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小酌事始め。

本と生き方の扉

小酌事始め。

人が祈りを捧げる姿を、正面から見たことはありますか?
私がそれを目にしたのは、この家に暮らしてはじめて迎えた年越しのことでした。

私の暮らすマンションは神社のお社の裏手に立っていて、リビングの窓からは、大きな桜の木が見えます。
春は桜の花が窓いちめんをピンクに覆い、光こぼれるごとく美しく、夏にはみずみずしい緑の葉がカーテン代わりとなって部屋に涼やかな風を運んでくれます。
秋は桜紅葉。高く突き抜けるような秋空の青とのコントラストが目にも鮮やかで、この木がソメイヨシノであると確信したのも、夕焼けのように真っ赤に紅葉する姿を目にしたときでした(引っ越したばかりの春はただ浮かれていた)。

派手さはないけれど好きなのは冬の景色。
葉が落ち切り、木々が幹と枝だけになると、その向こうにお社が現れ、声や音だけで気配を感じていたものの姿もあらわになります。
お散歩カートに乗ってやってきた園児たちが、先生の号令で境内に元気よくかけだしていく様子や、参道を掃く竹箒のザッ、ザ、という音や、ベンチに座って昼ごはんを食べている作業員の姿、置いていかれたサッカーボール……。
人々の生活が確かにそこにあることを、お社越しに眺めていると、なにかとても尊いものに触れているような気がしてきて、自分の一日に向き合う姿勢というものも、自然としゃんとするのです。

そして尊さの極みは、大晦日から元日にかけて訪れます。
大晦日、日が暮れる頃になると神社には松明が焚かれ、新年を迎える準備がはじまります。
日付も変わって深更、参拝客がやって来はじめるのですが、拝殿の前で手を合わせる人の姿が仄明るく照らされているのを窓越しに見たときは、思わずはっとしました。
人が祈りを捧げる姿を、後方からではなく正面から目にしたのは、それが生まれてはじめてのことだったからです。
見てはいけないものを見てしまったような罪悪感と、それにも勝る清らかなものが一気に体に流れてくるような感覚。この家ではじめて迎えた年越しの夜は、寝支度をととのえて寝室へ行っても、すぐそこで、おそらく夜通し続くであろう神聖な儀式を思って寝付けなかったことを覚えています。

明けて元旦。起きて外見れば、人の数は参道に列をなすほど増えているのに、不思議なほどにしんと静かで音もなく、まるで、人の祈りの他いっさいのものが世界からすすがれたかのよう。そんな朝の光を浴びながら、私も私の一年を始めます。
終わりを締めくくり、始まりを寿ぐひとときに、人の祈る姿があること。これは、この家がくれた最大の贈り物だと思っています。



コロナ禍がきっかけか、あるいは年齢的なことも相乗してか。
あちこち出向いたり、贅沢三昧したりというような、いわゆる行事的な賑やかさから距離を置くようになった私のお正月は、ここ数年で、ずいぶん静かでつましいものとなりました。
スーパーの開かない三が日をやりくりする程度の食材は整えておくけれど、お重に詰めるほどのおせち料理はパス。でも、数の子、黒豆、栗きんとん、伊達巻は例外。なぜなら私の好物だから。
普段よりちょっといいお肉も買っておくのは、突然の来客があってもいいように。酒や塩で漬けておけば保存も効くし、最近の冷蔵庫の急速冷凍、たいへん優秀。
普段めったに飲まないくせに、日本酒も、小瓶で数本。結局お正月のムードにひっぱられてやがる!と自分に自分でツッコミをいれつつも、気持ちの問題、だいじ。
そして、台所に立つ傍らにあると頼もしいのが、寿木けいさん著『愛しい小酌』の存在です。



小酌、それは少人数で集まって酒を飲むこと。
あるいは、日々のくらしを“ととのえる”程度に、あるものでちょっと飲む、人生のところどころに挟む小休止のこと。

『愛しい小酌』は、人をもてなすコースレシピから、ひとり気楽なつまみまでが、春夏秋冬、12ヶ月別に紹介されたレシピ&エッセイ集です。
紹介されるレシピの数々は、「小酌」という名に相応しく、旬の野菜を薄く切ったり、さっと茹でたり、仕上げに季節の柑橘を搾るだけで味も見栄えもととのうくらいに簡単で、下拵えが必要な料理であっても、「ひとてま」さえ惜しまなければ仕上げの工程で慌てないコツを教えてくれているのが嬉しいポイント。
食べるのも飲むのもおしゃべりも、料理を作って振る舞うことも大好きだけど、後者をしているとき、前者が止まってしまうのはイヤ!という欲張りな私に、ぴったりな一冊です。

「実用的」には一年通して重宝しているのですが、さらにこの時期、「読み物」として手に取れば、それはまた新しい表情を見せてくれます。

そもそも私が寿木けいさんを知ったきっかけは、料理より文章が先にありました。
自分の暮らしを差し出しながら、読む人の暮らしにゆっくり浸透していくような、たおやかな筆致。それでいて凛と立つような美しさも崩さない。そんな彼女の文章の佇まいに、読み終わる頃にはすっかり惚れ込んでいたのを覚えています。
この人のなかから出てくる言葉が好きだ。言葉を通して寿木さんの暮らしと繋がる喜びを得た私が、料理家でもある彼女のレシピを日々の食事に取り入れるようになったのも、だからごく自然のことだったのです。

本のなかで巡る季節と小酌を彩る品々の先に、この一年で叶えたいこと会いたい人を思い浮かべながら、ページをめくる。その時間そのものの、愛おしいこと。
そして台所へと向かい、とりかかるのは──。

 

わたしの素

毎年この時期になると、実家から柚子が届きます。
煮物のアクセントにしたり、はちみつ漬けにしたり、お酒に搾ったり、いろいろ試しているものの、それでも使い切れなくて、残りは柚子風呂行きとなるのが常だったのですが……。
『愛しい小酌』のおかげで、新たな定番が加わりました。それは「柚釜卵」なる一品。

まずは柚子の頭を切り落として、中身をスプーンでくり抜いて器にする。
温泉卵を柚子の器に入れて、その上にクリームチーズを乗せたら蒸籠へ。
蒸しているあいだには、柚子の果汁と醤油を合わせてポン酢をつくっておく。
仕上げにポン酢をかけて、切り落とした頭(ゴメンね)を添えたらテーブルへ。

「冬のおもてなし」コース料理では、「一の肴」として紹介されているのも納得、とろとろの温泉卵とチーズと柚子の酸味が胃をあたためつつも食欲を掻き立ててくれるのです。
作っている最中から、蒸籠の香りと柚子の香りが部屋にゆっくり広がっていき、がまんできずにお酒をちびちび始めてしまうのも、お正月の特権です。

柚釜卵で、小酌事始め。
そしてつぶやく「今年もよく食べ、よく生きられますように」というちいさな祈りが、窓の外の祈りと溶け合ってゆく。

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