雪が降ると、「大人だなあ」といつも思う。
思うのが先か、じっさいにそう呟いてから思うのか、どちらかはわからないけれど、すっかり大人になったいまになっても、雪が降ると「大人だなあ」と呟いてしまうのは、やっぱり変わらないままです。
私の生まれた土地は温暖で、冬でも滅多に雪が降らなかったから、雪をはじめて見た日のことはいまでもよく覚えています。とても幼かったけれど、弟はまだいなかった。だから5歳より前のことだったと思う。
朝、目が覚めて寝室のカーテンをあけると、もののすべてが白く覆われていて、一瞬なにが起きたのかとひどく戸惑いました。
寝ているあいだに雪が降ったんだ。昨日の夜、お父さんが言ってたことが本当になったんだ。寝ぼけた頭で整理したことを、早く家族に伝えたかったけれど、朝と夕、家じゅうのカーテンを開け閉めするのが、こどもの私に任された「しごと」のひとつだったから、寝室を出たあとも、暗くて長い縁側に掛けられたカーテンのひとつひとつを開けながらリビングへ進まなければなりませんでした。その日のそれはとてももどかしい作業で、でも、窓の数だけはじめて見る雪を「はじめて」と感じられることが同時に嬉しくもありました。
(いま思えば、雪に興奮しているいっぽうで、務めはしっかりまっとうしようとする律儀さが、自分の性格をあらわしているような気もします。)
リビングに入ると朝はすでに始まっていました。
母はキッチンで朝食の支度をしていて、父は珈琲を飲みながら新聞を読んでいて、祖母の姿はまだ席になく、兄は、ストーブの前で学校に着ていく服を温めていて、目玉焼きと珈琲と、石油ストーブの匂いが混じり合っていて……。いつもと同じ一日が始められていることが、不思議でなりませんでした。
私は窓へと走り、力いっぱいカーテンを開けると振り返って皆を見ました。それなのに、母も父も兄も皆、じぶんのことで手一杯で、私にも、窓の外にも無反応。それでとうとうしびれを切らして、「ねえ雪だよ。寝てるあいだに雪が降ったよ!」と高らかに言ってみたのだけれど、母と父は「ほんとねえ」「寒いわけだ」と返しこそすれ余裕を崩さず、兄ときたら無視を決め込み服の温めをやめもしない(確かに前日こっぴどい喧嘩はしたけど!)。
いつもより、沈黙の濃度が濃いような雰囲気が、さらに私を奇妙がらせたのでした。
なんだかひとり取り残されてしまったような不安にかられて、窓の外を見やれば雪。
陽が照って、一面がきらきらと輝いていて、ときどき、重力に耐えかねた木の枝がバタン、バタンと雪を落としていました。みんなが寝ているあいだに、誰も知らないあいだに、景色をすべて白に染め上げてしまう雪に対して、どうしてみんな、動じずにいられるんだろう……。窓ひとつ隔てた非日常に圧倒されている自分と、平静な家族とをくらべてみると、くらべるほどに奥歯がじんとしてきて、やっと出てきたのが、「大人だなあ」という、なんだかとんちんかんな言葉でした。
けれど、「大人だなあ」と思い、じっさいにそう呟いてみると、雪のある一日をはじめることが不思議とできたのでした。
「雪」という字は「すすぐ」とも読むのだと、かつて教えてくれた人がいました。
雪は、降りしきって、いろいろなものを白く染めて、そして、すすぐ。
降り積もって解ければ、染められた白はなくなって、もののかたちはあらわになる。その限られた、白に覆われたひとときに、人は何を思っているのだろう。
窓の外に降る雪を眺めながら過ごす時間に、うってつけの物語があるとすれば、それは断然、片岡義男さんの小説です。
片岡義男の書くものを、私は、読むというより覗くように楽しんでいるのですが、なによりの魅力は、一行読んだだけで彼の世界に引きずり込まれ、現実と切り離されてしまったような感覚を味わえるその引力。
そして、『窓の外を見てください』は、いわば小説家の脳内を覗き見ることのできる作品。デビューして間もない青年作家・日高の頭の中に発生する小説のアイデアが、どのように書き上げられていくのか、その過程に立ち会える長編小説です。
ある日主人公は、2冊目の小説執筆に取り掛かるため、かつて親しかった3人の美女を訪ねようと思い立つ。その間にも、創作の素材となる出会いが次々に舞い込んできて……。
短文を投げるように重ねていくドライな文体、適切な距離感を知った男女が交わす知的で艶っぽい会話、そして、小説全体に漂っている、始まりから「終わり」を予感しているような雰囲気。その読み心地は、雪を見て「大人だなあ」と思う気持ちにどこか似ていて、だから自然と、雪が降ると片岡義男を本棚から探して読んでしまうのかもしれません。
そしてもうひとつ、片岡義男と言って忘れてはならないのが、「珈琲」。片岡作品に登場する男女はとにかくよく珈琲を飲み、珈琲を語り、珈琲が物語を動かしていくのです。
『窓の外を見てください』でも、主人公が一杯の珈琲を飲むあいだに、短編小説を思いつくシーンが印象的です。
珈琲を半分ほど飲み、カップを受け皿に戻した主人公は、その瞬間、いまの自分が短編小説を頭の中で作っていくのにふさわしい状態にあることを自覚する。店内を見渡し、ある男性客に目がとまる。
〈それでいいのではないか、ストーリーはどこからでも始まる、と彼は思った。〉
そして始まる物語とは──。
わたしの素
朝、いつものように珈琲豆を挽いたあと、いつもより少しだけ時間をかけてドリップしてみようと思ったのは、その年はじめての雪を、窓の外に見たからでした。
「いいですか。物語はつねに自分の外側にあるんです。これはとても大切なことです。」
ふと、かつて片岡さんが語って聞かせてくれた言葉を思い出し、物語が発生する要素を集めてみる。
──窓の外。雪。珈琲。パジャマ姿の女。
この4つを掛け合わせたら、どんな物語が生まれるだろう。
想像を羽ばたかせてみたけれど、どうにもうまくいかなくて、でも、どんな陳腐な妄想も雪がすすいでくれると思えば、いつもより少しだけ、大胆になれたのでした。