あらたに芽生える
春に剪定したモンステラとエバーフレッシュに新芽がついた。
モンステラは、コトゴトブックスを開業した5年前、友人らがお祝いとしてくれたものだ。「壮大な計画」という花言葉があることを、そのとき教えてもらった。その意味に見合うよう励んでいこうと胸が躍ったし、他でもないモンステラが、圧倒的な生命力で上に下にと葉と根を伸ばしていく様は頼もしいほどだった。
エバーフレッシュは、3年前、自動車免許を取った際、初ドライブで出かけたフラワーパークで出会った。ねむの木とも呼ばれているように、夜になると葉を閉じて眠る姿がじつに愛らしい。在宅仕事で、オンとオフの切り替えが下手くそな私にとって、寝起きする緑がすぐそばにあることは、生活を顧みるきっかけにもなった。エバーフレッシュが葉を閉じたら今日の仕事は区切りにする。目が冴えて早く目覚めてしまっても、エバーフレッシュが活動をはじめるまでは私ものんびりしていよう。この木には、呼吸の仕方を教えてもらった。

どちらも、春になると形を整える程度に剪定を繰り返してきたが、今年は思い切って強剪定なるものをしてみたのだった。勢いの衰えた枝葉を大胆に落とすことで、通気性を良くし、新しい芽の発生を促し、木全体を若返らせる目的が、強剪定にはある。
勇んでおこなった強剪定だったが、いざ終えてみると、なんだか気持ちが落ち着かない。あったものがない、という心許なさは後悔をさそい、こんなことをして良かったのかとくよくよしてくる。かと思えばやけっぱちのように、どうにでもなれと目を逸らす。どのみち切った枝は戻らない。狙ったところに新芽が出るとも、期待通りの形になってゆくとも限らない。
剪定後の姿は不格好で、バランスを失ったように頼りなかった。でも見ようによっては、如何様にもなれる可能性を秘めているともいえる。その姿を眺めつつ、まるで今の自分みたいだ、と思った。

実はこの夏、仕事のペースを落として「休む」ことを積極的におこなっていたのだった。
今年でコトゴトブックスは5周年を迎えた。この先長く続けていくために、場所じたいを見つめ直す時期がきていることは、去年くらいから感じていた。次に何かを変えるとしたら、それは恐らくマイナーチェンジではない。エネルギーの必要な変化になるだろう。そんな予感だけはあったものの、具体的な何かをとらまえることができないまま、日ばかりが過ぎていた。
それならば、いっそ立ち止まってみてはどうだろうと、ある日思った。走り続けたままでは見えない景色がある。いったん歩みを止めてみて、これまで来た道を、そこに育っていたものを、よく見てみようと思ったのだ。

進めていた企画に目処がついたのは5月の末、6、7、8月のほとんどを、新しい仕事や約束を入れずにただ過ごした。ときには、すべきことさえ放り投げて、一日ぼんやりしてみることも、努めてみた。こんなことをしていていいのかと、不安は常についてきた。部屋の緑をふと見やると、ぶつ切りされた枝の先端に、ちいさい若葉がついている。私の無為な日々の傍らで、育っていくものがあることが、いつしか支えになっていた。
柔らかく頼りなかった葉が、次第に張りを持ち始め、光の差す方向に何のためらいもなく伸びていく。ひとつの鉢のなかに、時を重ねた深緑の旧葉と、まだ色を定めきれていない新芽が共存している。そんな姿を眺めながら、なにか思ったり、なにも思わなかったり、不意に閃きがやってきたり、それもまた放り投げたりしているうちに、夏は過ぎていった。

〈生活を淡々と続けていくことで、手に導かれて、心が立ち直っていくことを私は知っていた〉
寿木けい著『わたしの美しい戦場』は、知らない土地に古民家を買って宿のオーナーシェフとなり、各地から訪れる人をもてなすようになった著者が綴る12ヶ月のエッセイ集だ。
春はふきのとうを摘み、竹の子を掘る。夏は草を刈って桃をかじる。秋は柿を干して鹿肉を焼き、冬は薪を割って柚子を蒸す。旬のもので客人をもてなすかたわらで、アリアをピアノで弾きながら、ひとりの時間と向き合う。ひとつ屋根の下で子どもたちと過ごしながら、収入を得る暮らしは今日も続く。
彼女の手つきを追うように、この本を読んだ。
新たな挑戦に、迷いながら動かしはじめた手が、人を迎えるためにも動き出す。その日々を言葉にして伝えるために、今度は筆へと向かう。そして、愛する子の小さく柔らかい手を握り返しながら、自分が選び取った戦場のうつくしさを思う。連綿としたその動きはすべて生きることに直結していて、心奪われた。
これまでがむしゃらに色んなものをかき集めるために動かしてきた手を、次どこに伸ばしたら良いのかと思いあぐね、惑いの日々を過ごしていた状況も、著者の手つきに注目してしまった一因だったのかもしれない。







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