ワンさんとお粥
松浦弥太郎 | 今日もていねいに。

ワンさんとお粥

サンフランシスコの朝は早い。

「さあ、朝ごはんを食べに行こう」。コーヒーにドーナツ? いや違う。サンフランシスコに滞在していたぼくにとって、いちばん大切な朝ごはんは、チャイナタウンで食べるお粥だ。

サンフランシスコのチャイナタウンは、世界最古で、160年の歴史があるという。ぼくが入り浸っていた本屋やカフェがあるノースビーチのすぐ隣のエリアに位置していたから、気分転換にぶらぶらと散策するのが好きだった。24ブロックの、この小さな中国は、歩道は日本のアメ横のように混雑し、あちらこちらから広東語が飛び交う活気があった。けれどもちょっと裏道に入れば、静かでのどかな中国人の暮らしが垣間見えたりと、不思議な魅力があった。

定宿があるテンダーロインからレブンワース・ストリートの坂を延々と上がり、クレイ・ストリートを右に曲がり、6ブロック歩けばチャイナタウンに着く。歩いて20分くらいのちょうどいい朝の散歩だ。天気のいい日のサンフランシスコの朝は、ほんとうに気持ちがいい。

ぼくの大好きな朝ごはん屋さん「Yummy Dim Sum & Fast Food」。ここは朝6時30分に店を開ける。朝早くに店の前に並ぶのは、年老いた地元の中国の人たちばかりだ。

「早上好(ザオシャンアオ)」と挨拶してその列に加わる。みんな愛想よく挨拶を返してくれる。並ぶといっても、ここは有名店ではない。毎朝ここで朝食を食べることを習慣にしている人たちが、開店を待っているだけだ。並ぶ人たちは、夫婦であったり、一人であったりで、外国人は、ぼく以外見たことがなかった。みんな中国語の新聞を持っているのがお決まりだ。

この店を知ったのは、ある日、ミュニ(路面電車)に乗っていたら、「あなたは中国人ですか?」と一人の老紳士に話しかけられたことがきっかけだった。「いいえ、日本人です」と答えると、「そうですか、ごめんなさい。知人の息子さんに似ていたので」と老紳士は言い(ここまでは英語で)、「私は日本語が話せます。昔、仙台にいました。よかったら日本語でおしゃべりしませんか」とお茶に誘われたのだ。とくに予定がなかったのと、老紳士がとても感じがよかったので「いいですよ、どこかの店に行きましょう」と誘いを受けた。老紳士はワンさんと言い、年齢は70歳。サンフランシスコに住んでもう40年と言った。

ワンさんが連れて行ってくれたのが「Yummy Dim Sum & Fast Food」だった。お粥と点心の小さなデリバリー専門の店だけど、もくもくと湯気の上がる台所で、せっせと点心を作る料理人がいて、店の奥がちょっとしたイートインスペースになっている。お店としてはあまりに素朴だけれど、その味気なさが、ぼくは好きだった。

「コーヒーでもお茶でも、なんでもあるので注文してください」とワンさんは言った。「ワンさんは何を飲みますか?」と聞くと、プーアール茶と言うので、ぼくも同じものを注文した。ワンさんは、若い頃、仙台の中国料理の店で働いていたという。そのときに日本人の家族にずいぶんと世話になって、日本語も覚えたらしい。さらに寿司が好きになり、寿司を握る技術を覚え、今はここチャイナタウンで寿司屋の経営をしていると教えてくれた。

そんなふうにおしゃべりしていると、次から次へと店の前を歩く中国の人が、ワンさんにていねいに挨拶をしにきた。きっとワンさんは、中国人コミュニティの重鎮なんだろうな。みんながワンさんを尊敬してるのだ。

「この店は小さい店ですが、サンフランシスコでまあまあ、お粥がおいしいのです。ぜひ朝に来るといいですよ。よかったら明日の6時30分に来てください。一緒に食べましょう」とワンさんは朝ごはんにぼくを誘ってくれた。朝6時30分に開店なんて、びっくりしたが、チャイナタウンのお粥を出す店はそろって朝が早い。

次の日の朝、ぼくは約束の6時30分に店を訪れた。ワンさんはすでに店の前で並んでいた。店が開いて中に入ると、「さあ、お粥を食べましょう。おいしいですよ」とワンさんが言った。ぼくはワンさんが選んだピータン入りのお粥と同じものを頼んだ。

ワンさんは、「こうして食べるとおいしいですよ」と、細かく刻んだザーサイとネギを加えて、ごま油をほんの少し垂らした。ぼくも同じようにお粥にトッピング。そして、ヨウティヤオ(揚げパン)ひとつを半分に折って、ぼくに渡し、「これを細かくちぎってお粥に浸して食べましょう」と言った。

お粥があまりに熱々だったので、ぼくは少し冷ましてから食べようと思った。すると、「熱いものは、ゆっくり食べるほうがいい。冷めてからではなく、熱いまま、ちゃんと味わうんです。それがおいしいんです」とワンさんは言った。ぼくはその言葉にはっとした。おいしいものを、ちゃんとおいしく食べる。簡単そうだけどむずかしいこと。ワンさんのそんな食事の仕方がすてきに思えた。

ワンさんは店の人に「彼はこれからここに来るからよろしく」とぼくをきちんと紹介し、「よかったら、ときたま一緒に朝ごはんを食べましょう」と言った。ぼくはこの店が気に入って、すっかりお粥好きになっていった。

ワンさんは、仙台時代に、毎朝、お世話になった家族の家で朝ごはんを食べたことが忘れられないと言った。「どこの国にいても、朝ごはんを誰かと一緒に食べられるというのは、最高のしあわせですね」。仙台では、毎朝、お味噌汁とごはんとお漬物、そして焼き魚か目玉焼きだったそうだ。日本のお味噌汁はほんとうにおいしくて大好きだと言った。

それから時折、朝早く起きて、ぼくは「Yummy Dim Sum & Fast Food」を訪れ、お粥を食べた。けれども、ワンさんに会えることはなかった。あまりにワンさんと会えない日が続いたので、店の人にワンさんのことを聞くと、病気で入院したみたいだと教えてくれた。いつかまた元気になったワンさんと朝ごはんを食べたいと思いながら通い続けたが、それから一度もワンさんに会えることはなかった。それでも、ぼくは朝早く、店の前に並び続けた。「早上好」とつぶやきながら。

ピータンのお粥に、ザーサイとネギ、ごま油を少し。ヨウティヤオをちぎって浸す。その手順をなぞるたびに、ワンさんの声が、すぐそばで聞こえる気がする。

「こうして食べると、おいしいですよ」。ひとくち、口に運ぶ。やさしい味がした。それはきっと、お粥の味だけではなくて、誰かと過ごした朝の記憶の味わいなのだ。

人は、会えなくなっても、いなくなるわけではない。教えてもらったことの中に、ちゃんとその人は残っている。いつだって心の中で会えるのだ。


わたしの素

散歩の途中に立ち寄る老舗の和菓子屋がある。この店でどら焼きを買って帰るのが、いつからか習慣になっている。どら焼きの皮にそば粉を使っているので独特の風味があり、つぶあんの真ん中に求肥が隠されているのがおいしさの特徴。そば粉の生地を薄く焼いてあるのも好み。コーヒーと一緒に食べる。手作りなのは当然だろうが、どら焼きをください、と言うと、少々お待ち下さいと言って、店の奥で仕込んでくれるのも嬉しい。今いちばん好きなおやつかもしれない。

連載

おいしさってなんだろう?をテーマに
その人らしい"おいしさ"をもつ
筆者たちの連載をお届けしています。

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