梅干しを買いに、山へ行く
鈴木優香 | 山と感覚

梅干しを買いに、山へ行く

ここ最近、1週間に1度はトレーニングのために山に出かけている。高尾や丹沢など、近場で日帰りができる山を、やや速めのペースで15〜18km程度歩く。春の訪れとともに心が開いてきたからなのか、この夏に縦走したい山々のイメージも頭に浮かんできた。秋にはまた高い山に登る計画もある。険しい山を無理なく楽しむには体力が必要で、体力をつけるにはやはり山を歩くしかない。自宅周辺のランニングも試してみたが、どうしてもアスファルトを走ることが苦手で続かなかった。木漏れ日を浴び、木々のざわめきや鳥の声を聞きながら歩くのが、私には合っているようだ。

なぜ山に行くのかと聞かれると、以前は、美しいものがたくさんあるからとか、登った人にしか見られない景色があるからと答えていた。また、前回の連載でも書いたように、言葉を必要としない直感的な心地よさを得られるという点も大きい。それらはこれからもずっと変わらないと思うが、近頃はそれだけではないような気がして、山が自分自身に与える影響などについて、よく考えている。そのなかで、頭に浮かんだことをいくつか書いてみたいと思う。

ひとつは、山のなかでは他者と競う必要がないということ。それぞれのペースで、それぞれの楽しみ方を選べるのが、山のいいところだ。山を歩くうえで、速いから優れているとか、遅いから劣っているということは全くない。地図にはコースタイムとして目安の時間が記されているが、時間どおりに歩けないからといって、そのルートを歩くことができないというわけでもない。その場合は、出発を早めたり、山行日数を増やせばいいのだ。また、この山に登ったから偉いということもないし、反対に、この山にしか登ったことがないから自分はまだまだだと謙遜する必要もない。山のなかでは勝ち負けがなく、上も下もない。むやみに背伸びをしなくてもいい。山は全ての人に開かれている。そういった雰囲気が、大きな安心感を与えてくれる。

もうひとつは、進むべき道があらかじめ示されているということ。人は日々、意識的にも無意識的にも、大小さまざまな決断を下し続けながら生きている。そしてそれに耐えられなくなることが、ときどきある。組織に属することなく個人で活動している私にとっては、自ら下したひとつの決断が今後に大きな影響を及ぼすのではないかと怖くなる瞬間がある。もう何も決めたくない。そう思うときに山に行くと、少しだけ身軽になる。山には整備された登山道があり、決められた道を歩くだけでいいからだ。1本の道を辿り、標識に従って歩いていけば、そのうち山頂に到達する。そして、再び道に沿って下りていけば、ひとつの山行が完了し、たちまち達成感に満たされる。見通しの立たない長期的な事柄を抱えているときには特に、小さな達成感を容易に得られる山歩きが救いになるものだ。

山を歩きながら、日々を過ごしながら、最近はこんなことを考えていた。そして、やはり山は自分に必要なものなのだと改めて実感するのだった。桜の季節は終わりを迎え、まもなくツツジが咲き始めるはず。久しく会えていない友人に声をかけて、山に行こうと思う。

わたしの素

難しくあれこれと考えを巡らせる一方で、特に理由もなくいつも楽しみにしていることがある。それは、登山口に向かう途中にある無人の直売所で野菜を買うことだ。

日帰りのできる山の周りには畑を持つ民家が多く、登山口まで歩く途中に無人の直売所をよく見かける。歩き始める前に買ってしまうと重いので、いつも後ろ髪を引かれつつ見送るが、下山後にはほとんど売り切れてしまっていることがほとんどで、悲しい。けれど先日塔ノ岳に出かけたときには、運良くブロッコリーや菜の花、八朔が残っていたので買ってきた。その日の夕飯は、菜の花を使ったパスタにした。山の麓で買った野菜を使って料理をすると、日常にも山の時間が続いているような気がして嬉しい。八朔は剥くのが少し面倒で、まだその辺に転がしてある。

高尾エリアの景信山や小仏城山の登山口付近にある無人直売所では、梅干しを買ってから山に入るのが定番になっている。梅干しなら軽いので買っても荷物にならないし、途中で疲れたときにひとつふたつ食べたりしてもいい。前回買った梅干しはもう食べきってしまったので、また来週にでも買いに行きつつ山を歩こうと思っている。

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