ドラマ制作日誌⑫ 殴りにいく
佐野亜裕美 | 映像と記憶

ドラマ制作日誌⑫ 殴りにいく

長い戦いが終わった。

戦争にまつわる言葉をそうでない意図で使うことは普段できるだけ避けるようにしているが、こればかりはもう「戦い」というしかない、そんな一年間だった。まだまだドラマのポスプロもオンエアも残っていて、やらなければならない仕事も山積みなのだが、それでももう戦う必要はなくなった、と思える。この一年ずっと緊張と不安の中にいて、仕事以外の何をしていても常にドラマのことが頭の半分以上を占めていて、目の前のことに集中できていたとはとても言い難い。迂闊に触れれば怪我をするハリネズミのような精神状態になっていた時期も長く、家族には本当に迷惑をかけただろうなあと思う。ようやく夜眠る時にiPhoneをサイレントモードにして眠れるようになって、少しずつダメージが癒えていくのを感じる。

「銀河の一票」の土台・骨子を作っていた頃、自分の中の仮のテーマソングがCHAGE and ASKAの「YAH YAH YAH」という歌で、打ち合わせに向かう道中に、よく聴いていた。脚本の蛭田直美さんと音楽の話になった時に、「そういえば、この曲が最後に流れるようなドラマにしたいと思っているんです」とお伝えしたところ、「『今から一緒に殴りにいこうか』という一節があるけど、佐野さんが殴りにいきたいのは誰ですか?なんですか?」と問いかけてくれた。ハッとした。素晴らしい脚本家さんはみな「問いの立て方」が素晴らしいなと勝手ながら思っているのだけれども、それを改めて痛感した瞬間だった。殴りにいくのは誰なんだろう。なんなんだろう。答えを考えていたわけではないけど、その時自分の口から出たのは「この社会の理不尽です」という言葉だった。ああそうだった、自分がこのドラマの中で戦う相手にしたいのは、殴りにいきたいのは、この社会に蔓延る様々な理不尽だった。理不尽なことはこの世界に山ほどあるけれど、なくせる理不尽はなくしたい、そう思っていたんだった。自分がこれまで見聞きしてきたもの以外に、どんな理不尽があるのか取材に行こう。そうやって少しずつ方針が固まっていったように思う。ドラマを作る時はいつも薄暗い中でどこかにあるはずの光を探して歩いていくような気持ちだが、今回はまさにそういう感覚だった。

一方で、私個人がこの1年間ずっと戦っていたのは、特定の他者や事象ではなくて、私自身というか、“私自身の限界”が相手だった。これまでのドラマ制作環境と大きく違ったのは子供ができたことで、それはすなわち仕事をする自分にとっては、あえて乱暴にいってしまうと「今は母親業があるからここまでしかできなくても仕方ない」という逃げ道が用意されているということだった。私にとって、子どもが自分の仕事よりずっと大事である、ということは間違いないことなのだが、これまでずっと逃げ道を絶って、自分を追い込んで仕事をしてきたので、なんというか自分の中にある甘えのようなものが生じてしまって、そこにいかに逃げ込まずにやれるか、というのが大きな課題であり、戦う相手でもあった。戦いの結果はまだわからない。勝てたのか負けたのか、それを判定するのはきっともう少し後の自分のような気がする。

もうしばらく戦わなくていいんだ、という安堵で心身がほどけて、自分の輪郭さえ失いそうになっているが、またワクワクするような新しいプロジェクトもいくつか始まった。心身を癒しながら、また助走をはじめたい。

わたしの素

子どもが読んでいた絵本に「桑の実」が出てきて、「ママは食べたことある?」と聞かれた。桑の実ってそもそもなんだっけ、と考えながら「ママは食べたことないなあ」と答え、そのまま撮影に追われてそのことを忘れていたのだが、子どもが父親にその話をしたのか、ある日ベランダに桑の実の鉢植えが置かれていた。毎朝水やりをして、「実がなったらママと食べるんだ」と言っているのを見て、その日が来るのを励みに最後の撮影をどうにか走り切った。撮影が終わる頃、見事に熟した桑の実を娘の小さな手から受け取り口に入れると、ちょっと酸っぱくて、ちょっと甘くて、なんだか昔食べたことのあるような果実だった。これからはこういう時間をもう少し大切に暮らしていきたい。

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