みんな、まる子だった
みんな、まる子だった
木村綾子 | 本と生き方

みんな、まる子だった

「遠州の祭り好き」という言葉もあるように、祭りの盛んな土地で生まれ育った。
地域で最も有名なのは何といっても浜松まつりだ。私の生家は市の中心からはずいぶん離れたところに位置していたため、凧揚げ合戦や御殿屋台の引き回しには参加していなかったけれど、子どもの頃はよく親に連れられお祭り見物をしに行ったものだ。道を埋め尽くすほどの数の大人たちが、提灯を掲げて押し合いへし合い暴れまくっていて(「激練り」という文化がある)、大人の知らない一面を見ているようで、幼い頃は少し怖くもあった。

子どもの私でも主人公気分でお祭りを味わえたのは、年に二度、近所の神社で開催される夏祭りと秋祭りだ。参道にひしめく露店は、世界中の煌めくものを集めた夢のような場所にも思えていた。
なかでも私のお目当ては型抜きだった。切手大のちいさなピンク色の型を、親指と人差し指の爪の先を使ってちまちま切り抜いていく、決して派手とはいえないあの遊びが無性に好きだった。
ヒーローやプリンセスの顔が並ぶお面にも、顔よりずっと大きい綿あめにも、甘い匂いで誘惑してくるリンゴ飴にもカルメ焼きにも、ヨーヨー釣りにも金魚すくいにも射的にも目もくれず、一直線に型抜き屋さんへ駆けて行く。
型抜きは不人気で、だいたいいつも、私とテキヤのお兄さんとの一騎打ちだった。

お小遣いの500円玉をお兄さんに手渡すと、その手を見てお兄さんがニヤリと笑う。この日のために指の爪を伸ばしていたことに気づかれたって、ちっとも恥ずかしくない。なんたって今日は勝負の日なのだ。

お釣りを受け取り、箱の中から型を選ぶ。さかな、ひょうたん、ウサギ、傘……。どの型にもそれぞれ難所があって、しっかりそこでパキッと折れてしまう。失敗だ。盗み見たお兄さんの顔がなんだか嬉しそうで憎い。
もう一回、もう一回と繰り返し、結局ここだけで500円を使い果たしてしまう。いつもそうだった。手元に残ったのは残念賞のミルクせんべい5枚のみ。これを持って参道を歩いていれば、誰もが、「あの子は型抜きを五回も失敗した」と分かってしまう見せしめのような代物だ。実際親には呆れられ、友達には情けをかけられ、ミルクせんべい1枚と交換でリンゴ飴ひとかじり、みたいな物々交換をしてもらったりもしていた。割に合わないと思われようが、残念賞の扱いとはこんなものだ。
ミルクせんべいの中には水飴が挟んであって、おいしいのがまた憎かった。

そういえば、あの型抜きを成功したら、いったい何を貰えたんだろう。

東京に暮らすようになって以降、お祭りが再び身近なものになったのは、今の家に越してきてからだ。
遠州に負けじとこの町も祭りが好きらしく、夏から秋にかけてほとんど毎週末、どこかしらでお祭りが開かれている。

先日も、近所の神社でお祭りがあった。友人が娘のTちゃんを連れて遊びに来るというので、私もそこに混ぜてもらった。
子どもとめぐるお祭りは郷愁を誘う。5歳のTちゃんと同じ目線で見渡すお祭りは、景色が全然違って見えた。大人の足が視界を遮り、お目当てのチョコバナナがどこにあるかも分からない。すれ違った子の持っていた風船に目がとまり、「あそこでくれるよ」と教えてもらった子ども縁日会場を探す。輪投げに射的にヨーヨー釣り、宝石すくいを一緒に楽しんでいると、あの頃、お小遣い全部を型抜きに注ぎ込んでいたばかりに味わい損ねたお祭りと、40年越しの再会をしている気分になった。

盆踊り会場へと向かう途中、景品を抱えて歩いていると、隣でTちゃんが突然笑い出した。
「どうしたの?」と尋ねると、「だって今オナラした〜」と私を見上げてTちゃんが言う。どうやら私が抱えていた風船の擦れる音を、オナラと勘違いしたらしい。

