かっこいいスキヤキ、かっこいい病院食
学校給食、法事の仕出し弁当、機内食、などなど。限られた場所や限られた状況、限られた時間のなかで「これを食べよ」と与えられる食事に、子どもの頃から妙にわくわくするタチだった。いわゆる、限定食だ。
食欲、つまりは欲を満たすための行為であるのに、求めるというより与えられる感じがあるのが面白い。おかずの数も、量も、配膳の位置も、みな平等であるのがさっぱりしていて気持ちいい。食べ進めながら、自分と他人の箸の運び方をこっそり見比べるのも、(卑しいこととは思いつつ)楽しかった。
年齢や経験を重ねるたびに、さまざまな限定食を味わってきたものの、いまだに味わうことのできていない魅惑の限定食があった。病院食だ。
この歳まで大きな病気ひとつせず健康でいられた証ともいえるのだから、有り難いことである。病院食が食べてみたいなんて、フキンシン極まりない望みだとも分かっている。でも本音は、やっぱり食べてみたい。密かな憧れが、先般、不意に叶った。
この夏、ちょっとした事情で入院をしたのだった。
命に関わることではないけれど、私にとっては人生初の入院生活。入院治療を勧められたときはそれなりに怯んだし、入院案内のパンフレットも、だからしばらく開くのが億劫だった。けれどある日、はたと気づく。「いや、待てよ。これは遂に病院食が食べられるチャンスが来たということではないか!」

(今回はこんな写真しかなくてゴメンナサイ! そうそう、ペットボトルに付けてるこれ、入院中にオススメです)
果たして入院初日の夜、18時きっかりに、それは病室に運ばれてきた。病院食との初のご対面だ。この瞬間を迎えるために、私は万全を期していた。おなかはすでに空っぽだ。サイドテーブルをベッドに引き寄せ、病院食を迎える。これこれ、ベッドの上でご飯を食べる非日常感もたまらない。
トレーにのった蓋付きの皿をひとつひとつ、期待を込めて開けていく。この日の献立は、赤魚の煮付け、キンピラゴボウ、きゅうりの塩もみ、白米、ほうじ茶、以上。整った布陣をゆっくり一周見渡しながら、成る程、と意味深につぶやいてみる。さて、どう攻めるか。

まずは一通り、味見といこう。赤魚の煮付けはそそる見た目とは裏腹に淡白で、煮汁を絡めてみるも塩気がもうひとつ足りない。それならいっそ魚を具に見立てて、これをスープと捉えてみてはどうだろう。無作法とは思いつつ、脇にあったスプーンで汁ごとすくう。なかなかいけるじゃないか。お次はキンピラ。うわあ、これはしょっぱい。いきおい白米をかっこむ。最後はきゅうり。…もう最後か。期待少なに数切れつまむと、意外にもこれが一番おいしい。名脇役が主役級に輝き出す。いっそこれを主役に今宵の陣を組むか……?
食事制限のない私にとって、病院食は正直物足りなかった。でも気づけば、限られた状況を楽しみ始めていたのだった。感覚が冴え渡り、目も口も、脳内も忙しくてなんだか可笑しくなってくる。箸を運びながら、泉昌之の名著『かっこいいスキヤキ』を思い出す。心のなかにトレンチコート姿の男を召喚する。

『かっこいいスキヤキ』は、久住昌之さんと泉晴紀さんからなる漫画ユニット泉昌之の短編漫画集で、ここに収録されているデビュー作「夜行」は、まさに『孤独のグルメ』の原点、ひとり飯の原点ともいえる傑作だ。
トレンチコートを着た大男が夜行列車のなかで幕の内弁当を食べる。弁当の蓋を開け、全貌を把握する。衣のついたフライの中身は何なのか、たまご焼はしょっぱいのか甘いのか、ひとつひとつ想像した上で、おかずを食べる順番や、ご飯を挟むタイミング、ペース配分をひたすら熟考する。箸を運ぶたび、勝った負けたと心のなかで一喜一憂する様が、劇画タッチで描かれていく。
傍から見れば、一人の男が無言で弁当を食べている。ただそれだけ。でも、ただそれだけのことが、あまりに忙しく雄弁で、無性に面白い。

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