生活
生活とは、「生存して活動すること、生きながらえること」「世の中で暮らしてゆくこと」。私にとっては、日々の衣食住に加えて、山に登ることや写真を撮ること、何かを作ることや、文章を書くことのすべてが生活そのものだ。
6月14日から、山梨県南アルプス市の芦安山岳館で写真展「記憶の花束」が始まった。今回の展示は、雨季に咲く高山植物を求めてネパールのランタン谷を歩いた旅の写真と文章で構成した。冬の終わりにお話をいただいてから、数ヶ月に渡ってこの展示のことを考え続けてきたので、無事に開催にこぎつけてほっとしている。いつものことながら設営の直前まで制作をしていて、寝不足でふらふらしながら特急あずさに乗り込んだりしたのだが、この感じは学生のころから全く変わっておらず、自分でも笑ってしまう。
今回の展示では、すべてをひとりで抱え込まずに人に頼ることを心がけた。いつもであれば、写真のプリントは暗室を借りて自分でやっていたが、プロラボでお願いすることにしたし、裏打ち(プリントが波打たないように裏面に板を貼ること)や額装もフレーム屋さんに依頼した。もちろん、自分でしかできない部分ではひたすら孤独で苦しい時間もあったが、多くの人が関わってくれているという連帯感は大きな励みになった。そして、結果的にとても良い展示になった。会期は来年の3月までなので、ぜひたくさんの人に観てもらいたい。

展示を企画してくださった関係者のみなさまにもいろいろと助けてもらい、ぎりぎりのタイミングで作業を丸投げしてしまったりもしたが、最終的には「今回の展示を鈴木さんにお願いして本当によかった」という最大級の褒め言葉を頂戴し、すべてが報われた気持ちになった。オープニングセレモニーでは久しぶりに登壇する機会があり、つくづく人前で話すのは向いていないなと思いながらも、ひとまず役目を終え、これでやっと次のことに取り組めるぞという喜びが湧いてきた。
展示の初日を見届けてから自宅に戻ったあとは、制作に用いた材料でひどく散らかった部屋を片付け、溜まっていたメールの返信をし、野菜をたっぷり使った時間のかかる料理をするなどして、日常は少しずつ落ち着きを取り戻していった。展示に向けて作品を作ることは何も特別なものではなく、平凡な日々の生活のなかにあって、なかなか降りてこないアイディアを待ちながら洗い物をしたり、洗濯物を干したり、ときには家事そっちのけで制作に没頭したりしながらやってきた。私にとって、作ることや文章を書くことは自身の表現活動には欠かせないもので、それ自体が喜びであり、そうしていないと生きていけないとさえ思う。それ以外を仕事にすることは考えられないし、考えたこともなかった。頭のなかには常にやりたいことや作りたいものが溢れていて、ときには追い立てられているような気持ちになることもある。けれど、焦らずにひとつひとつ、かたちにしていく。学生のころからずっと続いてきたそんな生活を私は愛おしく感じているし、それを今でも継続できていることはとても幸せなことだと思う。

そして最近思うのが、その生活のなかに旅というものがもっと自然な感じで根づいてきたらいいなということだ。昨年は夏と秋の2度ネパールの山に登ったし、今年もいくつかの計画がある。来年からは、もっと長い時間をかけて海外を旅してみたい。私の創作の源は、やはり旅だからだ。そんなわけで、写真展が無事に始まったところで、また次の旅に向けて準備を始めている。
行き先はインドのラダック。6月は予定を詰めすぎたので、あまり忙しくせずにゆっくりしたいと思っていて、宿の近くの適当なカフェでコーヒーを飲んだり、土産物屋を一軒一軒見て回ったり、まずはそういうなんでもないことをしたい。もちろんトレッキングもするし、写真も撮る。どのカメラを持っていくかを今まさに迷っているところだ。着替えは最低限にして、その代わりフィルムをたくさん持っていきたいと思っている。ラグなどの買い付けもするつもりなので、帰りの荷物の超過料金まで調べている。どんな旅になるのかを想像しながら準備をする、そんなひとときが楽しくて仕方がない。ラダックの中心地レーは、標高3500m。最近高い山に登っていないので高山病になる覚悟はできているけれど、なんとか早めに順応できることを願っている。

滞在中には40歳の誕生日を迎える。昨年は30代最後の年ということでネパールのロブチェピークに登り、今年はラダックの旅が自分へのプレゼントだ。そういうことをこれからはもっと軽やかに企てて、世界中の美しい景色と自分自身に驚きながら生きていきたい。そしてそれを、かたちのある作品として残していきたいと思っている。家事をすることも、何かを作ることも、旅をすることも、私にとってそれらはすべて等しく愛おしい生活なのだ。

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