動く食べる
ジム通いを始めて、すっかりハマっている。
きっかけは明快で、慢性的な運動不足に加え、いわゆる加齢に伴う体の不調が相次ぎいよいよごまかしが利かなくなってきたからだ。
体重こそ20代の頃から大きく変わっていないものの、ここ数年、体脂肪が地味に増え続けているのも気になっていた。私は過労やストレスがかさむとすぐに体重に出るタイプで、気を抜くと痩せてしまう。体重が減るたび落ちるのは筋肉、元に戻れば付くのは脂肪。春先に久しぶりに乗った体重計が見たこともない体脂肪率を叩き出していて、空目するにも限界がきた。
夏で46歳。替えの利かないこのカラダには人生の後半戦も頑張ってもらわねばならん。となると、やっぱアレ?アレしかないのか? と半ば諦めるようにして、パソコンを立ち上げ最寄りのジムを検索、勢い任せで一日体験を申し込んだというわけだ。

(ジムまでは徒歩で約20分。この季節、道々に咲く花を探しながら歩くのも楽しみのひとつだ)
体験当日、私の出鼻をさっそくくじいてかかってきたのは、最新の体成分分析装置ことInBodyだった。曰く、「今の自分をきちんと知れ」。乗ったが最後、体重に体脂肪率、部位別に分析した筋肉量、脂肪量、骨格筋量、肥満指数、水分量などが計測されてしまうらしい。
満面の笑みを浮かべたトレーナーに明るく促され、へなへなと測定器に乗ってみると、さっそく電子盤が動き出す。果たして私に下された判定は「低体重虚弱型」。長期間の深刻な栄養不足が原因だという。加齢に伴い筋肉量は減り続け、サルコペニアにもなりやすいらしい。サルコペニアが何なのかは全く分からないけれど、そんなものにはなりたくないに決まっている。
縋り付くようにして、トレーナーに入会宣言をしていた。

(恥を忍んで大公開。中学卒業以来30年近く、これといった運動も健康への配慮もし続けてこなかった成れの果てである。低体重虚弱型、栄養不足…、字面の威力が凄い。サルコペニアが何なのかは、怖くてまだ調べられていない)
ジムにはマシンエリアに加えて、グループレッスンスタジオ、プール、テニスコート、インドアゴルフルーム、リラクゼーションルームにワークスペースまでが完備されていて、パソコン一台あればどこでも仕事ができる私にとってはうってつけだった。
そのなかで、とりわけ私を夢中にさせているのがプールだ。
5歳から小学校卒業までスイミングスクールに通わせてもらっていたおかげもあって、昔から泳ぐのはわりと得意なほうだった。運動せねばと決意してまず探したのも、だからプール付きのジムだった。
しかしながら、ブランク30年。あの頃のように泳げるだろうかという不安がないわけではない。けれど実際水にカラダを委ねてみると、四肢はすぐに感覚を取り戻す。壁を蹴って伸びると、意識せずともカラダがクロールの動きを始める。これがなんとも面白い。カラダが動くというそのこと自体が、嬉しくてたまらないのだ。
夢中になって泳いでいると、プールサイドに子どもたちが集まってくる。ガラス越しには保護者が並んでいる。スイミングスクールの時間だ。またしばらく泳いでいると、「5、6、7、8!」という子らの掛け声が水中に響いてくる。コーチの言う「1,2,3,4!」に挑むような威勢に、頬が緩む。そのなかに泣き叫ぶ声が混じっているのが分かる。ゴーグルを外してあたりを見渡すと、ガラスにへばり付きながら、そっち側に帰してくれと大暴れする男児の姿。
ああそうだ、私もかつてはそうだった。できるわけがないと思っていたことが、いつの間にかできるようになっていて、一度できるようになってしまうと、やがてできなくなってしまうかもしれないことなんて考えもしなかった。でもある日、ふと気付くのだ。昨日できたことが今日できなくなっていることに。それで慌てて、まだできることを探し出す。その喜びを手放すまいと再び世界を見渡しはじめることを、中年期と呼ぶのかもしれない。
隣のレーンに大きく飛沫が上がる。私よりずっと年配と思しき女性が颯爽と横切っていく。皮膚の張りはすでに衰えているが、その下で躍動する筋肉が透けて見えるように美しい。彼女の目に、今の私はどう映っているだろう。

角田光代さん『わたしの容れもの』は、著者が45歳のときから約3年の間に起きた身体的変化──たとえば老眼、免疫力低下、更年期、生活習慣病、云々──の、予兆や現状を書き記していくことで、替えの利かない私の「容れもの」をみつめたエッセイ集だ。
人間ドックの結果で話が弾むようになる中年という年頃、急に出てきたアレルギー、しぶとく減らない二キロの体重、もはや耐えられない徹夜、読みたくても(物理的に)読めない一昔前の文庫本(ちいさい字がびっちり!)、もしやこれが更年期?それとも暑いだけ? いくつになっても変わらない「私」という人間の精神とたましい、いっぽうで、時間と伴走するように年々変化していく私の「容れもの」……。老いの兆しは悲しいはずなのに、つい誰かに話したくなるのは、変化していくカラダがちょっとおもしろいから。
刊行された10年前とは異なる強度でエピソードひとつひとつが身に迫ってくる。かつては恐怖だったものが、いまはなぜか楽しい。




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