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あなたにとって、記憶を共有できるご飯はなんですか?

あなたにとって、記憶を共有できるご飯はなんですか?

先日、久しぶり会った友人たちとご飯を食べていたときのこと。

「これ見て。ほらこの絵本、覚えてる?」と言って、ひとりが見せてくれたのは、表紙に描かれた絵によく似た男の子が絵本を抱えている、一枚の写真でした。「あの頃、綾子が撮影現場に持ってきてて、私が読んでたら綾子撮影終わって次の現場いかなきゃってなって、返そうと思ったら「いいよ、あげる」って言ってくれて」

その言葉をきっかけに鮮やかに蘇ってきたのは、彼女たちと過ごした、読者モデル時代のことでした。



若く、自信もない、だから仲良くなれた。

彼女たちとは原宿で出会って、10代後半から20代前半の時代を密に過ごしました。
出身地も上京した目的も違っていたけれど、ひとしくストリートスナップに撮られたことを機に読者モデルになった私たちは、朝、撮影現場で会い、また別の雑誌の撮影でも会い、その流れで夜「ごはん」を食べに行き、気づけば一日一緒にいたなんてことを繰り返すうちに、距離を縮めていったように思います。

西暦でいえば1999年から2000年代前半。
雑誌名でいえば『Zipper』や『CUTiE』、『FRUiTS』といったストリート系ファッション誌。
個性派とカテゴライズされながらも、カテゴライズされること自体どこか居心地悪く、誰とも違うアイデアを身にまとうことを競い合うようにしていたあの頃。

当時の服装をあらためて見返してみれば、「見た目、うるさっ!」と苦笑してしまわなくもないけれど、そんなふうにして自分を証明しなければ東京に立っていられないほどに、みな若く、自信もなく、だからこそ、ひとたび虚勢を取っ払って仲良くなった私たちが身を寄せ合うように親しくなっていったというのも、ごく自然なことでした。
さらに私はそこで大きな生きがいを見つけることになります。


木村綾子流、人との距離の近づけ方。

当時から本を読むことが好きだった私は、撮影現場にも読みかけの本を持ち込み、待ち時間を過ごしていました。
ひとつのテーブルを囲んで、同じように自分の出番を待っているモデル仲間たちは、その日の撮影で初披露する洋服や、輸入盤でやっと見つけた海外アーティストのCDや、昨日観てきた映画の話などを口々に伝え合って楽しそうなのに、本の話だけは、なぜかできない。それどころか、ひとたび本をひらけばあからさまに気を使われてしまうありさま。
そのことに気づき、寂しさを感じた私が密かに仕掛けはじめたのが、“檸檬爆弾”でした。

【檸檬爆弾】(名)[造語]
梶井基次郎『檸檬』の主人公が自らの憂鬱を破壊するための装置として、爆弾に見立てたレモンを丸善の書棚の前に置いて逃走するシーンになぞらえた造語。この場合は、本をレモンに見立てて撮影現場に仕掛けることで、「どうしてここにこんなものが!?」という二物衝撃を利用して興味を引き、本にたいする固定観念を破壊するという作戦。

撮影現場に着いたらテーブルの上にさりげなく本を置いておき、すこしでも興味を示した人がいたらすかさず話しかける。「バッグの中身見せて特集」があれば、その雑誌が出る時期に合いそうな内容の本をバッグに忍ばせて撮影に臨む。

目の前にいればその相手を観察して、雑誌越しなら手に取る読者を想像して、どんな切り口で伝えたら刺さるか考えながら本について話していると、ある瞬間ぱっと表情が変わったり、動かなかった指がページをめくりはじめたり、しゃべりつづける私を置いて本の世界に入っていってしまったり、あるいは、思いもよらない反応が返ってきたりすることもあって、そんなふうにして本と人が出合う瞬間に立ち会える興奮がたまらなく、やみつきになっていったのでした。
私にとってみれば、本に対して「読む」こと以外の楽しみを見つけた、これが初めての体験でした。

恋する気持ちがキュートでクレイジーな穂村弘の現代短歌集『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』や、帰る場所を失った者たちが片割れを探し求める寺山修司の童話集『赤糸で縫いとじられた物語』などは特に人気があったのを覚えているけれど、振り返ってみるとやっぱりあの頃の私たちは、持て余した情動や、行き場のない不安や焦りや、まだ輪郭を得ていない感覚や感情をすくいとってくれる言葉を、世界に探し求めていたのだと気づきます。


本を通して、共有したかった想い。

さて。件の友人が次にバッグから取り出したのは、写真に写っていた男の子が抱えていた、絵本そのものでした。
「遅くなってごめんね。どれだけ返しそびれてんの、って話だよね」

『おおきな木』と題されたその物語を、彼女はその後オーストラリア留学にも持っていき、子どもが生まれたら読み聞かせ、パートナーと別れた日々でも折に触れて読み返していたというのです。
読むたび「これって立派な借りパクだよなー」と後ろめたさを感じていたというけれど、いやいやそんな、身に余る幸福です。

それにしても、一本のりんごの木と一人のちびっこの友情を通して、「与える」とはどういうことかを読むものに問いかけてくるこの物語を、なぜ、私はあのとき彼女たちの前に差し出そうと思ったのでしょう。

ちびっこが望めば、自分の肉体をけずって木の葉を与え、果実を与え、枝を与え、幹を与え……。「きは それで うれしかった。」という語りがリフレインされるたび、失うものが増えていく木に、しかしあるのはよろこびだけだと描かれてはいるけれど──ほんとかな?

無償の愛を描いた美しい物語だと思いつつも、よぎってしまった疑念の置き場を誰かと共有したかったのかもしれません。そしてそこに彼女がいて、私よりずっと長い月日を、その物語とともに過ごしてくれたのです。

わたしの素

本を巡るつかのまの回想を断ち切ったのは、「そろそろ食べれるよー」というまた別の友人の号令と、カセットコンロの上でまるまると形成されたたこ焼きでした。
彼女たちの持つ箸が、一斉にたこ焼きめがけて伸びていきます。

久しぶりに集まろうとなったとき、ほとんど同時にメニューは「たこ焼き」と決まっていました。考えてみたら当時から私たちは、飽きもせずたこ焼きばかり作って食べていたような気がします。いまはなくなってしまった明大前の食べ放題のお店でも、集まる家にプレートがなければ誰かが持参してまでも。でも、いったいなぜ?

「たこ焼きは最高なんだよ。あー絶対失敗した、もうダメだって思っても、最終的にはちゃんとまあるくなってくれる」
「わかる。安心と信頼の食べ物だ、たこ焼きは」
「あとさ、自分で食べるより誰かに作るほうが幸せってのもめずらしい」
なんて、出るわ出るわ。
「あの頃からそんなこと考えてたの?」
と聞き返したところで、はぐらかされるのは目に見えているのでやめにしたけれど、当時はまさかそれにそんな思いを投影していただなんて、思いもよらなかったことなどを、いまになって確かめ合える関係が続いている奇跡について、考えずにはいられませんでした。20年越しに、たこ焼きの奥深さを知った再会の夜。

「それで、これ、おもしろかった?」
彼女との間に『おおきな木』をふたたび置いて、改めて尋ねてみる。
ちょっと待っての仕草と共に、はふはふと頬張っていたたこ焼きを飲み込むと、彼女は言葉を大事に置くようにして、本と過ごした蜜月について語りはじめたのでした。

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