パンとバターとチーズのパリ
松浦弥太郎 | 今日もていねいに。

パンとバターとチーズのパリ

一年に一度、春になると旅に出る。

旅と言っても、ふだんの暮らしを、そのままパリに持っていくだけのことで、二週間ほど住処を変えると言ったほうが近い。仕事をするのも、起きる時間も、寝る時間も変わらない。変わるのは、暮らす街と、食事と、使う言葉、散歩で歩く道くらいだ。

パリに着くと、まず近くの店へ食材を買いに行く。パン屋、食材屋、果物屋、チーズ屋、スーパーマーケットを廻る。

まず買うのは、パンとチーズとバター。チーズはカマンベールを選ぶ。春なのでイチゴといった果物も。どの店もアパルトマンの近くにあり、自分なりに選んだ店ばかり。何を買ってもがっかりすることはないから、買い物がとても楽しい。

おいしいパンとバターとチーズ。なんておいしいのだろう。日本のごはんと梅干しと味噌汁に近い感じとでも言おうか。

パンをスライスして、それをまた、食べやすい大きさに切り分ける。
ナイフで削ったバターを散らすようにのせる。
そこに、カマンベールチーズをこれまた散らすようにのせる。
バターとカマンベールチーズの小さいオープンサンドが出来上がり。

指でつまんで食べる。ほんとうにおいしい。こういうシンプルな食事はいいなあ、と心から思う。

これが毎日の食事のベースとなって、買ってきたお惣菜と一緒に食べたり、新鮮な野菜や肉、または魚をソテーしたり、茹でたりしておかずを作ったりする。デザートは、イチゴやりんごを少しだけ。これで十分すぎるくらいのごちそうだ。

自分は何を食事の中心に置くのか。それはどこに暮らしていても大切なことで、そのおいしさは日々のしあわせにもなり、大きな安心にもなる。

そんなふうだから、毎日部屋でゆったりと過ごしながら食事を楽しむ。できれば夜は出かけたくないのでレストランには行かない。これは日本にいても同じこと。お酒が飲めないのも理由のひとつであるけれど。

朝は、いつも同じカフェの、同じ席で、カフェラテとクロワッサン。

昔ながらのクラシックなカフェも好きだけど、最近、若い人が経営する、それこそスペシャリティコーヒーを淹れるカフェが近所に出来て、そこが今はお気に入り。毎朝、店の人と朝の挨拶をするのも小さな楽しみになっている。

パリでは、スーパーマーケットの品揃いが充実しているので何かと便利だが、まだまだ個人商店もたくさん残っている。野菜や肉や魚はそういう店で買うようにしている。ステーキ用の肉を選んでもらって、目の前で好みの厚さにナイフで切ってもらうことなんて日本ではあり得ないし、魚屋で選んだ切り身のレシピを、店主に教えてもらうことだって懐かしい。

せっかくパリに来ているのに、毎日自炊をして、もったいないと言う人もいるだろうけれど、いつからか外食すると疲れるようになった。今はこのほうがいいと思っている。

おいしいパンとバターとチーズ(ときどき、ゆで卵)があればこそのスタイルだ。

パンは、古代小麦を使った、水分量の多いカンパーニュ。クラストはカリカリだけど、しっとりした中身にほんのり酸味があって、どんな料理にも合う。グルテンの含有量が少ないのもちょっとうれしい。

バターとチーズは、選びきれないほどにおいしいものがたくさんあるが、これだけは奮発して、専門店が扱う農家が手作りしているものを選んでいる。

こうして一年に一度、住処を移して、何ひとつ特別なことをするわけではないけれど、このささやかなパリでの暮らしが、自分の軸というものを、あらためて確かめさせてくれている。本来の暮らしに立ち返るための、ぼくに必要な小さな旅だとも思っている。


わたしの素

とはいっても、旅に必ず持っていくものがある。それはお味噌だ。毎朝ではないけれど、少し疲れたなと思ったとき、味噌汁を作って食べると心も身体も回復する。お腹の調子も整う。具材は乾燥わかめと乾燥ネギを常備。出汁パックも持っていく。パリの献立とはミスマッチだけど、いわば旅の非常食のように思っている。あると安心なお守りのような存在だ。

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