流行りの風邪をひいて、すっかり参ってしまった。
さいしょに喉の違和感があって、なんかへんだと思っていたら数時間後にははっきりとした痛みへと変わっていた。そうなると次はスコーンと突き抜けるように発熱するのが常なのだけれど、体温計は37℃前後をうろうろし続けている。いっぽうで風邪の輪郭は明確となっていき、喉の痛みが咳をまねいて、鼻水、くしゃみ、悪寒に下痢…。一日も経たぬまに、あれよあれよと風邪っぴきが完成されていったのだった。
けれど今回どういうわけか、熱だけが出ない。体感としては38℃後半くらいのだるさがあるのに、発熱してくれないのがなかなかに厄介で、これが長引く原因にもなったように思う。
こうなっていつも悩ましいのは、体のしんどさよりも、気持ちの焦りのほうがずっと大きく私を圧迫してくることだ。
この歳になっても休むのがへたくそで嫌になる。
起き抜けからとりあえず息継ぎなしで行けるところまでクロールし続けるような、毎日そんな働き方をしていれば、急に「ストップ」と言われても止まれるわけもなく、いつのまにか休み方を忘れてしまって久しい。
さすがに今日は休もう。そう決めても、いまの状態でできることを身の回りに探してしまう。自分の体を寝室に強制連行して(へんな言い方かもしれないけれど、実際にこういう感覚がある)、なんとか眠ることに成功しても、夜中に目覚めてふと見たスマホに示されている未読メールの数が気になって気忙しい。
「昨日はお返事ができず申し訳ありませんでした。」
たった一日が、そんなに申し訳ないことなのだろうか。思いつつも、指は勝手に動いているのだから呆れる。そんなことだから、治るものも治らない。体よりも心のほうが重症なんじゃないか?
「休む」って、どこまでを「して」、どこからを「しない」ということなんだろう。
みんな「休む」を上手にできているんだろうか。
水曜日にひきはじめた風邪もピークにさしかかっていた土曜日の午後。自分が主催するオンラインイベントが予定されていた。
人にうつす可能性がないオンラインという叡智に感謝しつつ、イベントは予定通り開催できたのだけれど……。
翌日、予期せぬ宅配があった。
差出人は、イベントにも立ち会ってくださっていた、出版社mille books代表・藤原康二さん(この連載では、浜島直子さん『蝶の粉』の回にも登場しましたね)。封をあけると、エキナケアのど飴と一冊の文庫本、そしてメッセージカードが入っていた。
「イベント中、喉がつらそうに見えたので。じゅうぶんな休みを取って、どうかご自愛ください」
文庫本は、料理家・たなかれいこさんのエッセイ集『たべるクリニック』だった。
本書は、たなかさんが30年以上にわたって綴ってきた文章から、これからもずっと伝え続けたいというお話が78編収録されている。
病弱だったたなかさんが、40年以上医者いらずの生活を手に入れたきっかけは、友人がくれた無農薬有機野菜のホウレンソウだったという。そのホウレンソウのびっくりするほどの美味しさに惹きつけられて、美味しい食材とはどんなものかを探究しはじめた彼女は、「仕事にすればずっと食べ物のことを考えていられる」と思い立ち、行動に出る。
ケータリングサービスが評判を得て、数年後には南青山にレストランを開店。1999年からは長野県で無農薬・無肥料・不耕起(畑を耕さず、肥料をやらない栽培法)で野菜を育てるファームをはじめ、現在は、東京・長野・北海道の三拠点で「たべもの」を伝える活動を続けている。
〈身につけた知識や理論を一度自分の中で咀嚼して飲み込んだら捨ててみてください〉(「天才力を目覚めさせよう」)、〈食べることを大切にするというのは、自分を大切にすることです〉(「本物の食べ物は人生を変える」)、〈冷えている人は暑さにも弱い〉(「汗かきの人、実は冷えています」)、〈免疫力のおよそ七〇%は腸内が司っています〉(「腸を綺麗にして健やかに」)……。
自分の体を見つめ直すにうってつけな状況だったことも相まって、さっそく寝室に本を持ち込みぐんぐん吸収するように読んだのだけれど、とりわけ心と体が反応したのは、「病気と薬、食べ物と体」というエッセイだった。
〈正しい(と思われている)ことには、正しくないことも多いように感じます〉
という書き出しからはじまる「病気と薬、食べ物と体」では、病院に通えば通うほどなぜか虚弱体質になっていった子供時代を振り返りつつ、食べ物と体についての自分ならではの選択基準を改めて見つめ直し、その時々の自分の体に合った食べ物が選択できるようになったよろこびを綴る。
──生命力のある美味しい食べ物は短期間で体と心を健全な方向に導いてくれます。これは私たちの数十兆個の細胞が食べた物で絶えず作られているから、当然のことなのです。
この言葉が響いたのには理由があった。
わたしの素
今回風邪をひいている間じゅう、キュウリが食べたくてしかたなかった。
ふだんとくべつ好きな食べ物というわけではないのだけれど、まっすぐな欲望で体がキュウリを求めているのがわかって、面白いほどだった。
寝て起きて水飲んでキュウリ食べて、また寝て起きて水飲んでキュウリ食べて……。考えるまえに体が動いていたような一日さえあって、反復するほどに、体が栄養を吸収して悪いものを出していく手応えを感じて、ぼうとした頭で、すごいすごいと自分自身に感心していた。
「風邪にキュウリ」は風説でもあまり耳にしたことがなかったので、この欲求はどういうわけかと後追いで調べてみたところ、どうやらキュウリにある利尿作用や発汗作用、解熱効果が、風邪でほてった体に有効らしい。
なんだ、私の体、自分に必要なものをちゃんとわかっているじゃないかと驚いた。
知識で知っていたからではなく、体が先に知っていたことに嬉しくなった。
なんだ私、たべるクリニック、ちゃんとできてたんじゃん。できることがとても少なくなっていた時期だったからこそ、していたことが、自分の体を良くすることであったのが、嬉しかった。
いま欲しいのはこの食べ物だ、と指令を出してくれる我が体よ。
「休む」ことが上手になるのは、いつ頃になりますか?