「今日もていねいに。」
ジス・イズ・サンフランシスコ
エッセイスト
松浦弥太郎
サンフランシスコで、ぼくは古書店をめぐるという楽しみを覚えた。
サンフランシスコは文学の街だと言われている。新刊書店も多いけれど、それに負けないくらい古書店が多い。せっせと坂道をのぼっていると、その途中に小さな店がたくさんあった。それらの多くは看板なんてあるようでなく、たいてい店主ひとりで営んでいた。
挨拶をしてドアを開けると、いつも独特な紙の匂いがした。少し乾いていて、どこか甘い匂い。長い時間を過ごしてきた紙だけが持つ匂いだ。
その店が何を専門にしているのか。自慢の一冊は何なのか。それを見抜くのが楽しみだった。写真集ばかりを集めた店。詩集だけの店。建築図面ばかりの店。どの店も、そのまま店主の部屋のようなもので、何を大切と思い、何を美しいと思っているのかが、そのまま棚に個性として現れていた。

中でも、ぼくがいちばん興味を持ったのは「ペーパーコレクティブル」を扱う古書店だった。雑誌、チラシ、パンフレットや地図。製本されていない印刷物。かつて誰かの手の中にあり、その時だけの役目を終え、捨てられずに残ってきた紙たちを集めた店だ。
たとえば、一枚の古い観光地図を広げる。そこには、もう存在しないホテルや店、賑やかそうな商店街がある。けれども、その地図の中ではまだ生きている。ぼくはそれを読むように見るのが好きだった。
ある日、ある古書店で一枚の古いレストランのメニューを見ていると、背後から声がした。「それ、いいでしょう」。振り向くと、髪の長い男の人が立っていた。細身で、少し無精ひげを生やし、チェックのシャツを着ていた。「1950年代のものだよ。この街がいちばん元気だった頃の」と彼は言った。

彼はそういった古い印刷物のスペシャリストだった。次から次へと希少なレストランのメニューや食品関係の広告をぼくに見せてくれた。「サンフランシスコは港町だから、船員向けの飲み屋やストリップが多かったんだ。そういった店のメニューやチラシはイラストがいかがわしくて面白い」と彼は話してくれた。
滞在していた宿から店が近かったせいか、こんなふうに彼と、何度か言葉を交わすうちに、ぼくらは親しくなった。そして、気がつけば、ときどき連れ立って街の古書店をめぐるようになっていた。こんな出会いは、サンフランシスコでは、毎日のようにあった。
彼はぼくにこの街の歩き方を教えてくれた。どの道を歩けばいいのか。坂をのぼるべきか、それともバスに乗るべきか。まっすぐ行けば早く着くけれど、遠回りしたほうが、いい店に出会えること。海へ向かう道は、夕方に歩いたほうがきれいなこと。夜は絶対に歩かないほうがいい道なども。「この街はね、縦に歩くか、横に歩くかで、まったく違って見えるんだ」。彼はそう言った。
ぼくは、その言葉を信じて歩いた。すると、ほんとうに街は違って見えた。知らなかった古書店を見つけ、小さなカフェに出会い、名前も知らない坂の上で海を見た。街を知るというのは、地図を覚えることではなく、誰かと一緒に歩いた記憶を持つことなのだと、そのとき、はじめて知った。
ある日、「兄が働いている店があるんだ」と彼が連れていってくれたのは、ノブヒルにある、魚屋が営む食堂「Swan Oyster Depot」だった。白いタイルの壁と長い木のカウンター。それだけの小さな店だった。
席に着くと、何も言わずに、サンフランシスコ名物の酸っぱいパン、サワードウが置かれた。「サービスだよ」と彼が言った。外は硬く、中はしっとりしている。手でちぎると、わずかな酸味の匂いがした。しばらくしてクラムチャウダーが運ばれてきた。具だくさんの白いスープは、ふわふわと湯気をあげていた。スプーンですくって口に入れる。温かさが体の奥に広がった。クラムの出汁が実においしかった。「こういうふうに食べるといい」。彼はパンをスープにひたして食べた。

フレッシュな牡蠣とはまぐりが運ばれてきた。牡蠣は殻の上で光っていた。「レモンだけでいい」と彼が言った。ぼくはレモンを少しだけ絞った。口に入れる。おいしさを一言であらわすと、まさに「海」だった。ぼくは夢中になって食べた。冷たい海と、パンの酸味と、クラムチャウダーの温かさがひとつのおいしさになって、「ジスイズサンフランシスコ、この街を食べているみたい」と言うと、「そうだよ、これがサンフランシスコ」と彼は笑った。「街を食べているなんて、ちょっとキザな言い方だなあ」とぼくが照れると、「それもまた、サンフランシスコらしいよ」と彼が言った。
そのあと、彼は地下鉄でキャンパスタウンのバークレーへも連れていってくれた。橋を渡った向こうの街は、光がやわらかかった。彼が好きだという「チーズボードコレクティブ」というチーズとパンの店に入った。店はとてもにぎやかで、店の人と客がみな友だちのようなおだやかさに満ちていた。
焼きたてのチーズパンを買った。外のベンチに座り、パンをちぎって食べる。心地よい風が吹いていた。「この街では特別なことは何もない。それがいいんだ」と彼が言った。ぼくはうなずいた。

帰り道、信号待ちで足を止めた。交差点の向こうを、大きなトラックが横切っていった。白い車体の側面に大きな絵が描かれていた。オレオのチョコクッキーに、牛乳が飛び散っている。広告のようだけど、そこには言葉や文字はひとつもなかった。
ぼくはそれを見ていた。スティーブも見ていた。「いいね」と彼が言った。「ただのトラックなのに物語がある」。トラックは遠ざかり、やがて、角を曲がり、見えなくなった。
「今度はオークランドを案内しよう」と彼は言った。
わたしの素

いちごが好きだ。毎年2月から4月の終わり頃までを、ぼくはいちごシーズンと勝手に呼んでいる。なぜそんなふうに思うのかというと、その季節に何度もいちご狩りに出かけるからだ。いちご狩りはいつも同じ場所に通っている。いろいろと試した結果、気に入ったいちご畑を見つけて通うようになった。いちご狩りを存分に楽しんだあとに、販売所でいちごをたっぷりと買って帰り、毎日のように食べる。
ヘタを取ってそのまま食べるのは基本の食べ方だけど、刻んだ他のフルーツと混ぜて食べたり(これも好き)、スライスしてグラノーラにトッピングしたり、コップの底でつぶして、ぱらりと砂糖を振って、パンにのせて食べたり、それをアイスクリームに添えたりもする。このシーズンは部屋がいちごの香りでいっぱいになる。
今年もいちごをたくさん食べる。
連載
「今日もていねいに。」の扉
エッセイスト
松浦弥太郎
少しちからをぬき、キホンを大切にする松浦弥太郎さんと、彼ならではの素をつくる、くらしと食事。