子どもが笑うと大人は嬉しい。試しにもう一度風船を擦ってみると、「あ、また!」といっそう笑う。「違うよこの音だよ〜」とTちゃんに風船を渡しながら、今度はもう片方の腕に口を押し当て息を吹き、ブ~ッとオナラの真似音を鳴らしてみる。キャッキャと笑ってTちゃんが逃げていく。射的で景品を狙い撃ちしたときよりも、ずっとはしゃいで見える。
盆踊りの櫓を囲んで踊り始めても、隙あらばブッ。調子づいた私は、オナラの真似音でTちゃんを笑わせることに夢中になっていた。
「ちょいと東京~音頭~」に続く「ヨイヨイ♪」に合わせて「ブ、ブッ♪」。意外にも盆踊りとオナラの相性が良い。「月が〜出た出た、月が~出た~、あ」「ブ、ブッ♪」。Tちゃんは笑い続ける。「もうやめて〜おなかいたい〜」と言いながらも、その目は期待に満ちている。
いかん。このままではTちゃんのお祭りの思い出をオナラが塗り替えてしまう。あやぶみながらも、笑顔見たさにブッをやめられない。まさか自分にオナラで爆笑をかっさらう才能があったとは。そんな発見も嬉しく、私は欲に負けた。盆踊りが終わるまで、オナラに全エネルギーを注ぎ込み果てた。

こんなのもう、ちびまる子ちゃんの世界じゃないか。

(子ども縁日で貰った風船と並べて。聞けば一番人気の「肉球」だという。色んなモチーフを考えるものだ)

祭りのあと、本棚から懐かしく取り出したのは、さくらももこの自伝的エッセイ集三部作『あのころ』『まる子だった』『ももこの話』。
パラパラと捲っていると、『まる子だった』収録エッセイのひとつ、「七夕祭り」が目にとまった。

著者の生まれ育った清水もお祭りが盛んで、7月と8月の2ヶ月間は夏休みと共にお祭りの楽しさが加わる嬉しさ大爆発の季節だったと綴る。
お祭り当日、楽しみでたまらず超スピードでダッシュしてしまう感覚、浴衣を着せてもらって夕方を待つ時間、いつもとちょっと違うお母さんのお化粧、祭りに向かう人々の鳴らすゲタの音。すくい過ぎた金魚、今年も買ってもらえなかったヒヨコ、ビールをあおる父ヒロシの横顔、「お祭りっていいよね」と言い合って帰る帰り道。今日が終わってしまっても、また次のお祭りがやってくるという安心感。夢みたいな時間が全部詰まっていた。そしてこのエッセイは、こんなふうに結ばれていた。
〈幸せとは、だいたいこんなもんだろう。私はとてもそんな気がする。〉
私もとても、そんな気がする。

ちなみに、オナラにまつわるエッセイといえば『さくらえび』収録の「必見!!おならレポート」だ。さくら家のオナラ事情が明かされているのだが、(笑い死にご注意!)とサブタイトルが付いているように、爆笑必至の一編である。覚悟して読んでみてほしい。

わたしの素

露店にて。Tちゃんお目当てのチョコバナナを見つけて、驚いた。並んでいたのは令和のチョコバナナ。スプレーはいっそう華やかに、バナナに塗られるチョコレートも、茶にピンクに水色に、紫にと、見事カラフルに進化していたのだ。
いや、もしかしたら今に起きたことではなかったのかもしれない。何を今更、と笑われるかも知れない。私だってその間も、あちこちの祭りに出向いていたのだ。でも今までずっと気づかなかった。気づけなかった。こうしたちいさな変化に、人混みの中わざわざ足を止めるようなワクワクを、もはや抱けなくなっていたからだろう。

どれにしようどれにしようと、いつまでも悩むTちゃんの横顔を眺めつつ、大人になってしまった代償を少し思った。

(悩みに悩んでTちゃんが選んだ1本。よく見るとこの日の服装とリンクコーデさせていた。やるじゃん)

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