコレートというプロダクトにフォーカスをするということは、品質を高めていくだけでないと思っています。品質の追求に加えて、チョコレートのある時間やその体験を考えていくことなんです。そう考えて追求していくと、徐々にプロダクトを取り巻くライフスタイルが生まれていきます。チョコレートを食べる体験や、誰かと共有する時間が生まれ、チョコレートを介して会話が生まれていく。そのようなチョコレート体験を大事にして、その付加価値の最大化ができないかということを考え、目指してきました。もっと言えば、別に主役がチョコレートでもなくても、その空間にチョコレートがあることで生活がもっと豊かになったらいいよねっていうことを僕らは思っています。
僕らがいて、お客さんがいる。売り手と買い手の満足はもちろん、さらに社会に貢献できることが大事です。これが社会を構成している要因だと思っていて、この“三方よし”というエコシステムをきちんと構成すること、そしてさらに大きくしていくことを目指しています。大事なことのひとつは、僕たちがズルをしないということ。生産者にちゃんとお金を払うこと、消費者のみなさんにいいものを届けることをとても大事にしています。

オイシサノトビラ
“おいしいものを届ける”よりも、“いいものを届ける”という姿勢について、もう少しうかがいたいです。

山下さん
“おいしい”というのは、あくまでお客さんが決めることだと思っています。僕たちが作ったものをこれ「これおいしいでしょ?」というのは、傲慢な話で。お客さんにおいしいって思っていただいて初めておいしいが生まれる、のだと思います。
ただ、少なくとも作り手としてはお客さんにおいしいと思ってもらえるために全力でものづくりにこだわる。作り手としては当たり前のことかもしれませんが、大切なことだと考えています。
Minimalには、毎週木曜の朝にスタッフ全員でチョコレートをテイスティングし、議論する時間があります。課題のチョコレートが各自に届けられて、それぞれがチョコレートを食べ、39の項目で点数をつけるということをしています。ここで実践していることは、自分の味覚の解像度をあげてもらうことです。
何をしているのかと言うと、チョコレートって一般的には甘くて滑らかなものだったと思うんですよね。これを甘さと言ってしまえばそうなのですが、味覚というものは5つの基本の味、つまり五味に分類することができますよね。今までの甘くて滑らかなチョコレートにも、チョコレートの解像度というものがある。それを39項目の味わいや香りなどに分類していくんです。その解像度は、人によって全然違うと思っています。
Minimalのスタッフは、作り手の職人側もサービススタッフも関係なく、必ずこれを全員やる。『これ、なんでやるんですか?』と聞いてくる人はいないんですけど、人によっては『こんなことやる意味ありますか?』みたいに思う人もいると思います。

でも、よく考えてみてください。食というものは、昔から衣食住という言い方をするくらい、大事なものとされてきましたよね。まさに人間の根源です。この解像度が上がるということは、自分のことを知ることができる、さらに言えば人のことを知ることを知ることができると僕は考えています。

オイシサノトビラ
山下さんのお話をうかがっていると、たびたび解像度という言葉が登場します。生活している中ではあまり聞きなれない慣れない言葉ですが、山下さんが考える解像度という言葉について教えてもらいたいです。

山下さん
“おいしさ”というのはその人の好みなので、その好みに対して好きか嫌いかが決まってきます。その“おいしい”が世の中の真ん中から右にずれているのか、左にずれているのか、もしくは真ん中なのかということ。この相対的な距離が分かって、初めて自分の“おいしい”と世の中の“おいしい”ということを知ることができて、味の設計ができると考えています。
さらに、たとえ一人の人だったとしても、味覚ってぶれると思っています。体調、気温、気持ちでも、味覚はぶれるんですよね。
自分の味覚を、何かの基準によってプロットできるということが大事。それをできるだけ多くの人と比較した時に、世の中の八割以上の人が同じおいしいっていうものは、もしかしたら平均かもしれない。そこから比べた時に、自分は右に五個ずれているものをおいしいと感じるんだって分かることで、自分の好みがもっと分かるようになる。
こっち側の味がすごい好き。だから、ぼくはあのスパイスのカレーがめちゃくちゃ好きなんだとか。少しずつ自分のことがよく分かるようになるんですよね。そうすると、自分が食べて幸せになる味とかも、分かってくるんじゃないかなと。
好きな理由が理解できたりとか、こういうものを好きかもしれないなって食べてみたりとかって、食を豊かにしていく中ではとても大切なことだと思っています。

自分が食べてるものに対して理解度が深まると、驚きとか発見とか感動って、増していきますよね。僕は自分が働いている仕事が、食の解像度を上げていく仕事だと思っています。人生において食の解像度が上がっていくということは、働いている仲間が幸せになっていくことにつながると考えているんです。

これまで話したことは、とてもロジカルに聞こえてしまうかもしれませんね。誤解されたくないのですが、自分の好きな味覚を無理に言葉にできなくていいと考えています。大事なことは、自分の“おいしい”や“好き嫌い”を知ること。感覚的に自分はこうなんだと、理解できるヒントになればいいなと思います。食の解像度をあげるということをできるだけ多くの人に楽しんでもらいたいと考えています。

わたしの素

オイシサノトビラ
山下さんのGoogleMapを拝見しましたが、、行ったお店と行きたいお店のピンで、埋め尽くされていました。基本的には外食で大好きなスペシャルティコーヒーを一日に何杯も飲むとうかがいました。山下さんのご自身の素とも言えるような食事はどのような食事なのでしょうか。

山下さん
食事に限らずですが、僕は作る人の哲学がちゃんと出てるものが好きです。この人は多分こういうことをやりたいんだろうなとか、こういうのが好きなんだろうなと知ることが好き。
子供の頃、母親の作る栗ご飯と餃子が大好きだったんです。母親は専業主婦で、僕と兄弟は手料理で育ちました。実は母親の父であるおじいちゃんが栗農家を営んでいまして、その栗山から取った栗で、土鍋でご飯を炊くっていうのが実家の定番。そこで採れた栗、たまに自分で採った栗で、母親が炊いてくれる栗ご飯が大好きです。もうひとつの餃子は、なんでかと言うと、子どもの頃に餃子の皮から作らされてたんです。うちの母親は、餃子の皮だけでなくパンとかも、全部自分で生地から作るんです。そのおかけでか、そのせいかは分かりませんが、僕は大人になるまで餃子の皮が売ってることを知らなかったんですけどね。ちなみに、僕は餃子にタネを包むのめっちゃ早いです。それは母親のおかげですね。

料理の味付けは、兄弟や僕の好みに合うようにしてくれて、ああいう手仕事が僕はすごく好きでした。難しいことをやるのではなく、できるだけ素材をそのまま生かすみたいなこと。栗ご飯とかはまさにそうで、僕の原体験として記憶に残っている“おいしい”なのだろうなと思います。

栗ご飯と餃子。いまだに食べたいなと思いますね。考えてみると、今でも素材を活かしたものをめちゃくちゃ食べてます。自分が好きだなと思うのは、やっぱり素材をちゃんと生かしたものなんです。

連載

オイシサノトビラ

記事一覧